何もない平凡な1日は、贅沢な1日だと思う。
昨日の続きに確実に今日があるとは限らない
今日の続きに確実に明日が来るとは限らない
限らないのだけれど、昨日、今日、明日と連綿と日常は続いていくと思い込んでしまっている
そんな自分に気がついては忘れ、忘れては気がつく
なので時々「今ここにある」ことを意識する
それは風の音を聞いたり、肉体の動きを言葉にせずに感じたり、犬の感触だけに集中したり
感覚が「今ここにある」ことを教えてくれる。
今が流れ、人は一瞬しか「今」にいることはできない
たいてい思考がその人生の大半を占め
時間は思考で埋め尽くされていく
思考はやっかいで、過ぎさった時に起こったことと、まだ見ぬ未来への思いで埋め尽くされていく
時には空になり、空に身を委ねていると思いの他にエネルギーに満たされ元気になれる
そういうことを知っていて、体感したことがあるくせに、なかなか空にはなれない
食べること、食べるにはお金がいること、お金がほしいと思うこと、
反面、今食べていられるから、まいいかとも思ったり
TVにニュースを見て、イヤな思いにさせられたり、怒ったり、
ドラマを見て、胸ツンとなったり、お笑いを見て笑ったり、そうして時間を埋めている。
行き着く先は確実に「死」なのに、時間はそうして埋まっていく。
今日も1日、食べるために内職をし、ワンズと散歩に行き、短い時間触れ合って
そうして1日が終わっていく、何もない平凡な1日だけど、今あることにありがとう
ではまた明日
読んでいただいてありがとうございました。
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