季節が変り・・
今度は湿気だ暑さだ、、、そうやって私を一日中苦しめて・・母の健康も奪って・・
これで何日目なのだ?
相変わらず床を拭けば、赤い染料の様なものが布に毎日付いてくる。
令嬢だ何だに「情」で引きずられるチョロイ相手なんだろう?
但し、、 それは本当なのか?
勝手に貴方達が決め付けた私の人物像なのではないか?
なぜ私が「情」とやらに何時までも引きずられていなければならないのだ?
なぁ「仲介役」の奴?
御前、、本当はここで起こっていたことを知っていただろう?
それを「上」の方に連絡もしていたのだろう?
正直に言えよ、貴様。
惨殺されたバカ夫が「アイツの歯が抜きたいんだけど」、、こういった要望を出すと約二週間から一ヶ月で次々と願いが叶う。
そんな技術をチャイナが持っている訳がないだろうが。
仲介役、、貴様がその技術を問い合わせていたのだろう?
そして当然のことながらそれを「上」は了承していた。だから次々と高度機密技術が提供をされた。
ここでの大惨状を「上」とやらは知っていた。
知っていて止めるどころか、どんどん惨禍を拡げて行ったのだ。
私を舐めに舐めているのだろう?
なら私もつまらない人間になる。つまらない自慢とやらをしようではないか?
桂台の矢沢小学校近くの広めの道路。
あそこらは熟知しているに違いないから、これで解るよな?
ここの住宅街は湘南に近く最強クラスの暴走族の連中の拠点が幾つかあったのだ。
後に警察が機動隊の車輌・パトカー十数台・放水車まで投入して、彼らを鎮圧する大騒ぎが起こった程の場所。
この広めの道路に彼ら最強暴走族が二百名近く座り込んで占拠をしていた。
次々と車はUターンをし、人も帰っていった。
私はそこを一人で「普通に」歩いただけで、彼らは黙って道を小さく開け、私はそこを普通に通り過ぎた。
途中、何か言われたり果ては殴りかけられたりするのか、と思ったら何も起こらず、私は静けさの中「普通に」歩いて通った。
以上、嘘ではない。神様に誓って本当の話し。
確か令嬢と出会った年のことだったと思う。
大久保利春氏の御子さんも通っていた九段中学。隣の敷地はフィリピン大使公邸でオノヨーコ氏が幼少期を過ごした邸宅跡。
女性の社会進出が困難な時代であり息子さんを後継者にと考えていた田中角栄氏が、どうしてもここで息子さんに教育を受けさせたいと直接御自身が校長室に乗り込んで来られたことが半ば伝説の様に我々学生の間で語られ、校長室には角栄氏の立派な揮毫が飾ってあった。
この学校に私も通っていたのだが中学三年の時に自他共に学年ナンバーワンを認められる男がいた。
学業成績は抜群。全国で二十番内に年中入る人だった。男っぽく番長肌であり、中年の親父の様に見えた。体格がよく文武両道でもある。やはり傲慢不遜な感じではあった(笑)。
この人が一度も口を利いたことがないのに、廊下の長い先で私を見かけると必ずペコリと頭を下げてくれるのだ。私も当然、丁寧に下げ返すのだが、奇妙なことだ、とよく思っていた。
この人は「仲」という姓なのだが、、ある時仲良くしている仲君のクラスの同級生がニコニコしてやって来て言うには、、「なぁ文太・・仲がなぁ、、この学年で自分は怖い人間は一人もいないけれども、文太、御前のことだけは怖い、と年中仲が言っているんだ。」
私の感動が解るであろうか?私は心から仲君のことを尊敬していたから・・
彼は結局、卒業の年の冬に自宅の火事で亡くなってしまった。受験直前であったが三日間くらい勉強が全く手につかなくなってしまった。
彼は高級官僚志望の人だった。彼のとても小さな墓を前にした時の気持ちは・・。
この事件の最初の頃、、何度も彼のことを思い出した。
彼は町の小さな電気屋さんの息子さん、だった。