夜のディズニーシーに行って、三人で仲良くレストランで御食事をしましょう。
(年齢的にTDRが好きなんじゃないかな? 笑)
『何とかしないと、、いや何とかするしかないんだ。。』
都心とは思えない深い緑の中、丘を上がっていく度に思いました。
有栖川宮公園内にある都立中央図書館に行くのです。
そこで医学専門書を閲覧しに行くのです。 ネットのない時代、、調べ物と言えば図書館だった時代のことです。 全てが閉架である国立国会図書館とは違い、かなりの部分の図書が開架であるなど調べ物がし易いのがこの図書館なのでした。
有名病院を幾つも廻り、個人病院にも廻り、、、けれどもどこに行っても「精神的な病です。恋愛でもしたらどうですか?」と妹は言われ、見放され・・ 兄である私がやるしかないのです。
「医者でもないアンタに何が解るの?」、母にも嘲られつつ、大きく重たい医学専門書と医学辞典などを脇に置きつつ格闘をしたのです。
格闘数ヶ月、、回答が得られました。明確な回答が得られました。
『これは神経系の病気。絶対にそう!
首廻りなど神経系の働きが何らかの理由で上手くいかなくて、たぶん
こうなっているんだ。
俺の推測では、背骨などが曲っているからこうなっているんだよ。』
こう言う度に母は失笑しました。
満を持して専門病院に妹を連れて行き、専門医にも私が直接、自分の確かと思える考えを色々な観点からぶつけて見るのですが、一寸した検査などで予断を持ってしまった医師は、それこそ素人の私の意見など耳に入れようともしないのでした。
それでも妹の病状を論理的に説明をし、精神の病などではないから自分を責めるな、と私が励ますと妹は笑い喜ぶのでした。
そこから十数年、、妹も私達家族も病に苦しみに苦しみ抜くのですが、、アメリカの超一流をも越える名医に日本の拙宅にわざわざ来て貰い、診断して頂いたところあっさりと病名が解り、妹はようやくのこと治癒への道を歩み始めたのでした。 ─そこで下された診断は私のものと八割は合致していたものでした。
「日本の医療水準はアメリカより低いところがあるから、検査を含め
この病気が解らなかったのでしょう。」
ハリウッドスターの様な二枚目の白人医師は、そう物静かに語るのでした。
私もまた妹と同じ流れの病にかかっていることがこの医師の検査の結果、判明もしたのでした。
私は思うのです。 『自分のことは自分が判断するしかない。』
誰も代りになって判断をしてくれません。責任を取ってくれる訳でもありません。
専門家を含め周りの意見はあくまでも参考意見に過ぎない。
最終的な判断は自分自身で下さないと命取りになる、、そうこの経験は雄弁にも私に教えてくれるのです。