その時々の気分で言うことが激しく変わるいい加減な人間だ、と思われても仕方がありません。
けれども、、この非常にスケールの大きな事件の渦中にあって、本当の事情が殆ど解らぬ暗闇に取り囲まれながら、自分と母親の頭にピストルを突き付けられつつ、砂粒の様な人間が「一人で」これに対処しなければならない、、というこの特殊な事情を解って頂けますならば嬉しく思います。
斯様な極めて特殊な状況下では、、高度に一種の政治性を帯びた、、つまり本心にもないことを言わねばならない場面が多々出てきてしまう、という訳なのです。
格好のいい例えで恥ずかしいのではありますが、、御巣鷹山に墜落した日航機の機長氏の様に『妙な異常な』操作で事態を操るしかないのです。無力な、小さな小さな存在の私にはそれしか方法がないのです。
以上、くどくどしいのですが説明をさせて頂きました。
ここまでの私の言動の『真意』が奈辺にあるのか、御解り頂けたならば幸いです。
毎日、幸せに御暮らしください。
それが何よりもの(笑)私の救いになります。
いつも笑顔でいてください、、御令嬢。
〈17/5/12其の一、におきまして 「御両親の御潔白を裏付ける様な事実が幾つもあります。 いつか書かせて頂きます。」 と記しましたが、、事情がありまして取り止めとさせて頂きたいと思います。御免なさい。 ただ、御両親の御潔白は本当のことだろう、、と本心では思って居ります。〉
御令嬢、、
(この呼び方は御嫌でしょうか? 笑)
昨夜は早く眠りましたか?
体は大切に。。
本音では、、御両親を「完全に」疑っている訳では「決して」ありません。
むしろ、御両親の御潔白を裏付ける様な事実が幾つもあります。 いつか書かせて頂きます。
それでは、今日も一日笑顔でいらしてください。
(そうして頂けたら私も笑顔でおられます。 キザですが 笑笑、本音です。)
御令嬢、、
貴女様の御家が深い大きな事情を抱えていらっしゃることは、「本当は」よく解って居ります。
この事件は非常にスケールの大きなものでして、、私なぞには解らないことだらけです。
ただ、、何時倒れて寝たきりになるか解らないこともままあり、母が健康を害されることへの苛立ちなどもあり、また貴女へ暖かいことを書きますと途端に殴る蹴るされますこともあり(笑)、、害意に満ち満ちた言葉を連ねますことがよくありますことへ、御理解賜れるならば幸いです。
しかし、、令嬢らの悪口を書きますことは実に体に堪えますな(笑笑)。
貴女のやっていらっしゃることには、本当は毎日感謝を心からして居ります。真に嬉しく思って居ります。
色々なことがありましたが、、あの場で貴女に出会えて良かったな、、と素直に心から感じて居ります。
これが私の本心であります。
また殴る蹴るされるかな?
そしてまた某御家に悪口を書き出すのかな?(笑)
令嬢、、体には気をつけて。。
日々の幸いを祈ります。
未だ酷く私を苦しめることが続いている。
ならば、一歩踏み込むことを私もまたしよう。
(嫌な作業は一時に早く済ませたいのだ)
仮になのだが、、令嬢の両親が令嬢と私との関係を認める、と言っていたとしても私はそれを絶対的に信じない。
将来身内になる人間に対し、これだけ凄まじいことを行っていながら、ごく小さな謝罪すらしないで果して済ませられるものだろうか?
それがない理由は簡単なものであり、、実際は将来身内になるなぞとは微塵も両親は考えてはいないからなのである。
誰が見ても何時死亡するか解らない状況に私は置かれている。
当たり前なのだが、いざ死亡したならば永遠に謝罪の機会は失われてしまう。
身内である者に対し、どんな人であっても「万難を排してでも」謝罪行為を成そうとするであろう。
財閥家はこう言うかも知れない。 「この事件は余りに危険。だから妙な動きができないのだ。」
私だったらこうする。
渋谷・新宿と言った処に今、居場所もなく彷徨っている若者が沢山いる。公園などで虚ろに座っている若者もいる。
彼らの一人に数万円前金後金に分けて支払をし、「この住所氏名に宛てて、この住所氏名から物を送って貰いたい。」と依頼をするのである。
(勿論、贈り主の住所氏名は架空のものとする)
そして彼を百貨店に向かわせ指定の物を贈らせるのである。
こんな安全かつ美味い話に乗らない若者の方が珍しいのだ。
若者を防犯カメラ動画を元に大々的に警察が捜査を行ない、その者を特定でき、若者の供述に基づいて・・・
この様な馬鹿馬鹿しいことを実際に警察が行うかどうかは別問題として、若者に依頼した者はこんな軽犯罪的なことで、果たして財閥家からの依頼だと本当に供述を行うであろうか?
仮に財閥家の依頼だと解ったとしても、妙な話を本人から聞き及んだのでせめて、と思い物を贈っただけだ、で済むことであり、、何にせよリスクとしては相当に小さなものに過ぎない。
それよりも私と令嬢との関係が悪化したりするリスクの方が、比較すれば遥かに大きいのである。
この小さなリスクを何故財閥家が乗り越えようとしないのか、、と問えば冒頭の疑問に帰るのであり、財閥家は、令嬢の両親は、、令嬢と私との関係を認めようなどという気は更々ない、との結論に再び立ち返るだけなのである。
仮に令嬢の両親がその様な言動を取っているとしたとしても、、それはどこまでも大切な娘であるところの令嬢の気持ちを安んじたいが為なのであり、それ以外の何物でもないのである。
この家から人間扱いをされなかったどころか、虫けら以下の扱いを多年に渡り受けて来た私が厳しい言辞を吐くことに対し、少なからぬ人達に御理解を頂けることだろうと私は思っている。
『御前には人を信じる力が欠けている』、、と一部の人は私を非難するかも知れない。
しかし、かく場合に人を信じるなどと言っている者は、、単なる世間知らずの馬鹿だ、、と私は断言して憚らないものがある。
最後に、、 財閥家からごく僅かでも謝罪もしくはそれを推測させる様な行為があったとしたら、、過ち多き人間同士、全て水に流し忘却の海に沈めることを私は絶対にしていたことでしょう。。
先程、ああいった記事を公開して後にも、君らはそうやって延々と電磁波だ湿気だ、などとやって止めようともしない。
── 毎日毎日だ。
『1007号室女を退去させる為』、、この美名の下に毎日毎日私や母を極めて長時間苦しめる。
ところが、これは美名だけあって「嘘」だ。丸っきりの嘘。
この1007号室女に何をしたって無駄なのは、君らが一番よく知っている。
夫を、近しい親戚でもある夫を、生きながらにして指を切り耳を削ぎ鼻を削ぎ、してもこの女は聞く耳を全く持たなかった。
本当の目的は、、『令嬢を納得させるため』。
私の為、では勿論ないし、事件解決の為でもない。
どこまでもどこまでも「令嬢の」為。
だから完璧に「無駄な」1007号室への出入りを毎日毎日繰り返す。
ついでにもう一つの目的である私を殺害したり重症に追い込む為、出入りを守るのだ、と言って朝から晩まで苦しめる。
恐らく六本木ヒルズだろうマンションに孫と共に暮らしながら、その悲報を心待ちにしているのだ。
季節が変り・・
今度は湿気だ暑さだ、、、そうやって私を一日中苦しめて・・母の健康も奪って・・
これで何日目なのだ?
相変わらず床を拭けば、赤い染料の様なものが布に毎日付いてくる。
令嬢だ何だに「情」で引きずられるチョロイ相手なんだろう?
但し、、 それは本当なのか?
勝手に貴方達が決め付けた私の人物像なのではないか?
なぜ私が「情」とやらに何時までも引きずられていなければならないのだ?
なぁ「仲介役」の奴?
御前、、本当はここで起こっていたことを知っていただろう?
それを「上」の方に連絡もしていたのだろう?
正直に言えよ、貴様。
惨殺されたバカ夫が「アイツの歯が抜きたいんだけど」、、こういった要望を出すと約二週間から一ヶ月で次々と願いが叶う。
そんな技術をチャイナが持っている訳がないだろうが。
仲介役、、貴様がその技術を問い合わせていたのだろう?
そして当然のことながらそれを「上」は了承していた。だから次々と高度機密技術が提供をされた。
ここでの大惨状を「上」とやらは知っていた。
知っていて止めるどころか、どんどん惨禍を拡げて行ったのだ。
私を舐めに舐めているのだろう?
なら私もつまらない人間になる。つまらない自慢とやらをしようではないか?
桂台の矢沢小学校近くの広めの道路。
あそこらは熟知しているに違いないから、これで解るよな?
ここの住宅街は湘南に近く最強クラスの暴走族の連中の拠点が幾つかあったのだ。
後に警察が機動隊の車輌・パトカー十数台・放水車まで投入して、彼らを鎮圧する大騒ぎが起こった程の場所。
この広めの道路に彼ら最強暴走族が二百名近く座り込んで占拠をしていた。
次々と車はUターンをし、人も帰っていった。
私はそこを一人で「普通に」歩いただけで、彼らは黙って道を小さく開け、私はそこを普通に通り過ぎた。
途中、何か言われたり果ては殴りかけられたりするのか、と思ったら何も起こらず、私は静けさの中「普通に」歩いて通った。
以上、嘘ではない。神様に誓って本当の話し。
確か令嬢と出会った年のことだったと思う。
大久保利春氏の御子さんも通っていた九段中学。隣の敷地はフィリピン大使公邸でオノヨーコ氏が幼少期を過ごした邸宅跡。
女性の社会進出が困難な時代であり息子さんを後継者にと考えていた田中角栄氏が、どうしてもここで息子さんに教育を受けさせたいと直接御自身が校長室に乗り込んで来られたことが半ば伝説の様に我々学生の間で語られ、校長室には角栄氏の立派な揮毫が飾ってあった。
この学校に私も通っていたのだが中学三年の時に自他共に学年ナンバーワンを認められる男がいた。
学業成績は抜群。全国で二十番内に年中入る人だった。男っぽく番長肌であり、中年の親父の様に見えた。体格がよく文武両道でもある。やはり傲慢不遜な感じではあった(笑)。
この人が一度も口を利いたことがないのに、廊下の長い先で私を見かけると必ずペコリと頭を下げてくれるのだ。私も当然、丁寧に下げ返すのだが、奇妙なことだ、とよく思っていた。
この人は「仲」という姓なのだが、、ある時仲良くしている仲君のクラスの同級生がニコニコしてやって来て言うには、、「なぁ文太・・仲がなぁ、、この学年で自分は怖い人間は一人もいないけれども、文太、御前のことだけは怖い、と年中仲が言っているんだ。」
私の感動が解るであろうか?私は心から仲君のことを尊敬していたから・・
彼は結局、卒業の年の冬に自宅の火事で亡くなってしまった。受験直前であったが三日間くらい勉強が全く手につかなくなってしまった。
彼は高級官僚志望の人だった。彼のとても小さな墓を前にした時の気持ちは・・。
この事件の最初の頃、、何度も彼のことを思い出した。
彼は町の小さな電気屋さんの息子さん、だった。