雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

まごーん(中の人)が独りでぼちぼち呟く。

木津川ぶらり

2021年02月28日 00時52分00秒 | 旅行
2月もいよいよ終わりです。まごーんです。

今月、木津川市へ寺社仏閣巡りをして行きました。いろいろ紹介します。








まずは、駅から1番遠い目的地、新殿神社へ行きました。同神社は、当初は牛頭天王(写真1枚目のとこにある石燈籠にも彫られている)を祀っていましたが、明治の神仏排斥で現在の祭神となりました。

ここにある十三重塔は延徳3(1491)年の銘文があり、重要文化財に指定されています。
なお、神社本殿も今年に府指定文化財になりました(『京都府の文化財 38集』

同神社には医王寺という寺の跡地も残っており、現在も地域の人のお供えがありました。


↑医王寺跡にあった古そうな基壇

次に和泉式部の墓へ






一応、お堂(写真上)がありますが、全体的な施設名は不明です。和泉式部の墓は全国にあるようです。

次は正覚寺さんへ。








ここには、「洪水供養石仏」という仏様があります。文亀3(1503)年の板碑もあります。

この次は木津駅へ戻って、一旦越えて東山墓地へ




ここには文明年間のお地蔵様や、室町時代の五輪塔があり、学術的価値が高いものは整理されております。

最後に木津城跡経由で大仏鉄道の跡地を見学して帰路につきました。



木津城の空堀




大仏鉄道路線の下にあるトンネル(手前)や、橋(奥)

以上



これは途中であった、鎌倉後期の宝篋印塔の笠。あたまの上の部分がモコってしてるのが2例しかないらしいです。


熊野三山へ行ってきました

2020年04月30日 21時56分00秒 | 旅行
しばらく様で。めっきり忙しくて、さらにコロナでどこにも行けず、ようやく投稿です。3月は熊野三山へ行きました。


まずは、熊野へ行く前に湯峯温泉へ一白しました。ここは世界遺産の温泉地で、日本最古の一つに数えられています。
「つぼ湯」という温泉のほか、薬師湯と一般湯の外湯があります。殆どが民宿というのは珍しいと思いました。


一泊したのち、熊野本宮大社へ。総理大臣を務めた近衛文麿の揮毫した旧社標がありました。ちなみに本宮宮司は旧九鬼子爵家の人が就いています。







厳かで重厚な建築です。

次に速玉大社は行きました。足利義満奉納の宝物があるらしく、楽しみにしていましたが、閉鎖?していたので見学できず…残念でした。




こちらは朱塗りの明るい雰囲気です。


新宮城にも立ち寄りました。石垣がなかなか良い感じで、雰囲気が松坂城を彷彿させました。

しかも真下に電車が走っているんですね!珍しいです。


最後に那智大社へいきました。途中で熊野古道を渡ったのですが、思ったより急で汗だらだらになりました。ここまで来るところで息絶え絶えです。


こちらも朱塗りです。

那智滝も見ましたが、滝の音がすごく響いているのには驚きました。かなり遠くからも聞こえるとは…!

というわけで、また駆け足の投稿です。来月はまた史料かなにか投稿したいと思ってます…。
ギリギリ4月投稿でした。


出雲旅行

2019年10月10日 02時09分02秒 | 旅行
すっかり寒くなりましたが、いかがお過ごしでしょうか。
またしても先月投稿し忘れました。

先月、出雲国こと島根県へ旅行したので、簡単なまとめをここにあげます。

行きは夜行バスで益田まで行きました。益田は中世に益田氏の本拠地でした。


そのまま電車に乗り、山陰本線を経て出雲市まで行きました(海が綺麗でした)


出雲へ来たならと、旧大社駅と出雲大社を見学。伊東忠太の勅使殿など近代建築も堪能しました。



帰りは、初めての電車寝台、サンライズ出雲に乗って東京へ帰りました。


今月もまた島根県松江市に行くのですが、今度は行きも帰りも寝台列車にしました。夜行バスでは死ぬということがはっきりしましたので…。

それでは、皆様風邪を引かれないよう御自愛ください。まごーんでした。

6月旅行まとめ

2019年06月30日 20時37分47秒 | 旅行
今月は色々なところへ行きましたので、備忘録的に書いていこうと思います。


↑旧豊川海軍工廠工場(陸上自衛隊豊川駐屯地内)
6月頭は、豊川駐屯地と豊川海軍工廠跡地の見学に行きました。豊川海軍工廠は機銃弾薬の生産工場として稼働し東洋1とさえ言われた工場でした。
現在は、一部が平和公園となって、かつての信管置き場や防空壕を見ることができます。


↑6月中頃には上田へ。塩田流北条氏の菩提寺、龍光院を見学。

↑鎌倉幕府連署を務めた塩田流の祖・北条義政の墓

↑塩田城の主郭にある、北条陸奥守の墓(左端)

塩田の北条義政は、元寇時の連署で、北条時宗を補佐しました。


↑上田のあと、伊勢崎市へ。群馬最古の木造建築である伊勢崎藩稲垣陣屋門

↑旧黒羽根医院

伊勢崎では陣屋門と、伊勢崎城などを見学。


↑続いて太田市へ。金山図書館は同市唯一の公共洋風建築

↑近くには太田市尋常高等小学校の正門がそのまま残っていました。



↑そのまま大光院へ、新田義重の宝篋印塔を見学。このあと、奥の金龍禅寺も見学。


↑その足で下野の足利学校と足利邸を見学
↑足利邸


↑6月下旬にはやまぐち号(一等車)へ乗り、新山口から津和野まで


↑大雨のなか、津和野城を見学。この日は3人くらいしか来なかったとのこと。
津和野では郷土館。八幡宮や、太皷谷稲成神社なども見学。


↑翌日山口へ。大内氏館跡や、毛利元就の菩提寺、瑠璃光寺、憲政記念館などを見学。


↑沈柳亭から見た瑠璃光寺五重塔

6月はこんな感じで東へ西へ大忙しでした。

この合間にも、トルコの至宝展や、知られざる大和文華館展なども、見学しました。


↑京都のトルコの至宝展

↑大和文華館にある奈良ホテルラウンジ


↑神戸の異人館(某アニメの遠坂邸)にも見学




荒木貞夫終焉の地

2019年05月26日 23時27分56秒 | 旅行
こんにちは。
本日、5月26日は陸軍大将男爵の荒木貞夫が生まれた日です。

↑講演をする荒木貞夫。荒木は陸軍軍人として陸軍大臣を務め、軍人には珍しく文部大臣も務めた。皇道派の首領として、真崎甚三郎とともに語られることもあります。

というわけで、今月頭に、荒木貞夫終焉の地である、十津川村へ行ってきました。



十津川村役場バス停からすぐ近くに「荒木貞夫終焉之地」石碑があります。

荒木は、最晩年に十津川村に招待されて、この地を訪れました。幕末に起こった天誅組事件と、自身が陸軍を退くことになる二・二六事件が酷似しているとの関心から、舞台の十津川村への調査の念願を待っていたということです。
10月31日に来村し、11月1日、旅館「十津川荘」にて亡くなりました。


十津川歴史民俗資料館の二階には、荒木の恩賜の軍刀が展示されています(御賜のハバキはみられませんでした)。

二階は撮影禁止なので、実物を見たい方は、是非十津川へ。

それではまた来月。

参考文献
・勝又毅「荒木貞夫終焉之地碑」『十津川巡り』、十津川村教育委員会、1992年、46頁。

・十津川探検(http://www.totsukawa-nara.ed.jp/bridge/guide/around/ar_c12.htm)
閲覧日2019/5/26