雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

まごーん(中の人)が独りでぼちぼち呟く。

あゝ、二つの國民政府~中華民国南京政府~

2014年02月23日 21時31分54秒 | 中華民国南京政府
こんばんは、夜は寒くて震えるまごーんです。
ネタがないのはいつものこと。しかし、わたしには歴史という話のタネがある!
ということで(どういうことかは気にしない)今回は中華民国南京政府、いわゆる汪精衛政権についてかる~くお話しようと思います。
先ず、中華民国と言われても分からない人も多いと思います。一般的な中華民国は孫文(ソンウェン・そんぶん)が1912年1月1日に成立させた国家です。
これは現在も続いていて今の台湾です。観光地ですね。
学校で習うのは蒋介石(ジャンジェンシー・しょうかいせき)の頃が殆どでしょう。
しかし、私が話したいのは蒋介石ではなく、汪精衛(ワンジャオミン・おうせいえい)の中華民国です。これも話すと長いのでぶつ切りにして話して行こうと思います。
本日はここまで、長々話すと飽きちゃうしね。 (´・ω・`)

こちらが南京政府の国旗。上に載ってる和平・反共・建國は南京政府の標語である。

収集品をネット展示してみる(早雲寺殿廿一箇条)

2014年02月22日 22時53分45秒 | 収集品
こんばんはーん。まごーんやー。
今日も収集品をあげます。
今回は室町期から戦国草創にあたるもの。

早雲寺殿廿一箇条(復刻・原本は国立公文書館所蔵)です。
この書状は江戸時代の盲人学者、塙保己一が編纂した国書の叢書である「群書類従」に記してあったものです。
北条早雲(伊勢宗瑞)が伊豆を手中にした頃に作成し、子孫が手を加え完成したもので、戦国大名が残した家訓の代表格として知られます。
内容は早寝早起き、倹約の推奨のほか「廊下で噂話する者の周りにいないように。そのような雑談で笑っていると同輩などに見限られるぞ」と、現代でも役に立つことが書いてあります。
早雲の死後。子孫たちはこの家訓を守りながら、北条五代百年の繁栄を築いていったのです。

降る雪や明治は遠くなりにけり(明治村へ行きました)

2014年02月21日 18時45分46秒 | 旅行
降る雪や 明治は遠く なりにけり
───中村草田男───
ども、まごーんです。
この句は明治34年にうまれた草田男が昭和6年に詠んだものです。
今や明治どころか昭和の時代も歴史となりつつある平成の世。一体明治とは如何なる時代だったのか?と少しでも感じ取る為に、今日は愛知県犬山市にある博物館明治村にやって来たんやでー。
ホンマは写真全部あげたいけどそれは無理なので…適度に絞ってお送りしたいと思います。

まずはこれに乗りました。12号機関車ですね。うしろには三等客車が3輌連結してます。中々車内は快適でした。

次は此方。歩兵第六連隊宿舎。これは名古屋城内にあったやつで中には中隊長室などが展示されてます。三八式歩兵銃も

この通り並んでます。全部ホンモノです(菊の御紋はなかったです…)。
つぎ!つぎはこちら!

「最後の元老」西園寺公望の別邸・坐漁荘です…が、こちらは平成24年から修繕中なので入れません ( ˘ω˘ )がっくりやで、ホンマ…というか広い

こちらも坐漁荘。写真は幸田露伴宅から撮影しました。

こちらが幸田露伴宅。天井が低いのです。私は164そこらなので165センチの幸田露伴とほぼ身長が同じなんですが、階段で頭打ちました。
つぎはこちら

西郷隆盛の弟、西郷従道邸です。元々は奥に和風の建物があり、繋がってたのですが、戦火で焼失したとのこと。明治天皇はそちらにお越しになったようです。なので残った洋風の建物だけ移築したようです。

これは邸内1階の会議室です。なんとこの椅子は赤坂離宮。燭台は明治宮殿(戦火で焼失)にあったやつなんです!←大興奮。
つぎに邸内2階(こちらはガイドさんが居ないと入れません)

こちらの椅子は鹿鳴館のもので座って良いらしいので座りましたがフッカフカです。椅子には竜紋があしらわれており、張り替えたそうですが、糸から全て同んなじ材質だそうです。奥のピアノは明治宮殿にあったものです。

同んなじ部屋にある暖炉ですが、これは何が描いてあるかわかりますか?
こちらは日本三景が描かれているのです。そのうち二つは世界遺産ですなぁ。
ホイ次!
こちらは学習院長の官舎です。かの有名な乃木希典や、山梨勝之進らが執務してたのです(11代目から住居も兼用してました)。
こちらは建物内自体にガイドさんが居ないと入れないので、私は寒風吹く中待ちました。

そしてこちらが執務室。乃木さんや山梨さんがここで執務されておられたのです (゜Д゜≡゜Д゜) やばぁい!ふへへ!←

こちらが一階の和室。こちらは住居用になってたそうです。あと、幸田露伴宅と比べて天井が高いです。何故ならこの上が洋間の会議室なので、高いそうです。

階段上がったとこ。右は和室。左は会議室。少し会議室のが高いのがわかります。

こちらが会議室。ここで乃木や山梨(ry
この建物のガラスは(従道邸もですが)明治42年に建てられたのでガラスはフランスから輸入したのだそうです。ガラスに映る景色が波打ってるんですね~。これは実際に来てみたら分かりやすいです。
えー…ホントはもっとあるんです。ですが、ここまで!あとは自分で行って!(`・ω・´)

あ、そうそう。お土産だけ載せとくわ。

尾西鐵道滊車發着時刻表(真ん中・右は中身)と帝国ホテル中央玄関復原記です。時刻表は200円、復原記は945円でした。左上のは明治浪漫募金という一口500円の募金の記念品とバッジです。微力ながら募金させていただきました。

収集品をネット展示してみる(勲章)

2014年02月20日 19時18分39秒 | 収集品
こんばんは、まごーんです。
早々にネタ切れです()
なので今日も収集品をあげます。

今回は勲章です。これは旭日章に分類される勲八等白色桐葉章というやつです。流通も多く、ヤフオクとかでも500~1000円くらいで手に入ります。
そう聞くと「当時も案外簡単に手に入るんだ」と思われますが、実はそうではありません。
当時の勲八等というのは小学校校長や警察官などが多年の功績を認められて授与されるものです(軍隊は別ですがまたの機会に)。
なので手に入れる時などは.oO(かつては苦労して手に入れたんだ)、と少しでも思っていただければと思います。


収集品をネット展示してみる(陸軍将官写真)

2014年02月19日 20時28分05秒 | 収集品
こんばんは、まごーんや
ブログ開設3日目、本日は念願の収集品のネット展示を開始するんよ。
小さいころからかれこれ6年…コツコツ貯めてきたのでちょこっと展示するわ~
最初に展示するのはこちら

今日手に入れた、陸軍将官の写真3枚です。
元は陸軍歩兵学校のアルバムからの剥ぎ取り品らしいです。
右から
末藤知文陸軍中将
中永太郎陸軍少将(のち中将)
重信吉固陸軍大佐(のち少将)
です。
昭和史に興味がある方なら真ん中の中少将をご存知の方が多いかと思われます。彼はインパール作戦時の緬甸(ビルマ)方面軍参謀長でした。
これからもちょこちょこ展示してきますので、よろしくお願い致します。