雑賀孫市(まごーん)の中の人ブログ

まごーん(中の人)が独りでぼちぼち呟く。

織田信奈の野望全国版11を買ったで!

2014年04月19日 15時37分09秒 | 織田信奈の野望
どもー。まごーんや!今日はなんと!
織田信奈の野望全国版を買ってきたで!
前巻が孫ちゃんのえーとこで終わってもうたからなー。もう気になって気になって…。
表紙の小早川隆景はえらいデレてまんね。なんやろね、この子。孫ちゃんのほうがかわええで←
内容はネタバレになるから言わんけど、孫ちゃんが八咫烏好きやねんっちゅーことはよーわかったわ。
まだ、買ってないそこのあなた!今すぐ書店へ!
あと!そろそろ真田とかでないかな!(意味不

収集品をネット展示してみる~帝都復興記念章~

2014年04月12日 20時37分32秒 | 収集品
こんばー。まごーんやでー。今日届きました帝都復興記念章を紹介します。
こちらが帝都復興記念章です。

この章の他にも明治27年戦役従軍記章と日本赤十字社特別社員章もセットで手にいれました。こちらもおいおい紹介します。一緒についてた紙片から所有者はSさんで、多分、全てS氏が佩用してた物です。
この帝都復興記念章は関東大震災で被害にあったあとの帝都の復興に従事した者に授与された物で数は少ないです。少なくとも当時内閣だった山本権兵衛内閣の閣僚には配られており、アジア歴史資料センターにも、授与者の名簿が公開されております。

こちらは山本権兵衛の晩年ですが、どこに帝都復興記念章がついているかわかりません。
なんとか、佩用している写真はないかと探してみるとありました。寺井順一さんの著書「苦悩の蔵相たち(霞出版社)」の表紙の

こちら。右の胸にある右から三番目。これが帝都復興記念章ですね。写真は青木一男(恐らくは企画院次長時代だと思いますが)です。
前も勲一等瑞宝章略綬でも出て来ましたが、青木一男好きなんです。私。

対日協力政権銀行券シリーズ第三弾・中華民国臨時政府

2014年04月11日 19時55分08秒 | 収集品
どーも、まごーんです。今日は中華民国臨時政府の紙幣を紹介しますわ。

こちらが、臨時政府の中央銀行券。中国準備連合銀行券。上が百圓札のピン札。そして下が壹角札です。百圓札は儲備券の500圓札並にデカイです。何故こんなに大きくしたのだろうか?私には皆目見当がつきません。

奈良の城跡~超昇寺城~

2014年04月10日 09時51分06秒 | 旅行
おはよ、まごーんよ。
今日もこの前の興福寺行ったついでに行った佐紀城の行ったついでに行った超昇寺城のことをあげるで(ややこし)
超昇寺城は大和国の超昇寺の僧が武士化した超昇寺氏の本拠地です。室町後期~戦国期では公家や僧の武士化も例があり、中には大名として一国を支配した者もおります。例としては藤原五摂家の名門・一条氏が四国に一定の勢力を保持しており、また、藤原堂上家の名門・西園寺氏(同族の子孫には西園寺公望がいますね)などが同じく四国に勢力を持つなど、まさに実力派がのし上がる時代でした。
さて、この超昇寺城はさきの佐紀城から僅か200mしか離れておらず、セットで見ることをオススメしたいのですが…個人的にはオススメできません。何故なら、この超昇寺城、竹薮が凄いです。

超昇寺城の外郭の部分。
中はこんな感じで外から見ると全然入れる気配がありません。
別のサイトで西の土橋から入りやすいよ~。と書いてあり、地図を頼りに行くと…
土橋です。これだけ見ると入りやすいかと思われますが、その手前が竹の壁です。ちょっと苦労します。
超昇寺城は主に主郭、外郭の二構成で成り立つシンプルな戦国期の城です。この城は大和の北街道に位置するので、何度か史料に登場します。
また、空堀はかなり広く目測で3~4mぐらいはありました。隣に池があり、昔は水堀だったと考えられます。

土橋(入口)からみて右の空堀。ほとんど竹!ですが、なんとかわかるでしょうか…?これは実際に行けばわかりやすいです。二次元と三次元の限界…。

次に東側にある、櫓跡の土塁。空堀から見ました。この土塁もかなり高さがあります。

左から右にかけて、主郭土塁~空堀~櫓跡(外郭土塁)です。

んで、これが主郭土塁。その奥には住宅がたっており、そこも郭があったと考えられます。
以上です。お手製の見取り図書きましたので参考になれば

奈良の城跡~佐紀城~

2014年04月09日 18時23分24秒 | 旅行
こんばーんは!まごーんや!今日は興福寺行ったついでに行った佐紀城(さきじょう)の画像でもあげる。
佐紀城は平安時代に築かれた佐紀神社のところに築城され、大和国の国人、超昇寺氏の出城として機能しました。

佐紀城入り口付近の案内板。
佐紀城は出城としてもかなり狭いと感じました。城の周りは土塁で囲まれているのがすぐわかり、主郭と櫓、そして東側に副郭が存在し、その間に空堀がありますわ。

櫓跡の土塁ですが、わかりますかね…?

こっちの方が土塁と空堀があるのがわかりやすいかも知れません。

こちらが主郭付近。左には佐紀神社があります。
住宅地にあって城跡としての遺構が残っているので楽しめます。また、訪問も用意です。