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この作品の中に100号サイズの油絵があります。
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「上人がここを去るとき、このうつろに自刻像を置き、
再び600年後に現れる、と言い残して去った」
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「木喰上人(もくじきしょうにん)」とは誰?
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甲斐の国(山梨県)生まれ。
14歳で家を出て22歳の時、神奈川県の大山不動で出家。
「遊行僧(ゆうぎょうそう)」として廻国修行のため、全国行脚の旅にでる。
訪れた先々で「木喰仏」を刻む。
61歳~91歳まで制作を続けた。
超簡単に書きましたが、そういう人。
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人の世の移ろいを見続けてきましたが、
現在、この木に自刻像はなく、うつろだけがポッカリあいています。
いつの間にか誰かが持ち去ったんでしょうかね…
そろそろ紅葉の季節。
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敷地内の国分寺で住職をしていた木喰上人は、寛政九年(1797年)にここを去ります。
その200年後、平成8年(1996年)に、建てられたものです。
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本当に手作業なのか、木なのかと思うほど、なめらかな線と大きさに、
ホ~ッとしばらく動けませんでした。
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年表を見ると、すぐに頭痛が…
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歴史は年表から入ってはイケナイと思うほど、苦手でして。
でも、ブログの担当上、知らいままという訳にもいかず、行ってみました。
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「仏教による国家の鎮護の方針」のもと、
国ごとに建築されたものの一つ。
木喰上人は(僧侶となり)天明八年(1788年)70歳のとき、
日向国分寺に着き、村人に請われて住職を約9年務めます。
その間、寺は火災にて焼失。
木喰上人は、すでに71という年齢でありながら五智如来坐像を彫りはじめたとのこと。
稚児ケ池に、楠の木の丸太を浮かべ、ころがしながら彫ったとあります。
やがて時は流れ、明治元年です。
仏法を「廃仏毀釈(きしゃく)」の「神仏分離令」が出されました。
これによって国々の寺は破壊され、仏像も壊されていきますが、
日向国分寺の五智如来像は民家に移され、難をのがれたとのこと。
その美しさと慈悲のまなざしを今に伝えています。
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