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「洗脳された妻は娘を連れて消えた」いつの間にかマルチ商法にハマりやすい人の特徴

2021-02-02 15:30:00 | 日記

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身近で信頼できる人に誘われると深入りしやすい
マルチ商法の勧誘と言うとどういうシーンが思い浮かぶだろう?
ある日、しばらく連絡を取っていなかった友人から連絡が来る。久しぶりの再会に心がはずむ。そして会ってみると「かんたんに儲かるいい話がある」と話を切り出され、ガクッとしてしまった──。そんな経験のある人は、少なくないかもしれない。さらに最近ではSNSやマッチングアプリで知り合った人から勧誘されたという話も増えてきている。
行政や学校でも、こうした人たちからかけられる「誰でも」「かんたんに」「楽して稼げる」という言葉には気をつけましょうと、注意喚起をしている。しかし、身近で信頼できるように見える人から勧誘されることもめずらしくない。むしろ僕が聞いたり調べたりした範囲では、マルチ商法に深入りしてしまうケースほど、勧誘のきっかけは身近で信頼できるように見える人からだ。
僕の妻も、地域の民生委員を務める平泉さん(仮名)という身近な60代の女性からマルチ商法で有名なX社に勧誘された。
「トンデモ」を信じる人たち
当時の僕はX社のこともマルチ商法がどういうものかもよく知っていたわけではない。ただ良いイメージがなかったのは確かだった。
妻はX社のことを警戒している様子はまったくなく、むしろ「平泉さんと出会えてよかった!」という感じだった。
「白砂糖は麻薬だから子どもに食べさせてはいけない」「薬はリスクだから飲んではいけない!」そういう話を平泉さんがしてきて、もともとそういう話に強い興味があった妻は意気投合したらしい。
僕は不安になる一方で、「民生委員がマルチ商法など勧めてくるわけがない」という気持ちがあった。親身になってくれる民生委員が、たまたまX社の製品を使っている。それだけのことだと考えていた。
昨今では、「トンデモ」と呼ばれる情報が書籍やウェブを中心に溢れ、検索プラットフォームやブログサービスを提供する企業が対応策を取るなどの社会問題になりつつある。
こうした情報は医療・食・健康に関するものが多く、いずれも科学的な根拠がない。たとえば世界保健機関(WHO)は、2019年に注目される「世界の健康に対する10の脅威」のひとつとして、「ワクチン忌避」を挙げている。
身近で信頼のできる人や、一見、権威のありそうな専門家から「○○が危ない!」というメッセージが発せられると、根拠の有無に関係なく不安が喚起され、ふつうであれば信じないような情報を信じ込んでしまうことがあるのだ。残念ながら、これは家族や子どもの健康に気を配る親(特に母親)であればなおさらのことで、僕の妻もそのような母親のひとりだった。
もともと医療や食、健康に関心が高く、真偽が確かではない情報を信じ込みやすかった妻の目には、平泉さんが「質の高い情報」をたくさん知っている素敵な女性に映ったことだろう。
根拠のない「安全」に人は動く
マルチ商法にハマることと、「トンデモ」を信じることは別ではないか、と思うかもしれない。しかし、このふたつは密接につながっているというのが僕の実感だ。
マルチ商法が取り扱う製品の多くはサプリメント、プロテイン、調味料、空気清浄機、浄水器、洗剤といった健康食品や日用品である。そして、一般的に「トンデモ」と指摘される情報の多くも、医療や健康や食に関するものである。なかには規定に反した勧誘を行う会員がいるが、その場合、製品の優位性を説明するときに「トンデモ」が話に混じることがある。
「サプリを飲まなければ身体を壊す」「水道水をそのまま飲むのは自殺行為に等しい」。マルチ商法の製品を勧められるときにかけられるこうした言葉には、科学的な根拠の有無などない。普段、僕たちが当たり前に享受しているものが「本当に安全なのか」と疑問を突き付けられ、心が揺れたタイミングで「都合のいい解決策」が提示されるのだ。
いわば「トンデモ」は心を揺らすための道具として使われている。書籍やネットでよく知られた情報や、マルチ商法の会員のあいだでだけ使われる情報など、利用される「トンデモ」の種類は異なるが、こうした科学的に根拠のない説明がなされることがあるのが、悪質なマルチ商法勧誘の特徴である。
新築の家がX社製品で溢れかえる
同じように、僕がSNSのコミュニティを中心に調査したメモによれば、放射能、農薬、添加物、牛乳、トランス脂肪酸、ワクチン接種、薬を飲ませることなどが健康に悪いという情報が、日常的に会員同士で共有されていた。
妻も、そういった書籍やネットで得た「トンデモ」な知識を意気揚々と友人に話していたが「それ、おかしいんじゃない?」と眉を顰められ気を悪くしていることも多かった。
そこに現れたのが平泉さんだった。平泉さんは、妻のトンデモな話を否定することなく、「そうだね」「いっぱい勉強してえらいね」と寄り添って聞いてくれた唯一の人だったに違いない。平泉さんはこうして、妻にとって「自分は間違っていない」と認めてくれる存在になったのだ。そんな妻が、平泉さんを信頼し、平泉さんが勧めるマルチ商法に興味関心を強めていくのは自然なことだったのだろう。
このとき僕はまだ、妻がママ友や幼稚園のお母さんたちにも勧誘をしていたことを知らなかった。
妻がマルチ商法の製品を愛用していることに不安を覚えながらも、新築の家に引っ越した。新しい家に引っ越せば妻も良い方向に変わってくれるのではないか、X社もやめてくれるのではないかという期待があった。だが現実は逆だった。家のなかはX社製品で溢れかえった。僕と妻と娘と3人で布団を並べて寝ていたが、寝室に置かれた空気清浄機の音が我慢できず、僕は寝室を別にした。
そうやって僕の家庭はX社一色になっていった。
妻は古くからの友人やママ友にX社の勧誘をしていた
やがて、一日中妻の携帯の通知音が鳴るようになった。食事中も娘と3人でいるときも携帯の通知が鳴り、そのたびに返信している妻にイライラが募った。
その頃、妻は平泉さん以上に徹子さんという女性の話をよくするようになっていた。徹子さんも平泉さんと同じように、地域の民生委員をしている。とても素敵で元気で、60代には見えない尊敬できる女性だと。妻の話からは、平泉さんも徹子さんを尊敬していて、X社仲間のなかでも徹子さんのほうが平泉さんより上の指導的立場にあり、X社仲間のなかで教祖のような存在であることが窺えた。しだいに僕は、妻の変化には徹子さんが大きく関わっているのではないかと考えるようになった。
ある日、娘と散歩をしていたときに娘が「徹子さんは白い門の家に住んでいる」と話しはじめた。娘から妻が徹子さんや平泉さんの家によく行っていること。そこでX社の話をいつもしていたり、自己啓発セミナーを受けていることを聞いた。それまでは、せいぜい月に一度ぐらい、平泉さんの家の料理教室に行っているとしか思っていなかった。それが週に何度も通っていると。そして古くからの友人やママ友にX社の勧誘をしていることを知った。
製品を買っているだけで、誰かに勧めることはしていない。てっきりそう思い込んでいたが、僕がそうであってほしいと信じたかっただけなのかもしれない。
居ても立っても居られず、義姉に相談
冷蔵庫には、腐った食べものが目に付くようになった。僕のことはもちろん、娘のことも気に掛けなくなり、何か心ここにあらず、明らかにX社や、僕にはわからない何かに心をとらわれていた。口をついて出るのは、徹子さんへの強い憧れや、「トンデモ」な話題ばかりだった。
ある日の朝、僕が家を出るとき、妻のあまりの様子に「洗脳されてる?」と思わず口をついて出てしまった。妻は驚いた顔をしていたが、何も言い返さずきょとんとしていた。僕は黙って家を出て仕事に向かった。
もうX社製品にまみれた家にいることも、X社にハマり人格が一変した妻と一緒にいることもできなかった。これ以上、妻を嫌いになりたくなかった。僕は会社で寝泊まりするようになった。
妻がX社の製品を買っていること、様子がおかしいことは、ずっと夫婦の問題だと思っていたし、誰かに話すのは恥ずかしいという気持ちがあった。だが、僕は居ても立っても居られず、地方に暮らす義姉に相談のメールをした。「私、ズュータンの気持ち、よくわかります。うちに泊まりに来たときもずっとあれを食べてはいけない、これを食べると病気になるとか、そんな話ばかりされてゲンナリしました。X社の話もしていました。妹は洗脳されてると思いました」という返事が来た。
妻は平泉さんや徹子さんから聞いたことを鵜呑みにし、X社を信奉
その後、妻と数回メールのやりとりをした。妻のX社への強い気持ちを理解してあげあれなかったことを詫びた。そして僕もX社に興味があるから、平泉さんや徹子さんから聞いた知識を僕にも教えてほしいとお願いした。だが妻からの返信メールでは、平泉さんや徹子さんから聞いたことを鵜呑みにし、X社を信奉している様子が窺えた。
僕は反発してはいけないと気をつけながら、たとえばX社の空気清浄機だとセシウムが完璧に取れるとか、サプリメントやプロテインがうつ病やパニック障害に聞くとか、どんな成分が入っているのかとか、聞いたことが本当にそうなのか、平泉さんや徹子さんに確かめてほしい。もう少し科学的根拠を教えてほしいとメールをした。
すると「X社の人はそこまで細かいこと気にしない。X社が好き。それでOK! 60歳を過ぎても健康で綺麗な平泉さんや徹子さんを見れば、X社のすごさがわかると思います。私はX社を紳士的で素晴らしい会社だと思っています」という内容の返信が来た。それ以上会話を続けることができなかった。
ある日家に帰ると、妻と娘はいなくなっていた
家に帰らない僕に妻からメールが来て、娘が「パパどこ行ったの? パパと遊びたい」と言っていると言われた。僕は1カ月ぶりに家に帰った。妻と話しあい、娘が幼稚園を卒業したら離婚しようと決めた。それまでに妻は娘とふたりで暮らしていく準備をしたい。急に離婚してひとりで娘を育てていくのは自信がないと言われた。
ズュータン『妻がマルチ商法にハマって家庭崩壊した僕の話。』(ポプラ社)
だけどX社だらけの家で、人格の変わってしまった妻と一緒にいることは耐えられなかった。そして耐えられなくなった僕は、気づくとある朝「お願いだからX社をやめてくれ」と懇願していた。僕は「マルチ商法だろ!」と言ってはいけないことを言ってしまった。それに対して妻は「X社はただの通販だよ!」と反射的に強い口調で言い返してきた。
気づいたら僕は妻に頭突きをしていた。これまで手を出さないように気をつけていたが、頭が出てしまった。「出てってくれ! X社の製品も全部家から出してくれ!」。そう言い残し、僕は家を出た。
夜、家に帰ると、妻と娘の姿はどこにもなかった。X社の製品は、すべて家からなくなっていた。平泉さんとX社の仲間たちが家にやってきて、荷物を運び出していったことは察しがついた。他にすぐに家に来て荷物を運び出せる人は思い当たらなかったから。それ以来、妻と娘が帰ってくることはなかった。妻と娘が平泉さんの家で暮らしはじめたのを知ったのは、だいぶあとになってからだった。


《「山口百恵 1980.10.5 日本武道館」山口百恵と松田聖子の結婚で決定的に違ったものとは? アイドルと“結婚”というタブーの歴史

2021-02-02 13:30:00 | 日記

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40年前、人気絶頂の中での芸能界引退ということで、話題になったのが三浦友和さんとの結婚です。当時、アイドルにとっての結婚というのはある種の“タブー”でもあり、その結婚は、後のアイドル達にも大きな影響を与えることになりました。
 そんな「アイドルと結婚」というテーマを考察した近藤正高さんの記事を再公開します。
◆◆◆
 いまから40年前のきょう、1980年11月19日、歌手の山口百恵(当時21歳)が俳優・三浦友和(同28歳)と東京都港区の霊南坂教会で結婚式を挙げた。百恵はすでに10月5日の日本武道館でのファイナル・コンサートのラストで、ステージ上にマイクを置いてファンに別れを告げ、同月15日に所属事務所のホリプロの20周年記念式典で「いい日旅立ち」を歌ったのを最後に7年半の芸能活動にピリオドを打っていた。山口百恵 1978年撮影 コピーライトマーク文藝春秋
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 同年3月に彼女が婚約とともに引退を発表したとき、人気絶頂のさなかとあって、世間からは惜しむ声が上がった。他方で、フェミニズム運動を推進する女性たちからは、引退して家庭に入ることを「堕落」と決めつけた抗議の手紙も寄せられたという(※1)。日本武道館での山口百恵ラストコンサート コピーライトマーク文藝春秋
 それというのも、彼女の歌う「馬鹿にしないでよ」(「プレイバックPart2」)、「はっきりカタをつけてよ」(「絶体絶命」)、「いい加減にして、私あなたのママじゃない」(「ロックンロール・ウィドウ」)といった詞(いずれも作詞は阿木燿子)から、山口百恵=闘う女あるいは激しい女というイメージができていたからだ。
「人間らしさ」を選んだ山口百恵の結婚
 しかし、あとから振り返るなら、山口百恵の引退は、芸能界やマスコミといったシステムから解放されて「自分らしく」あるいは「人間らしく」生きる道を選んだ結果であったといえる。その証拠に、彼女は引退から4年後、自伝『蒼い時』のプロデューサーである残間里江子を相手にこんなことを話していた。

《私、昔から喝采ってとても不確かなものだと思っていたから、不確かさに支えられて生きていたあのころに比べれば、結婚してからの生活はとても確かで、人間についても、できごとにしても、結婚後知ったことのほうが何倍も印象深いの。つまるところ、あの七年半は今に到達するための通過地点というだけで、あの年月の中の私は何でもないことだったんじゃないかって気がしているの。今、ここにこうしていること、人間が生きてる意味ってそれだけだと思うのよね》(※1)いまでも俳優として活躍する夫の三浦友和 コピーライトマーク文藝春秋
 彼女のこうした選択は1977年に「普通の女の子に戻りたい」と宣言して翌年解散にいたった3人組のアイドルグループ・キャンディーズとも共通し、また、フェミニズムが目指すものともさほど隔たりはないはずだ。
山口百恵が結婚・引退を発表した翌月の1980年4月、18歳の新人歌手・松田聖子が、百恵と同じCBS・ソニー(現ソニー・ミュージックエンタテインメント)からシングル「裸足の季節」でデビューした。スタッフが「ポスト百恵」を明確に意識して世に送り出された聖子はこのあと、百恵の引退するまでの7ヵ月のあいだに、10月1日リリースの3rdシングル「風は秋色/Eighteen」が初めてオリコンチャートで1位となり、トップアイドルの交代を印象づけた。
百恵と対照的な結婚を選んだ松田聖子
 聖子は結婚にあたっても百恵とは対照的な道を選んだ。23歳だった1985年、俳優の神田正輝と結婚した彼女は、このあとも芸能界に残った。翌年には1児(現在、ミュージカル女優として活躍する神田沙也加)も儲け、やがて「ママドル」などと呼ばれるようになる。社会心理学者の小倉千加子は、フェミニズムの見地から百恵と聖子を論じた著書のなかで、次のように聖子の選択を評している。二度目の結婚会見ではウェディングドレスも披露した松田聖子 コピーライトマーク文藝春秋
《彼女は結婚したことで何も失うことはなかった。アイドルとして結婚して、アイドルのまま生活感を身にまとわず、沙也加を生んだのです。つまり、本名・神田法子になることを拒否して、「松田聖子」でいつづけた。/さらに言えば、結婚、出産という近代家庭制度の下で女性が享受できる全ての経験を積みながら、「芸能人・松田聖子」を延々とプロデュースし続けたともいえます。/これは、三浦友和と結婚した百恵が、引退を選んで家庭に入り、「芸能人・山口百恵」という存在をすべて三浦百恵に回収してしまったのとは、百八十度違います》(※2)
 ただ、結婚・出産を経た松田聖子がアイドルといえるかどうかは意見が分かれるところだろう。アイドルとは擬似恋愛の対象と定義するのであれば、彼女は結婚とともにそこから外れたといえる。また、その後のアメリカ進出などの展開からは、アイドルを脱してアーティストを志向するようになったと見ることもできる。1997年には神田正輝と離婚 コピーライトマーク文藝春秋
 90年代に入ると、バンドブームなどもあって、若い女性アイドルのアーティスト化が目立つようになり、「アイドル冬の時代」ともいわれる時期に入った。
 スーパーモンキーズというアイドルグループの一員としてデビューした安室奈美恵も、1995年にソロに転じてからは、アイドルというよりはアーティストと呼ぶにふさわしい活躍を示した。その安室は、20歳だった1997年に結婚とともに妊娠3ヵ月であることを発表し、世間を驚かせる。アイドルよりもアーティストのイメージの強い安室奈美恵 コピーライトマーク文藝春秋
 1年間の産休を経て復帰したが、デビューから26年が経った2018年に引退した。引退の理由に、声帯が限界に達して声がうまく出なくなったことをあげた彼女は、やはりアイドルではなくアーティストであり、アスリートにも近いものを感じさせた。
“ジャニーズ所属”でもアイドルと結婚した木村拓哉 
 結婚に関して新たな展開を見せたのは、女性アイドルより男性アイドルが先だった。いまから20年前の2000年12月、当時トップアイドルだったSMAPの木村拓哉(当時28歳)が、同じくアイドル出身の歌手の工藤静香(同30歳)と結婚した。これを皮切りに、その後、ジャニーズ事務所所属の現役アイドルの結婚は珍しいことではなくなる。
 この背景にはまず、アイドルグループの活動期間が、以前とくらべて圧倒的に延びたことが挙げられよう。木村が結婚した時点で、SMAPはすでに結成12年を迎えていた。10代でグループに入っても、10年以上も活動を続ければ当然、結婚適齢期に差しかかる。木村拓哉 2015年撮影 コピーライトマーク文藝春秋
 ファンからしてもずっと応援をするうちに、アイドルは単なる疑似恋愛の対象という次元を超えて、人生の一部ともいうべき存在となるのは自然だ。ここからファンもメンバーの結婚を受け入れる余地が生まれたといえる。
 同様の変化は、木村拓哉の結婚と前後して女性アイドルにも現れ始めていた。契機となったのは、1997年に結成されたモーニング娘。だ。
 彼女たちがその後のアイドル界に与えた影響は大きい。メンバーが入れ替わりながらも、グループ自体は継続するスタイルがアイドルの世界に定着したのもモーニング娘。からだろう。
 テレビ番組で、過酷な試練を与えられながら成長していくさまが逐一伝えられた点も特筆される。これによって、山口百恵や松田聖子の時代にはどこか世間と隔絶した雰囲気を漂わせていたアイドルの世界に、現実社会と地続きのリアリティが持ち込まれたからだ。モーニング娘。1期生で最年長だった“リーダー”中澤 コピーライトマーク文藝春秋
 さらにいえば、メンバーの年代の幅広さからいっても、モーニング娘。はほぼ前例がないグループだった。1期生の最年長の中澤裕子は、OLを経てグループに参加した時点で24歳になっていた。これに対して同期の最年少の福田明日香は当時まだ12歳だった。一回り近くも年齢が離れたメンバーが一緒に活動するアイドルグループなど前代未聞だろう。
 それまで女性アイドルが活動できるのは、10代からせいぜい20代前半までだったはずだが、中澤裕子は27歳までモーニング娘。に所属し、この前例をも打ち破った。グループ自体も、1期生が結成8年後に全員卒業したあとも存続し、長寿を保っている。こうして女性アイドルも、ファンにとって一緒に年齢を重ねていく「人生の一部」となっていった。
アイドル寿命の延びとファンの「結婚観」の変化
 いまでは、20代後半になってもグループにとどまるアイドルは珍しくない。去る10月に乃木坂46を卒業した白石麻衣はその時点で28歳だったし、AKB48では現役最年長の柏木由紀が今年29歳を迎えた。さらにここ数年、男性アイドルと同様に結婚し、ファンから祝福されるケースが女性アイドルにも出てくるようになった。
 昨年4月には、新潟のご当地アイドル・NegiccoのオリジナルメンバーであるNao☆(当時31歳)がバンド・空想委員会の岡田典之と、今年6月には同期のMegu(同31歳)がドラマーの山下賢と結婚した。Negiccoは楽曲のクオリティの高さや地元メーカーの切り餅のCMへの出演により、全国にファンを持つ。2003年結成で、活動歴はすでに15年を超える。NegiccoのNao☆ 本人のインスタグラムより
 2019年はNao☆のほかにも、9月にでんぱ組.incのメンバーの古川未鈴(年齢非公表)がマンガ家の麻生周一と、11月にグラビアアイドルの倉持由香(当時28歳)がプロゲーマーのふ~どと、それぞれ結婚を発表しており、ひとつの画期となった年だった。倉持由香と夫のふ~ど 本人のインスタグラムより
 アイドルの定義やファンとの関係は、ここまで書いてきたように、この40年間で大きく変わった。ただ、結婚を機に引退するにせよ活動を継続するにせよ、あるいはアイドルから別の分野に進むにせよ、その選択に、「自分らしく」「人間らしく」生きたいという動機付けが垣間見える点では、ここまで挙げたアイドルすべてに共通する。
 女性アイドルが現役のまま結婚するケースが、男性アイドルに遅れをとりながらも出てきたのには、女性全般を取り巻く社会環境の変化もあるのだろう。アイドルにかぎらず、かつて女性たちは学校を出て就職しても、結婚とともに退職を余儀なくされるのが普通だった。
 そうした風潮も80年代の男女雇用機会均等法の施行などもあって、徐々にではあるが変わっていった。アイドルもまた、女優などに進むためのひとつのステップではなく、それ自体を職業ととらえるなら、結婚しても活動を継続するのは何も不思議なことではない。
 前出の小倉千加子は、2012年に『松田聖子論』の増補版を上梓するにあたり、《百恵と聖子は対極にいたのではない。百恵の辿りついた地点から聖子は出発したのである。百恵から聖子はバトンを受け継いだに過ぎない。/女性は誰もみな同じである》と書いた(※2)。そのバトンは、聖子からさらに現在のアイドルにも引き継がれているに違いない


眞子さまご結婚なら、義母・佳代さんに「高級マンション」の可能性

2021-02-02 11:00:00 | 日記

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元皇族の結婚生活には想像以上のお金がかかる。賛否両論のなかで秋篠宮家の長女・眞子さまが小室圭さんと結婚なさったならば、小室家に対する“身の安全”の確保も求められるという。期せずして、結婚後の小室家には「セキュリティー万全の安心で快適な暮らし」が用意されることになりそうだ。
 結婚に何かとお金がかかるのは、皇族も一般家庭も変わらないが、やはりケタが違う。「3年前に行われるはずだった眞子さまの結婚披露宴には、上皇ご夫妻も出席予定だった」(皇室ジャーナリスト)というから、まずは式場選びから相応の格式が求められる。当時は、2005年に黒田清子さん(紀宮さま)夫妻が披露宴を行ったのと同じ、皇居に近い都心の一流ホテル「帝国ホテル」に予約が入っているとされた。
 結婚後はさらに物入りだ。
「降嫁後も常に元皇族としての『品位』が求められます。清子さんの場合もそうですが、皇室関係者が集まる場では相応の着物をお召しになっているし、事あるごとに必要なお礼品や盆暮れの挨拶の品ひとつとっても格調あるものを選んでいます。降嫁して一般人になったとはいえ、生活全般に、一般家庭では想像もつかない出費を覚悟しなければなりません」(宮内庁関係者)
 最も費用がかさむのがお住まいだろう。清子さんの住まいは結婚の翌年に購入した、都心の文教地区にある高級マンション。部屋は110平米の広いメゾネットタイプで、「購入価格は約1億円」(地元の不動産業者)という。
「ある程度の金額になるのは仕方ありません。一般人とはいえ清子さんは上皇陛下の長女ですから、セキュリティーの厳重さが第一の条件でした。マンションには敷地外から直接目に付かない駐車場があり、そこから居住フロアまでエレベーターで行ける構造になっていて、必要以上に人と顔を合わせずに済む。また、いざというときには警察が警備しやすくなければいけません。
 一昨年に結婚した高円宮家の三女・絢子さんは、表から車寄せが見えにくいことがマンション選びの条件だったそう。皇室行事に正装で外出するとき目立つことを避けたのでしょう」(皇室記者)
 親族の住まいにも気を配っている。黒田さんの母・寿美子さんは10年ほど前に購入した高級マンションに住んでいる。場所は黒田夫妻の自宅のすぐ近く。高齢の寿美子さんを近くで支えたいという清子さんの気持ちがあったそうだ。
「もちろん簡素な生活に徹していますが、品位や安全を守るために不可欠な出費を、清子さんの結婚時の一時金1億5000万円ほどや、黒田さんの東京都職員としての収入だけでまかなうのはかなり厳しい。国民には具体的に知る余地のないことですが、天皇家の私有財産のなかから、結婚後もサポートされてきたのでしょう」(前出・皇室ジャーナリスト)
 反対する声も多い眞子さまの結婚生活は、清子さんよりさらにお金がかかるという指摘がある。
「黒田家に比べて、眞子さまが嫁がれる小室家ははるかに生活のセキュリティー面で強化する必要があるでしょう。宮内庁への抗議が続く女性皇族の結婚は前代未聞。不測の事態に備えて、しばらくは新居の警察警備が必要不可欠な上、小室さんの親族の安全も確保しないと、取り返しのつかない事件も起きかねません」(警備関係者)
 眞子さまの“お義母さま”である佳代さんが現在暮らす神奈川県のマンションには、小室さんが留学したあとも監視カメラが複数設置され、24時間体制で警備が続いている。「眞子さまが嫁がれたら、佳代さんはさらにセキュリティー万全の高級マンションに住み替えざるを得ないだろう」(前出・警備関係者)という。
 生活費や大学の入学金さえ、知人の援助に頼らなければならなかった小室家が、眞子さまを迎えたとき、次はどこに頼るのか──。
「秋篠宮さまに毎年支給される皇族費は年間9150万円。皇族方の倹約精神は広く知られるところで、相当な預貯金があることが想定されます。現実的には、そこから小室家にかなりの金銭的援助がなされないと、生活が立ちゆかないのは明らかです。とはいえ、皇族の私的財産の具体的な使い道に公開の義務はないため、国民がそれを把握する術はありません」(前出・皇室ジャーナリスト)
 小室家にとって、結婚一時金1億5000万円程度を受け取るかどうかなど、現実には大した問題ではないといえるのだ。


「体が若返り、夜はぐっすり」ブラブラ歩きとは違う"正しい散歩"のコツ

2021-02-02 08:30:00 | 日記

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悩んで停滞するのではなく、ともかく動く
新年の始まり、すべては最初の一歩からという思いを込め、「歩く」をテーマに記事を届けたい。
以前、プロスキーヤーで冒険家の三浦雄一郎さんの長女、恵美里さんを取材したとき、「たとえ目的地が遠くても、踏み出さなければ近づきません」という言葉があった。常に山頂を目指す三浦ファミリーは、その最初の一歩を踏み出すことに躊躇がないのだ。悩んで停滞するのではなく、ともかく動くこと、歩くことを重視する。
恵美里さんはこうも話していた。
「人は何かをやろうとするとき、年だから、病気だからと、“できない理由”ならたくさん思い浮かぶんです。でも、父はいいます。“できる理由”を探すほうが人生は楽しい、と」
煮詰まったり、何かに悩んだりしたら歩いたほうがいいという。
知らないコースを歩いてみると脳の刺激になる
実際、歩くことは脳に刺激を与える。『たった5センチ歩幅を広げるだけで「元気に長生き」できる!』(サンマーク出版)の著者で、国立環境研究所主任研究員の谷口優氏によると「自分が歩いている姿を思い浮かべるだけで脳の血流量が増える」という。
「歩く動作は、歩いた道を覚える『記憶力』、自動車が近づいてきていないかなど、周辺に気を配る『注意力』、自分がどの方向に進んでいるかを把握する『視空間認知』など、複数の機能が必要になります。しかし、いつもの歩き慣れた道では駅の方向や道路の混雑状況などを知り尽くしているので、それほど脳のトレーニングにならないかもしれません」(谷口氏)
つまり、新しい道を歩けば、いろいろな方向に注意を払う必要があるため、頭を刺激することになるのだ。知らないコースを歩いてみよう。また、筋肉量が増える歩き方をマスターしたい。
フットワークが重くなるのは長年の筋肉減少の積み重ね
これまで約20年間で8700人以上に運動指導を行ってきた信州大学医学部特任教授の能勢博氏によると、「年を取って疲れやすくなったり、フットワークが重くなるのは長年の筋肉減少の積み重ね」だという。
たとえると、筋肉は車のエンジンの大きさで、脂肪は車に載せる荷物。筋肉は30歳を過ぎると年に1%ずつ減少していくが、脂肪は減っていかない。そのため運動習慣がない人は、筋肉が減るにつれて本来筋肉があった部分に脂肪が入り込む。見た目の体形は変わらなくても、体の内部では筋肉量が大幅に減少しているのだ。車でいうと、載せる荷物は増え続けるのに、エンジンは小さくなっていく状態といえる。
「顔にシワやたるみが出てくるのも、顔の筋肉が衰え、筋肉の上にのっている脂肪や皮膚を支えきれなくなることが一因。日常では最大体力の20~30%しか使わなくても生きていけるので、気づいたときには脂肪だらけで筋肉が少ない体になっています」(能勢氏)
ゴルフでも買い物に行くときでも、ブラブラ歩くのではダメ
30代以上で運動習慣が全くない人にお勧めなのは「インターバルウオーキング」だ。
「“ややキツイと感じるペースでの速歩き”と“ゆっくり歩き”を3分間ずつ交互に繰り返すのです。ややキツイというのは3分間歩いて息がはずむ程度。速歩きのときは大股で、ゆっくり歩きのときはいつもの歩幅で歩きましょう。ややキツイ速歩きのときは体を大きく動かすため、筋肉を構成する筋線維がわずかにダメージを受けます。それを修復する際、筋肉がより強く太くなるのです」(同)
能勢氏が、70歳の集団に1日30分のインターバルウオーキングを週4回、半年間実施したところ、実施前と比べて平均して20%体力が上昇するという結果だった。
「同様の運動を継続していると、80歳まで体力が落ちませんでした。一方で何も運動をしない群は70歳から80歳までの10年間で20%も体力が低下していたんです。運動をしている群とそうでない群で比較すると、その差は40%にもなります」(同)
インターバルウオーキングを5カ月間続けると、筋肉量が増え、それに伴って体力が向上して体が若返るという。夜にぐっすり眠れる、肌にハリが出る、脳の活性が上がって鬱々とする日々が減るなどの効果もある。
「ゴルフでも買い物に行くときでも、ブラブラ歩くのではなく『ゆっくり』と『ややキツイ』を交互に数分ずつ繰り返すんです。それだけで半年経つ頃には筋肉量が増えて持久力も向上します。もちろん、もっと体を鍛えたいときには、下半身を鍛えるスクワットや、上半身に効く腕立て伏せのような筋トレを取り入れてもいいでしょう」(同)
「安静は麻薬」という言葉の意味
もっと鍛えたい人だけでなく、歩くと腰や膝が痛くなる人も、まず筋トレをしてからウオーキングをするといい。
日本整形外科学会認定医で日本スポーツ協会認定医、松浦整形外科の井上留美子医師によると40歳を過ぎると歩行に必要な太ももや、股関節まわりの筋肉がどんどん退化していくという。
「昔と同じように歩けない、走れないのは下肢や体幹を支える腸腰筋群の筋力が低下し、背筋が萎縮・脂肪化してしまうからです。表に挙げた2つの筋トレを毎日少しずつでも続けていくと、股関節を上げやすくなり、歩くのが楽になると思います。また腰椎を前方に引く力がついて腰のS字がきれいに描け、姿勢が良くなりますね」
井上医師は患者を指導する際に、ある専門家が掲げた“安静は麻薬”という言葉を胸に置いているという。「動かないのは心地よいですが、じっとしていると確実に筋力が落ち、気づいたときには動けない体になってしまいます」
「夢に年齢制限はない、必要なのは動き出す勇気」
ちなみに、運動終了後は1時間以内に牛乳を飲むことで、筋肉量の増加が促進される。
「運動直後は傷んだ組織を修復しようと、筋肉が牛乳に含まれる乳タンパク(アミノ酸)や糖分を積極的に取り込もうとします。そのため、効率的に筋肉を増やせるのです」(能勢氏)
サプリメントのような栄養補助食品でタンパク質を摂取するのも悪くはないが、取りすぎは腎臓の負担になるため気をつけたい。
「歩く」という行為自体は基本的な運動だが、だからこそ健康維持のためだけではない目標や楽しみがあるといい。冒頭の三浦雄一郎さんは「夢に年齢制限はない、必要なのはそれに向かって動き出す勇気」と話す。
「単なる長生きではなくて、何かに挑戦することが生きがい。老いることより目標がなくなることのほうが怖い」
三浦さんは「あの山の向こうには何があるのか」という冒険心を持って歩いている。あなたは2021年をどんな年にしたいだろうか。自分の夢や目標に向かって確かな一歩を踏み出してほしい。