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どうすれば平穏で「痛くない死」を自宅で迎えられるのか

2021-02-12 15:30:00 | 日記

下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です


映画『痛くない死に方』 
映画で知る「在宅医療」と「平穏死」
 死について考えることを「縁起でもない」と感じる人もいるだろう。しかし「死に方」について事前によく考え、家族と話し合っておくことはとても大切なことだ。なぜ大切なのか、そしてどうしたら「痛くない、苦しくない死に方」ができるのかを教えてくれるのが、2月20日に公開になる映画『痛くない死に方』だ。在宅医・河田を演じる柄本佑 「痛くない死に方」製作委員会
 この映画は、在宅医療のスペシャリストである医師、長尾和宏氏のノンフィクション書籍『痛い在宅医』、医学実用書『痛くない死に方』を原作とした劇映画で、監督は『TATTOO<刺青>あり』『愛の新世界』『光の雨』などで知られる高橋伴明。主演の柄本佑をはじめ、坂井真紀、余貴美子、大谷直子、宇崎竜童、奥田瑛二など、魅力的なキャストが多数出演している。
 柄本佑は、河田という若い在宅医を演じる。在宅医とは、病院に入院せず(あるいはがん終末期などで退院して)在宅療養することを選んだ患者の家を訪問し、診察・対応する医師だ。河田は高齢の末期がん患者・大貫を担当するのだが、緩和ケアに失敗し、苦しみながらの壮絶な死を迎えさせてしまう。亡くなった大貫の娘は悲しみ、自分が在宅医療を希望したせいだと自らを責め「私が父を殺したのか」とまで言い放つ。その言葉は河田に深く突き刺さる。末期がん患者の父を介護する娘を演じる坂井真紀 「痛くない死に方」製作委員会
 やがて、若い河田は悩み考え、学んで成長していく。この映画は、観客にその姿を見守らせるのと同時に、「人が平穏な死を迎えるにはどうすればいいか」という知識と理解が深まるように作られている。劇映画でありながら、原作の書籍から知識をたっぷり盛り込んだ作品なのだ。
「大病院の専門医」と「在宅医」の違いを知るのが、主人公の転機に
 大貫の娘とのやりとりからモヤモヤした気分を抱えた河田だったが、在宅医の先輩・長野に相談することで、転機が訪れる。長野からは、河田の判断にいくつものミスがあったことを指摘される。「患者が苦しんで亡くなったのは自分のせいなのか」と、ひとたび深い悔恨の念に苛まれ、河田は信念を新たにする。長野の往診現場に立会い「大病院の専門医」と「在宅医」の違いを知り、「在宅医のあるべき姿」を模索するようになっていく。ちなみに、この先輩医師・長野は、柄本佑の義父にあたる奥田瑛二が演じている。先輩医師を演じる奥田瑛二(左) 「痛くない死に方」製作委員会
 劇中、河田が在宅医のあるべき姿を学ぶプロセスで、わたしたちの常識がひっくり返されるような知識の数々が示される。例えば「高齢で終末期の患者が何らかの発作を起こしたとき、あわてて救急車を呼ぶとどうなるのか?」そして「薬や点滴の使い過ぎが、どんな結果をもたらすのか?」といったことなどだ。
 いざとなれば、医療について素人の私たちにも、医師や病院から「家族が決めてください」「本人の希望で選んでください」などと、判断を迫られる場面が訪れる。ここで取り乱し、流されるように決断すれば、患者の平穏な死は叶わなくなってしまう。
「とにかく生きていることが最優先」の延命治療に慣れているわれわれが、なぜ「平穏死」を逃してしまうのか。「何を選べば、どのような結果になるのか」が、原作者である長尾医師の長年の経験を元にして劇中で明確に語られる。
「平穏死5つの要件」とは
 この映画には、主要ながん患者が2人登場する。1人目を「痛い死に方」のケース、2人目を「痛くない死に方」のケースとして見ることができる。この2つのケースを比べると、担当医師の対応と家族の判断によって「同じ末期がん患者でこうも違うのか」とびっくりするくらい、死に方に大きな差が出てくるのだ。
 しかし、そもそも「平穏な死」とはどんな死に方なのだろうか。
 多くの人は、まず「体の痛みに苦しまない」ことをイメージするだろう。もちろんそれも大事なことだが、ほかにも「理想的な環境で過ごせているか」「心に不安はないか」なども大切だろう。
 原作者は「平穏死」を以下のように定義している。 
 言われてみればなんとなく腑に落ちるものの、この5つの要件を満たす死に方というのは、具体的にはどういう「死」なのだろうか。それをわかりやすく見せてくれるのが、劇中の2人目の末期がん患者だ。
本当の「痛くない死に方」とは
 悔恨の看取りから2年後、信念を新たにした河田医師は成長している。ここで登場する2人目の末期がん患者・本多は、明るくチャーミングなキャラクター。演じるのは宇崎竜童だ。左から余貴美子、柄本佑、宇崎竜童、大谷直子 「痛くない死に方」製作委員会
 本多は「平穏死5つの要件」の3つめにある“楽しみや笑いがある「穏やかな生活」”を自ら求めていて、毎日の暮らしに楽しみを見つけるのがうまい人物だ。イベントを好み、妻を愛し、ユーモラスな川柳を詠む。本多を見ていれば「こうして暮らせばいいのだな」という感覚が沁みてくる。
 しかし、そんな本多にも、やはり死は近づいてくる。
 終末期にはどんな変化が起こり、家族はどう判断すればいいのか。頼れる医師として成長した河田は、どう指示を出すのか。家族にも患者本人にも、一点の曇りもない「痛くない死」というものは存在するのだろうか。そのあたりも、ぜひ劇場で見届けてほしい。
『痛くない死に方』予告編
 本作はタイトル通り、どうしたら「痛くない死に方」ができるかを紐解いた、知識溢れる貴重な作品だが、もちろん劇映画としても秀逸だ。高橋伴明監督の手腕とキャストの力によって、最後まで目が離せない、娯楽性の高い感動的な作品に仕上がっている。
ドキュメンタリー映画『けったいな町医者』も公開
 劇映画『痛くない死に方』の原作は、現役で町医者として市民の治療にあたっている長尾和宏医師の書籍だが、その長尾医師自身の在宅医療の現場を収めたドキュメンタリー映画『けったいな町医者』も、2月13日から公開となる。こちらは長尾医師と患者、そして家族のリアルな物語の記録だ。ドキュメンタリー映画『けったいな町医者』の長尾和宏医師 「けったいな町医者」製作委員会
 こちらの作品の監督は、劇映画『痛くない死に方』で助監督を務めた毛利安孝。多くの患者さんのリアルで貴重な「命の瀬戸際」が映っており、控えめに言っても衝撃的なドキュメンタリー作品だ。ナレーションは柄本佑が担当している。
 奇跡のような患者さんたちの反応、そして「在宅医療はどうあるべきか」を長尾医師が熱く語る場面も見どころ。患者やその家族から深く信頼される長尾医師の人柄や、確固たる信念をしっかり伝えながらも、その「けったいな町医者」ぶりに、つい笑ってしまうシーンも収められている。
 さて、記事後編では長尾医師本人にインタビューを行った。痛くない死に方(=平穏死)をより深く理解してもらうためにも「ドキュメンタリーと、劇映画『痛くない死に方』の両方を観てほしい」という長尾医師から、映画の裏話や在宅医療についてのお話をうかがった。
在宅医療のスペシャリスト・長尾和宏医師が語る“平穏死”「死について考えるのは、前向きに生きるということ」


「娘にうつしたかもしれない」コロナ自宅療養の女性は“再会”の翌朝になぜ命を絶ったのか

2021-02-12 13:30:00 | 日記

下記の記事は文春オンラインからの借用(コピー)です


自殺を止める者は最終的には自分しかいない。1月、新型コロナウイルスに感染して自宅で療養中だった30代の女性が「娘にうつしてしまったかもしれない」などと思い悩むメモを遺して命を絶ったことが明らかになった。折しも全国の自殺者数が昨年、飛躍的に増大したことを国が発表した日。死神の正体はコロナか、自粛か、メディアか、それとも――。新宿のビジョンで小池都知事がステイホームを呼びかけている
一家全員「陽性」、「再会」の翌朝の悲劇
 年末も仲睦まじく過ごしていたであろう家族に異変を生じさせたのは正月を迎えて間もないころに届いた夫への「陽性」通知だった。1月初め、都内に住む夫は無症状だったこともあり、ホテルでの宿泊療養を選んだ。
 療養中に容態が急変するニュースが相次ぐなか、妻や娘に不安は残っただろうが、選択肢はあまりない。夫が一人、ホテルへと発って間もなく、夫の濃厚接触者にあたる妻と娘に、同じく「陽性」の通知が届いた。2人は自宅での療養を選んだ。
 家族全員が感染したとはいえ、3人はいずれも無症状だ。これまでの症例からすれば、2週間ほど辛抱すれば、また日常が、少なくとも「新しい」日常が、戻るはずだった。
 実際、夫は1月14日に療養を終えて自宅に戻った。遅れて陽性となった妻や娘はまだ自宅療養中。同じマンションの部屋のなか、3人は顔をあわせることなく、壁を隔てて一夜を過ごした。部屋といってもそう広いわけではない。寝息に耳を澄ませながら、薄皮一枚隔てた再会に、ひとまず無事の生還に、夫は久しぶりの休息を味わったはずだ。
 だが、翌15日朝、妻の部屋は奇妙に静まりかえっていた。人の気配が消えていた。長年同居すれば、それなりの気配は察して当然。不安にかられ、室内を確認すると、固くなった妻の体があった。自殺だった。部屋には、自分が娘に感染させた可能性を疑い、家族に謝罪する内容のメモが遺されていたという。
家族間感染防ぐのは「無理ゲー」
「自殺まで思い詰めなくてもよかった。新型コロナをうつしたとしても、生死に関わる事態になる確率は極めて低い」とコロナ治療に携わる医療関係者はいう。国内で感染者が確認され始めた昨年ならいざ知らず、基礎疾患がない若者であれば、新型コロナに感染しても無症状か軽症で済むことは分かってきている。
 感染力の強い新型コロナウイルスを同居する家族内で防ぐには相当の困難が伴う。たとえマスクをしていたとしても、食事をすれば、つばなどによる飛沫感染のリスクがあるし、会話を交わせば微細な飛沫が空気中を漂うことで生じるエアロゾル感染のリスクがある。
「そもそも同居する家族への感染を防ぐことは極めて難しい。職場や会食の場などで感染すれば、同居家族への感染は結果として増えて行かざるをえず、その前段階で防ぐしかない」と、前出の医療関係者は話す。
 たとえ、妻が娘にうつしたのが事実だったとしても、何ら責められることでもないし、何ら心配することでもない。家庭内感染を防ぐことは「無理ゲー」(※難易度が高すぎてクリアするのが無理なゲームのこと)なのだ。
11年ぶり自殺者増加、「感染」する自殺
 それでも、この女性のように家族を遺して先に死ぬ例は後を絶たない。それは、新型コロナウイルスだけでなく、自殺も「感染」していく現象だからかもしれない。
 2020年の自殺者数は2万919人だった(1月22日、警察庁と厚生労働省が発表)。10年連続で減少していた自殺者数は、リーマンショックのあった直後の2009年以来の増加に転じた。新型コロナの影響で当然、とする見方もあるだろうが、月ごとの推移をみると、そう簡単に決めつけられない状態がみえてくる。4月、5月は平年より減っているからだ。
 4月、5月といえば、初めての緊急事態宣言が出され、ウイルスの特徴や防ぎ方もまだあやふやななか、昨年で最も国内が陰鬱な雰囲気に覆われた月といっていいだろう。そこで、なぜか自殺者は抑制されている。 
 変わって増えているのが7月以降。政府の自殺対策総合会議に提出された報告書は、新型コロナを直接の自殺理由とみていない。自殺を考える土壌を作った要素としては言及しているが、むしろ直接的な増加要因としてあげられたのは「後追い自殺」だった。
三浦春馬、竹内結子……ウェルテル効果
 報道を受けての後追い自殺は、精神医学で「ウェルテル効果」とも呼ばれる。ゲーテの初期の小説「若きウェルテルの悩み」が出版された当時、主人公のウェルテルと同様の手法で自殺を図る人々が相次いだことを受けてのものだ。その後、自殺を報じた新聞記事とその後の自殺者数の研究なども進み、センセーショナルに自殺が報じられるほど、自殺者数が伸びるとする研究報告が相次いだ。
 報告書によると、09~20年の自殺者数の変動をみると、明らかに11年5月中旬ごろと20年9月末~10月上旬ごろに突出して自殺者が増えている。
 11年5月中旬は女優の上原美優、20年9月下旬は竹内結子の自殺が明らかになった時期と同じだ。20年7月も、上記の2つの時期ほどではないが、自殺者は増えている。誰が亡くなったか。俳優の三浦春馬だ。三浦春馬さん 文藝春秋
 竹内が自殺した9月27日を境に2週間ごとの男女別・年代別の自殺者数をみると、それまで30人程度だった40歳代の女性の自殺者数は80人あまりに急増。20歳代、30歳代の女性の自殺も30人前後から50人前後に増えており、明らかな変化がみられるのだ。
 男性も40歳代で男性は同時期に70人前後から120人前後に急増しており、女性ほど極端ではないにせよ、「ウェルテル効果」が目に付く。
 社会学者のデュルケームは自殺を個人的要因によって規定されるものとする考えと決別し、「それぞれの社会は、ある一定数の自殺を引き起こす傾向をそなえている」と唱えた。デュルケームによれば、自殺は「社会集団の統合」が弱いと増える。
 ワクチン、五輪、経済など課題山積の新型コロナ対策。社会集団の統合に資する流れが続くことを祈りたい。


眞子さまのモデルケースは? 物議を醸した世界のロイヤルウェディングから考察

2021-02-12 11:00:00 | 日記

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 秋篠宮家の長女・眞子内親王の結婚問題をめぐって、ネット上には真偽のほどが分からない情報があふれている。その論調は、お相手の方のネガティブなものばかりで、個人的な意見としては少し気の毒な気がしてくる。それだけやんごとなき皇室の内親王殿下と、いわゆる何の肩書も無い一市民の若者の結婚は、いくつものハードルを越えていかなくてはならないということなのだろう。
 海外の王室に目を転じると、ハードルの高い結婚にまつわる数々のドラマが散見され、それらを紐解くことで、眞子さまのこれからを考えてみたい。
■愛する人と結婚するために王位を捨てた、イギリス王・エドワード8世
 イギリスのエリザベス女王の伯父にあたるエドワード8世は、1936年に国王に即位した人物だ。しかし、その在任期間は歴代最短のわずか325日。なぜエドワード8世は退位したのか。そこにはひとりの女性のために貫いた愛が隠されていた。
 皇太子時代、とあるパーティでエドワード8世は、離婚歴のある人妻ウォリスと出会い、たちまち恋に落ちてしまう。すぐに2人の恋は、マスコミにも知られ国民の大きな関心事に。
 エドワード8世はウォリスとの結婚を望んだが、いわば人妻との不倫であり、また離婚歴あるアバズレ女のようなイメージが先行し、イングランド国教会も国王の立場にある者が離婚歴のある女性と結婚することは認めず、世論の大多数が反対であった。やがてウォリスは夫と離婚し、法的には何の問題もなくなった。
 イギリス議会は結婚に強く反発したが、エドワード8世は「愛する女性の助けと援助なしには、重い責任を背負い、国王としての義務を果たすことはできません」と宣言。国王の座を捨てて市井の人となり、愛する女性との人生を選んだのだった。
 エドワード8世は77歳の時、末期の食道がんでこの世を去るまでウォリスと添い遂げた。死後、イギリス王室は2人の王室復帰を認め、遺体はウィンザー城近くの王室の墓地に埋葬されている。
■夫の誠意と努力で世論を動かした、スウェーデン王室・ヴィクトリア王女
 スウェーデンでは1979年に王位継承権が改正され、女性も王位につく権利が与えられた。これに伴って、長女のヴィクトリア王女が次期国王となる皇太子の立場となったのである。
 そのヴィクトリアが愛した男性は、通っていたスポーツジムの経営者で、トレーナーでもあったダニエルという、ごく普通の人物だった。学歴や経歴が素晴らしいわけでもなく、見かけがハンサムいうわけでもない。この交際が発覚すると、将来の女王の結婚相手にふさわしくないと国民の大半が反対。
 そこで、ヴィクトリアの父、国王のカール16世はダニエルに結婚の条件を出した。それは、スウェーデン王室として必要な教養を身に付けることだった。
 ここからダニエルの目覚ましい努力が始まる。まず外見をイメージチェンジし、3か国語をマスター。国際マナーや立ち居振る舞いを身に付け、王室やスウェーデンの歴史や公務について徹底的に勉強。ダニエルは辛抱強く取り組み、約7年の歳月をかけて、国王から出された難題をクリアしたのだった。
 こうしたダニエルの想像以上の頑張りに、スウェーデン国民もヴィクトリアとの結婚を祝福。国王にも認められ、2010年に2人はめでたく結婚した。
 今では2人の子どもに恵まれ、夫婦二人三脚で公務に勤しみ、誠実な人柄で国民からの絶大な信頼を勝ち得ているという。
■眞子さまの場合は……
 今回取り上げたエピソードの中で、眞子さまのケースと酷似しているのは、スウェーデンのダニエル王子(皇太子と婚姻したことで王子となった)であろう。
 眞子さまのお相手の方も、現在、アメリカで弁護士になろうと奮闘中とのこと。時折、揶揄される留学経費などの経済的な問題はさておき、眞子さまの夫になるための努力を見える形で示し、国民の納得を得ることが必要だろう。ダニエル王子は約7年の時間を費やし、愛を貫いたのだ。
 彼の努力がどんな未来をつかむのか、眞子さまのためにも結論を急がず、じっくり見守って行きたい。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tsugenoriko/20210114-00217191/


子育て卒業の喪失感で連日涙の晩酌 愛犬が支えてくれた

2021-02-12 08:30:00 | 日記

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かけがえのない家族の一員として、動物との暮らしを楽しんでいるARIA世代の女性は多いはず。物言わぬ彼らですが、時に心を幸せな気持ちで満たし、時に沈む気持ちにそっと寄り添ってくれます。「この子のためなら何でもする!」とまで思わせる存在かもしれません。人生に豊かな彩りを運んでくる最愛のパートナーとの物語を紹介します。
第22回 志田周子さんと、アリスちゃん
 「アリス、今日は女優魂、すごいね!」。カメラを向けるとぴたっとポーズを決める愛犬に、志田周子(のりこ)さんは驚きの声をあげます。「確かに、今日は機嫌がいいよね」と、隣で応じるのは、夫の文毅(ふみたか)さん。アリスちゃんは推定11歳のミニチュアシュナウザー。高齢のため膵臓(すいぞう)と心臓が悪く、毎日の服薬と月に1回、病院での血液検査が欠かせません。それだけに、元気な姿を見せてくれるのが家族としては何よりうれしい。そんな二人の思いが伝わってきます。
北海道からフェリーに乗って東京へお引っ越し
 都内で夫と大学3年生の長男、2年生の次男と暮らしている志田さん。結婚以来、子育て中心の生活をしてきましたが、息子たちの手が離れ、本格的な仕事再開に向けて今年の春から大学のリカレント教育課程を受講しています。ところが、コロナ禍で授業はすべてオンラインに変更、同級生にも一度も会えていません。「でも、これからは仕事もリモートでやりとりする場面が増えていくだろうから、オンライン授業はZoomに慣れるいい機会になりました。あと、春ごろアリスが一時ほとんど食べなくなってしまったりしたので、家で一緒にいられるのも結果的にはよかったです。ただ、どんどん甘えん坊になってしまいましたが……」
 アリスちゃんと志田さんは2019年の秋、北海道からフェリーに乗って、はるばる東京までやってきました。というのも、志田さんは単身赴任の夫と離れ、息子たちと長く札幌で暮らしていたのです。息子が二人とも東京の大学に通うようになったのを機に札幌の住まいを手放し、東京で久しぶりに家族全員がそろう新生活が始まりました。
初対面からうれしそうに「だっこして」
 国家公務員の文毅さんは全国転勤があり、そのたびに住まいを移していた志田さんたち家族が札幌に引っ越したのは2008年。11年に文毅さんは東京へ転勤することになりますが、「当時は長男が中学に入学したばかり。子どもたちの希望も尊重して、2歳下の次男が高校を卒業するまで私たち3人は札幌に残ることを決めました」。
 それまではずっと公務員宿舎暮らしでしたが、当面札幌に腰を落ち着けることを決めたので、初めて中古のマンションを購入。志田さんにとって念願だった、犬を飼うことができるペット可の物件でした。「飼うなら保護犬をというのは前から考えていました。この年は東日本大震災があったので、最初は飼い主と離れ離れになってしまった犬を引き取ろうかなと思っていたんです」と志田さん。しかし保護団体のホームページを見ていて目に留まったのが、道内で保護された推定2歳のアリスちゃんでした。
 「私は犬種とかに全然詳しくなくて、単純にマンションの規約にも合う大きさの子だし、いいかも? と思って会いに行きました。そうしたら、初対面からアリスはうれしそうにぴょんぴょん跳ねて『だっこして、だっこして』と私のところに寄って来たんです。保護犬でそういうことってあんまりないらしくて、保護団体の方も『あら、珍しいわね』って驚いていました」
 出会って早々、アリスちゃんに心をつかまれてしまった志田さんでしたが、そのときはまだマンションの本契約が済んでいなかったため、一旦は帰ることに。「その日から毎日、ケータイで撮影したアリスの写真を見ては『待っててね』って話しかけていました」
アリスちゃんはもともと、石狩の雑木林で同じ犬種の別の2匹と一緒にいたところを保護団体のスタッフに保護されました。当時妊娠していて、おそらく遺棄された繁殖犬ということでした。つらい経験の末、志田さんのもとにやってきたアリスちゃんでしたが「本当にお利口でかわいくて。こんなにいい子、私がもらっていいんですか? っていう感じでした」と志田さん。ただ、一つだけ気になることがありました。「おしっこは1日に1回だけ、それも我慢していたかのように大量にするんです。体によくないからいつでもしていいんだよ、って言っても変わらない。うんちもなかなかしないと思ったら、長男の部屋で隠れてしていました。
 困ったなと思いつつ、あんまり怒るとかわいそうなのでこちらにも遠慮があって。でもあるとき、車で一緒に出掛けた帰りに助手席でおしっこをしたことがあって、そのときは私も子どもに言うのと同じように、大きな声で叱ってしまったんです」
 ところがそれを境に、アリスちゃんはおしっこもうんちも問題なくトイレでするようになりました。「この話を保護団体の人にしたら、『試していたのかもね』って。保護犬って、そういうことがあるみたいですね」
次男のサッカー観戦で一緒に道内を旅する日々
 志田さんが北海道で過ごした時間で思い出深いのは、アリスちゃんと道内各地を旅したことだといいます。「次男はずっとサッカーをやっていて、週末は道内各地で試合があるんですね。そのたびに、アリスを車に乗せて試合観戦に出掛けました。例えば帯広で試合があるときは、札幌から3時間半の『ふたり旅』。サッカー仲間のお母さんたちの間でもアリスはおなじみで、『アリスちゃん来たのー?』って声を掛けてくれるんです。
 高校3年生のときの道大会もアリスと一緒に応援に行って、息子の学校が11年ぶりに全国大会出場を決めたんですよ。そのときもみんな『アリスのおかげだよ』なんて言ってくれて。うれしかったですね」
コマイをつまみに連日、涙の晩酌
 サッカー観戦では、アリスちゃんの存在に救われたところが大きかったといいます。
 「次男のポジションはゴールキーパー。キーパーの親って皆さん同じことを言うんですけど、チームが失点するたびにどうしても責任を感じてしまうんです。私は試合のたびにプレッシャーでおなかを壊していました。そんなときにアリスがそばにいてくれると、じわーっと心があったかくなるんです」
 息子さんたちにとってもアリスちゃんはかわいい妹のような存在。長男は高校卒業後に上京し、文毅さんと一緒に暮らしながら1年間の浪人生活を送りますが、「アリスに会えない寂しさを紛らわすために、近所の野良猫を見に行ったりしていたらしいです」と志田さん。2019年の4月には次男も大学進学で上京し、9月に東京へ引っ越すまでの約半年間、北海道でアリスちゃんと二人きりになりました。
 「もうね、子育てが終わった喪失感があまりに大きくて、毎日泣いていたんですよ。北海道ではコマイっていうシシャモみたいな魚がとれるんですけど、それをつまみに毎日ひとりで晩酌して、子どもたちの写真を見たり、次男のサッカーのDVDを見たりしてはうわーんって。それを横でアリスは全部見ていました。いてくれて本当によかったです。あのときさんざん泣いたので、今はスッキリしちゃいました(笑)」
 子育てやパートに追われていた時期を終えて少し精神的に余裕が出てきたという志田さんには今、ある思いが芽生えています。
 「夫はとにかく多忙だったので、転勤に合わせて引っ越しを繰り返す中で、私の育児はずっと知らない土地でのワンオペでした。頼れる人もおらず、一歩間違ったら虐待していたかもと思うようなこともありました。リカレント講座を修了したら仕事とは別に、あの頃の自分みたいに苦しんでいる若いお母さんたちを支えるような活動もできたらと思っています」
「考えてみると、それまで病気一つしなかったアリスの具合が悪くなったのは、次男が東京へ行くことになったとき。アリスも母親のように息子たちを見守ってきて、もう大丈夫って気が抜けたのかもしれませんね」
アリスちゃんのごちそう【犬用ビスケットときゅうり】
出会った当初から歯が弱かったアリスちゃんは高齢になった今、歯が数本しかありません。それでも喜んで食べるのが、「ペッツバリュー オリゴビスケット」。もともとはしつけでおしっこをした後にご褒美であげていたため、今もトイレの後は「ちょうだい」とおねだりしてくるそうです。大好きなきゅうりも食べやすいよう細く切ってあげています。「最近は甘えて、こうやって手からあげないと食べないんですよ。私は厳しいので『食べないなら捨てるよ』なんて言っちゃうんですが(笑)、やっぱり食べないと心配なので、ついこうして食べさせてあげちゃいますね」
取材・文/谷口絵美(日経ARIA編集部)