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老いが怖い人は「老いなき世界」を知らない

2021-02-23 15:30:00 | 日記

下記の記事は東洋経済オンラインからの借用(コピー)です

120歳まで若く健康なままで生きられる方法
「長生き」は私たちを幸せにしたのか?
生物としての人類は、かつてないほど長生きをするようになった。だが、よりよく生きるようになったかといえば、そうとはいえない。むしろ正反対だ。
『LIFESPAN ライフスパン:老いなき世界』特設サイトはこちら(書影をクリックするとアマゾンのサイトにジャンプします)
だから私たちのほとんどは、100歳まで生きることを考えるとき、今なお「滅相もない」と思わざるをえない。
人生最後の数十年間がどういうものかを目の当たりにしてきたからであり、それがお世辞にも心ひかれるとはいえないケースが大半だからだ。
人工呼吸器と種々雑多な薬。股関節骨折とおむつ。化学療法に放射線。手術に次ぐ手術に次ぐ手術。そして医療費。そう、いまいましい医療費だ。
私たちは時間をかけて苦しみながら死んでいく。豊かな国に住んでいる人は、次々と病気に見舞われながら人生最後の十数年を過ごすことが多い。私たちはそれが普通だと思っている。
さして裕福とはいえない国でも寿命は長くなり続けているため、いずれは新たに数十億の人々が同じ運命をたどることになるだろう。
医師で作家のアトゥール・ガワンデは次のように指摘している。私たちは寿命を延ばすことに成功したものの、そのせいで「晩年イコール医療を受けること」という図式を生んだ、と。
「若いままでいられる時代」はすぐそこに
だが、そうでなくてもいいのだとしたら? 若くいられる時期をもっと長くできるとしたらどうだろうか。しかも、あと数年、などではない。あと数十年長くだ。
最後の年月も、その前の年月とそうひどくは変わらずにいられるとしたら? そして、自分たち自身を救うことで世界を救うこともできるとしたら?
もう一度6歳になるのは無理だとしても、26歳や36歳にならどうだろう。
何歳になっても子どもと同じように遊び、大人としての約束事へとすぐに移っていかなくてもいいのだとしたら?
10代のあいだに私たちはさまざまなことを詰め込もうとするが、そこまでする必要がないとしたら?
20代に強いストレスを感じることなく、30代や40代になっても中年の気分をかみしめずに済むとしたら?
50代であっても違う自分に生まれ変わりたいと願い、そうしてはいけない理由を1つも思いつかずにいられるとしたら?
60代になっても、自分が何を残したのかと悩むことなく、生きた証しを新たにつくり始めることができるとしたら?
時間が刻々と過ぎていくことを気に病まなくていいのだとしたら? しかもそういう未来が、実際にすぐそこまで迫っているとしたらどうだろうか。
千年また千年と歴史を刻む過程で、人間の平均寿命は確かに少しずつ延びてきた。
かつては私たちの大半が40歳まで生きられなかったのに、それができるようになった。50歳にも達しなかったのが、届くようになった。ほとんどが60歳を見ずに人生を終えていたのに、60の声を聞けるようになった。
しかし、平均寿命が上昇を続ける一方で、最大寿命のほうはそうなっていない。記録をひもとけば、100歳に達した人はいるし、それより何年か長く生きた人もいた。だが、110歳に届く人はごくわずかしかおらず、115歳を迎える人となると限りなくゼロに近い。
だから、この先もコツコツと平均値を上げていけるにせよ、最大値は動かせないという声があるのは無理もないことだ。ネズミやイヌなら簡単に最大寿命を延ばせても、私たち人間はそうはいかない。すでに長く生きすぎているのだ。懐疑派はそう主張するだろう。
それは間違っている。
「健康なまま120歳」が普通になる
もう1つ考えないといけないのが、寿命を向上させることと、元気でいられる期間を長くすることは違うという点だ。私たちはその両方の実現を目指すべきである。
痛みや病(やまい)や、虚弱や体の不自由に苦しむことがすでに生活のすべてになっているのに、ただ死なさずにおくだけのために人生をさらに何十年も長引かせるのは、道義的にいって許されることではない。
長く元気でいられるようになる時代は近づいている。単に寿命が延びるだけでなく、新たに加わった年月を健康で生き生きと幸せに暮らせる時代だ。それは、皆が思っている以上に早く到来しようとしている。
22世紀が幕を開ける頃に122歳で亡くなる人がいたら、天寿を全うしたにせよ飛び抜けた長生きとはみなされなくなっている可能性がある。
120歳という年齢は、けっして例外的な異常値ではなく期待値となっていてもおかしくない。そうなればもはや「長寿」とは呼ばれず、ただの「普通の生涯」だ。そして私たちは、そうでなかった昔を悲しく振り返るのである。
「老化は避けて通れない」とする法則はない
そもそも寿命の上限とは何だろうか。そんなものがあるとは思わない。私と同じ分野にいる研究者も多くが同じ意見である。
老化は避けて通れないと定めた生物学の法則など存在しないのだ。存在するといい張る者がいたら、それは物を知らない証拠である。
死ぬことが珍しくなるような世界はまだはるかな未来の話だとしても、死を先へ先へと追いやれる時代は遠からぬところまで来ている。
むしろ、こうしたすべてが起きるのは必然だといっていい。長い健康寿命を謳歌できる人生はすでに射程圏内に入っている。
確かに、人類の歴史すべてがそれは無理だと告げているかに思える。だが、今世紀に入ってこの研究分野ではさまざまな解明が大きく進んだ。それを踏まえる限り、過去がどれだけ八方ふさがりであろうと何の参考にもならない。
健康寿命が大幅に延びることが、生物としての私たちにどんな意味をもつのか。それを理解するための一歩を踏み出そうとするだけでも、発想を根本から改めることが求められる。
なにしろ、数十億年の進化の延長線上では予測できないことなのだ。だから、そんなものはどだい無理だと信じるほうが簡単だし、そう信じたい気持ちに駆られる。
でもそれは、人類が初めて空を飛ぶ前に世間が考えていたことと同じだ。実際に誰かが成功して初めて、人々は見方を改めた。
人類の「新たな進化」が始まっている
今現在起きつつあることは、ライト兄弟が作業小屋で準備を進めている段階に似ている。これから見事にグライダーを飛ばして、ノースカロライナ州キティホークの砂地に着陸させるのだ。世界は変わろうとしている。
初飛行が成功する1903年12月17日までがそうだったように、現在も人類の大多数はその変化に気づいていない。
かつては、「制御された動力飛行」というもの自体が想像の外だった。そんな発想を組み立てられるような材料がどこにもなかったからである。だから、空を飛ぶなど夢物語か魔法であって、空想小説に出てくる絵空事だとみなされていた。
そのとき、1機の飛行機が地面を離れた。そして世界は一変したのである。
私たちは今、同じような歴史の転換点に立っている。これまで魔法と思われていたことが現実になるのだ。
人類には何ができて何ができないのか。その線を引き直し、避けて通れないと信じられていたものに終止符を打つときがきた。
いやむしろ、人間とは何かを定義し直すときだというべきかもしれない。なぜなら、これは1つの革命(レボリューション)の幕開けであるだけでなく、新たな進化(エボリューション)の始まりでもあるのだから。
生命の「サバイバル回路」を働かせよ
毎朝目覚めると、私の受信メールボックスは世界中から届いたメッセージでいっぱいになっている。「何を飲んだらいいですか?」「臨床試験の被験者になるにはどうすればいいか教えてください」。
確かに、誰であろうと、どこに住んでいようと、何歳であろうと、どれだけの収入があろうと関係なく、自分の長寿遺伝子を今すぐにでも働かせる方法はある。
私は約25年にわたって老化を研究し、何千本という科学論文を読んできた。そんな私からのアドバイスの一つは、「食事の量や回数を減らせ」である。長く健康を保ち、寿命を最大限に延ばしたいなら、それが今すぐ実行できて、しかも確実な方法だ。
動物実験によると、長寿のカギを握るサーチュインのプログラムを働かせるカギは、カロリー制限を通して体を「ぎりぎりの状態」に保つことのようだ。つまり、体の健康な機能を保てるくらいの食物は与えながらも、けっしてそれ以上にはしないということである。
これは理にかなっている。そうすれば生命に備わっているサバイバル回路が始動し、原初の昔から行ってきた仕事をせよと長寿遺伝子に命じることができるからだ。
つまり、細胞の防御機能を高め、環境が厳しいときにも生命を維持し、病気や体の劣化を防ぎ、エピゲノムの変化を最小限に留め、老化を遅らせるのである。
だが、カロリー制限にこだわる必要はない。わざわざつらく苦しい思いをしなくても、カロリー制限をしたのと同じメリットは別の方法でもかなり手に入るのだ。
食物が足りないときの遺伝子の反応を確実に再現することができれば、なにものべつまくなしに腹をすかせていなくてもいい。
そこで注目されているのが「間欠的断食」だ。これは、食事の量は普段と変えないものの、食事を抜く期間を周期的に差し挟むというものである。
短期的な研究からは期待のもてる結果が出ており、長期的な研究でも同じだろうと思う。とりあえず、栄養失調にならない程度の間欠的断食法であれば、たいていは長寿遺伝子を働かせることにつながる。そして、長く健康な生涯をもたらしてくれるといってよさそうだ。
食べる量を制限してサバイバル回路を働かせる以外にも、まだまだできることはたくさんある。
デビッド・A・シンクレア : ハーバード大学医学大学院教授 / マシュー・D・ラプラント : ジャーナリスト、作家


患者と医療者それぞれ考えているゴールがずれると問題が起こる

2021-02-23 13:30:00 | 日記

下記の記事は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です

「JCI」という国際的な病院機能評価機構があります。世界基準で患者の安全性が確保されているか、適正な高度医療が提供されているかを詳細な項目で厳格に評価する非営利団体です。

 そのJCIの評価項目で、医療者側がもっとも患者さんに与えてはいけないものとして「苦痛」や「ストレス」があります。これまで何度かお話ししてきましたが、患者さんの不安を緩和するためには、「医療安全」に沿った対応が求められます。医療者と患者さんが相互に信頼関係を築き、トラブルを回避するためには欠かせない考え方だといえます。

 患者さんは、常にさまざまな不安を抱えています。それに対し、医療者は「選択する治療にはどのようなリスクがあるのか。それを踏まえ、局面に応じて治療をどのように進めていくか」を理解してもらえるように丁寧な説明を繰り返しています。ただ、残念ながらそれでもトラブルが起こってしまうケースがあります。

 心臓手術の場合、悪くなっていた心臓を処置するだけで済み、その後もスムーズに回復できれば、医療者側と患者さんの信頼関係は崩れませんし、何も問題は起こりません。しかし、近年は高齢の患者さんが多く、全身の臓器の状態がよくない場合も少なくありません。そのため、手術した心臓以外の部分に合併症を起こしてしまうリスクが高くなっています。

 たとえば、手術の際にかける全身麻酔は少ないながらも肺にダメージを与えますし、術中に血圧が大きく変動して腎臓に負担がかかり、腎不全を招く最悪のケースも考えられます。術後に心房細動が残って脳梗塞を起こしたり、患者さんの体質や手術の種類によっては切開した傷のくっつき具合が悪かったり、時間がかかるケースもあります。施設の対策が不十分だと、術後に創部感染を起こす可能性もゼロではありません。

 まずは、治療を行う前に、手術する心臓以外の部分でそうした合併症を起こすリスクがあることをきちんと理解してもらうのは大前提で、さらにきめ細かい対応が大切になってきます。

■不安、不満、ガマンが蓄積すると…

 偶発的に合併症を起こした患者さんは、当然のことながら合併症に対する別の治療が必要で、その分、在院日数が延びることになります。すると、患者さんはただでさえ不安を抱えているうえ、合併症によって受ける痛みや日常生活の制限に対し、不満やガマンが蓄積されていきます。さらに、中には「入院が長引くのは困る」という事情を抱えている人もいます。こうした状況で、医療者側の対応が不十分だと、信頼関係が崩壊して、患者さんの不満が爆発してしまうのです。

「最初にもらった治療計画書とはまったく違うじゃないか!」

「治療にミスがあったんじゃないのか。あんたたちは信用できない」

 こうした“クレーム”は担当医だけでなく、看護師にも向けられます。そして場合によっては、訴訟に発展する可能性もあるのです。

「医療安全」に沿ったきめ細やかな対応は、こうしたトラブルを起こさないようにするためのものでもあります。合併症を起こすリスクがあることは事前にきちんと説明し、医療者側にとっては想定内の状況だったとしても、「合併症が起こる可能性があることは、最初に話したじゃないですか」で済ませようとすれば、問題がさらにこじれてしまいます。

 患者さんは常にさまざまな不安を抱えていることを念頭に置き、その都度その都度、局面に応じて、角度を変えた説明を行うことが重要です。たとえば、治療期間が当初より延びていることについて、なぜ延びているのか、どのような処置が行われているのか、どのくらいかかりそうなのか、といった部分にフォーカスして、じっくり説明を繰り返すのです。

 少しでも早く回復して社会復帰を実現させる――。患者さんも医療者も、同じゴールを目指しています。しかし、患者さんが考えているゴールと、医療者側が考えているゴールがずれたときに問題が起こってしまいます。ずれているところはどこなのか。それをはっきりさせるのが、医療安全に沿ったきめ細やかな対応で、それが信頼関係を構築し、未然にトラブルを防止し、最終的な良い結果を導くことにつながるのです。
天野篤
順天堂大学医学部心臓血管外科教授


「結婚しないと自由になれない」眞子さまの選択に顔をしかめる人たちのお節介

2021-02-23 09:30:00 | 日記

下記の記事はプレジデントオンラインからの借用(コピー)です

女性論客2人から見た「結婚問題」
「眞子さまは不幸になる権利もある」
なかなか刺激的なタイトルである。
文藝春秋2月号で鈴木涼美と三浦瑠麗が、秋篠宮眞子さんと小室圭の結婚問題について対談している。三浦は著名な国際政治学者、鈴木の現在の肩書は社会学者だが、慶應義塾大学在学中にAVデビューし、東京大学大学院修士課程修了後に日本経済新聞社の記者を5年半勤めた経歴をもつ。
眞子&圭問題についてはこれまで、男性からの批判が多かった。したがって、金銭トラブルを解決しないのは男らしくない、母親に飼いならされたポチ、眞子さんと結婚して「逆玉の輿」を狙っているのだろうという、男目線からの見方が多かったように思う。
女性論客2人がユニークな視点で論じ合い、目から鱗、読んでいて何度も頷き、膝を叩いた。いくつか紹介してみよう。
「そんなことが言えてしまう男に女は夢中になる」
冒頭では、2017年9月の婚約内定会見の際、小室圭が眞子さんを「月のような存在」といったことについて、こんなやりとりがある。
【鈴木】あれは驚きの発言でした。日本のプリンセスを、「自分の光が投影される月」だと言いきっちゃうってすごくないですか?
【三浦】太陽の光がないと、月は輝けないですからね。
【鈴木】普通に考えれば、眞子さまにそんなことは言えないですよね。でも、そんなことが言えてしまう男に女は夢中になるんですよね。
【三浦】そうそう、一部はね。
【鈴木】これは一般的な男女分析ですけど、女医さんのような社会的地位の高い女性がホストクラブにハマる例は、昔から一定数あります。できるホストはたとえ中卒でも、女医さんに対して自分を卑下することなく、「お前は俺がいないと駄目だ」とあっけらかんと言えてしまう。自分より百倍も、学歴やお金がある女性に向かってです。この手の男に、やっぱり女は弱いですよね。そういう男をたくさん見てきた私としては、小室さんは似たタイプだなと感じました。だからこそ、「海の王子」にもなれたんじゃないですかね。
次の箇所がこの対談の核心だと思う。
【鈴木】私が個人的に気になっているのは、皇室に生まれた女性が皇籍を離脱する際のシステムです。つまり「結婚すれば一般市民になれるけど、結婚しないと一般市民になれない」でいいのかと。結婚を使わないと、自分の人生が動かせないんです。これって“結婚至上主義”じゃないですか?
【三浦】ええ。要は結婚だけが唯一、自由になるための儀式として認められているわけですよね。
【鈴木】私だったら「娘」から「妻」になる間に、もう1ステージ欲しいなと思ってしまう。最終的に一般市民になる運命なら、娘でも妻でもない、一般独身女性の期間が欲しいです。
かつて女性たちにとっての結婚は、「出世」そのものであり、お金を得る機会であり、一気に上昇するための“飛び道具”でした。皇室の女性にとっては今でも結婚はそれに似ていて、一般の社会に泳ぎ出る唯一の手段なわけです。一般市民になりたかったら結婚するしかない。
【三浦】これって大きな問題ですけど、あまり指摘する人はいないですよね。皇室の女性の中にも、早く一般人になりたいというお気持ちの方がいるかもしれない。
【鈴木】しかも、皇室の女性はお相手探しが難しいのに、お嫁に行かないと“行き遅れ感”も出てきてしまう。そうなると皇室に閉じ込められたままですよね。少なくとも現在、女性天皇や女系天皇は認められていないのであれば、成人した時にご本人にその意思があれば一般人になってもいい、という制度を作ってほしいです。
“不幸になる権利”もある
小室圭に関しては、「経歴も外見もまあ普通」(三浦)「何となく胡散くさいという声があるが、母親の金銭トラブル以外何も出てきていない」(鈴木)といっている。
そして、「眞子さまが結婚して一般人になるのであれば、外野が口を出す話ではない」(三浦)。そして鈴木のこの言葉が出てくる。
【鈴木】(中略)女の人には“幸福になる権利”もあれば、“不幸になる権利”もある。眞子さまが仮に不幸な選択をしたとしても、その不幸を謳歌するのもまた、人生の一つの“豊かさ”だと思いますけどね。私もいろいろと片足を突っ込んできたから分かりますけど、女だからこそ堕ちてみたい“穴”というのはあります(笑)。一般論ですよ、あくまでも。(中略)
幸福になれそうにないからと、他人の選択を責める筋合いはないですよね。大体、世間を知っている女でも、男を見る目はなかなか養えないものですよ。結婚って、その女性の賢さとか美貌とか、いろいろなものが詰まった結果だと思うんですけど、結局は「運」が一番大きい。大量のクジの中から一本をヒュッと取ったとしても、大体“外れ”なのが普通です。
逆のケースだが、民間人から皇室に嫁いだ美智子上皇后、雅子皇后、秋篠宮紀子さんは、これまで報じられていることの中に幾何いくばくかの真実があるとしたら、100%幸せな結婚生活とはいえないかもしれない。
結婚が幸せをもたらしてくれるのではない。幸せは結婚した2人が作り出していくものである。
批判の矛先は小室母子から眞子さんへ
だが、世間の分からずやたちは、宮内庁へ抗議の電話をかけ続けていると、女性セブン(2/11日号)が報じている。
「多くは“小室さんは眞子さまのお相手にふさわしくない”というものです。金銭トラブルを抱える上、何年経ってもちゃんと説明できない人は、皇族のお相手として祝福できないということでしょう。
“結婚の一時金を支払うべきではない”という声も少なくありません。税金が小室家側にわたることに嫌悪感を持たれているのです」(ある宮内庁関係者)
こうした手合いは、自らの結婚生活が不幸なのであろう。大きなお世話である。
だが、小室母子への批判を強めていた週刊誌が、このところ、眞子さんへの批判も掲載するようになってきた。
これまで週刊誌は、批判の矛先を小室母子や秋篠宮夫妻には向けていたが、眞子さんには向けず、“タブー視”していたように思う。小室圭のような男を好きになってしまった彼女が不憫だという情もあったかもしれない。
それが、11月に眞子さんが発表した事実上の結婚宣言といえる「お言葉」以降、流れが変わってきた。特に女性誌に顕著である。
女性自身(2/9日号)は「小室さんとの結婚ファーストで仕事も卒論も放棄」と報じた。
「眞子さまは現在、東京大学総合研究博物館・インターメディアテク(IMT)の特任研究員を務めていらっしゃいますが、その任期は今年3月で終了することになっています。とくに“就職活動”をされているご様子はないようですが、はたして4月以降の勤務先は決まっているのでしょうか……」(皇室担当記者)
以前は“真面目すぎる”といわれるほどだったが…
また、眞子さんは2016年9月に国際基督教大学(ICU)の大学院にも進学しているが、それからすでに4年以上が経過している。
「そもそも博士課程の修了に3年以上かかるのは、決して珍しいことではありません。ただ、眞子さまが次の研究ポストを探されるならば、博士号を取得しているほうが有利なはず。遅くとも研究員の任期切れまでに博士号を取得するのが眞子さまの本来の計画だったのではないでしょうか。
しかし、いまだに論文発表の気配がないということは、眞子さまは研究者の仕事への意欲がなくなってしまったということなのかもしれません」(皇室担当記者
しかし、宮内庁関係者は別の原因があるのではないかと指摘する。
「このごろ、眞子さまの周囲の方々から『眞子さまは以前とはずいぶん変わられてしまった』と聞くことが何度かありました。
以前は“真面目すぎる”といわれるほど、ご公務や学業に熱心だった眞子さまですが、その姿勢までも変わられてしまったように感じるというのです。その原因は小室さんとのご結婚が“こじれた”ことなのかもしれません」
2年ほど前から、毎年届いていた眞子さんからの年賀状が届かなくなったという友人の声もあるという。
「コロナ禍で、眞子さまは祭祀などの公的なご用事がない限り、外出は控えられている。学生時代の友人との付き合いはますます減り、小室さんとの関係に没入されるばかりになっているのかーー」(女性自身)
お召し物にセキュリティー…膨大な出費が予想される
小室圭との結婚にばかり気を取られて、昔のような真面目で気品のある眞子さんが変わってしまったというのである。
また、女性セブンは、結婚後の「お金」についてまで心配している。
「降嫁後も常に元皇族としての『品位』が求められます。
(黒田=筆者注)清子さんの場合もそうですが、皇室関係者が集まる場では相応の着物をお召しになっているし、事あるごとに必要なお礼品や盆暮れの挨拶の品ひとつとっても格調あるものを選んでいます。降嫁して一般人になったとはいえ、生活全般に、一般家庭では想像もつかない出費を覚悟しなければなりません」(宮内庁関係者)
最も費用がかさむのは住まいだろう。清子さんの住まいは結婚の翌年に購入した、都心の文教地区にある高級マンション。部屋は110㎡の広いメゾネットタイプで、購入価格は約1億円(地元の不動産業者)といわれるそうだ。
「ある程度の金額になるのは仕方ありません。一般人とはいえ清子さんは上皇陛下の長女ですから、セキュリティーの厳重さが第一の条件でした。マンションには敷地外から直接目に付かない駐車場があり、そこから居住フロアまでエレベーターで行ける構造になっていて、必要以上に人と顔を合わせずに済む。また、いざというときには警察が警備しやすくなければいけません」(皇室記者)
「不測の事態に備えて」さらにお金はかかる
「もちろん簡素な生活に徹していますが、品位や安全を守るために不可欠な出費を、清子さんの結婚時の一時金1億5000万円ほどや、黒田さんの東京都職員としての収入だけでまかなうのはかなり厳しい。国民には具体的に知る余地のないことですが、天皇家の私有財産のなかから、結婚後もサポートされてきたのでしょう」(皇室ジャーナリスト)
眞子さんの結婚生活は、清子さんよりさらにお金がかかるという。
「黒田家に比べて、眞子さまが嫁がれる小室家ははるかに生活のセキュリティー面で強化する必要があるでしょう。宮内庁への抗議が続く女性皇族の結婚は前代未聞。不測の事態に備えて、しばらくは新居の警察警備が必要不可欠な上、小室さんの親族の安全も確保しないと、取り返しのつかない事件も起きかねません」(警備関係者)
では、そのお金はどうするのだろうか?
「秋篠宮さまに毎年支給される皇族費は年間9150万円。皇族方の倹約精神は広く知られるところで、相当な預貯金があることが想定されます。現実的には、そこから小室家にかなりの金銭的援助がなされないと、生活が立ちゆかないのは明らかです。
とはいえ、皇族の私的財産の具体的な使い道に公開の義務はないため、国民がそれを把握する術はありません」(皇室ジャーナリスト)
暗に、結婚後も親頼みになるが、そんなことでいいのかといわんばかりである。
天皇誕生日会見で「結婚問題」に言及か
陰湿な“いじめ”に近い記事のように思うが、眞子さんの心が揺らぐことはない。
ここへきて明るい話もある。
2月23日に天皇は61歳の誕生日を迎えるが、事前に行われる記者会見で、眞子さんの結婚に関する質問が宮内記者会から出されていると、週刊女性(2/9日号)が報じている。
今回の会見で天皇は、眞子さんの結婚を実質的に“お許し”になるのではないかと見ているようだ。
「平成時に当時の天皇陛下(現・上皇さま)がおふたりの結婚に『裁可』を与えられました。裁可は行う義務がありませんし、当時の裁可が現在も効力を持つという見方もあり今後、陛下が眞子さまのご結婚を改めて裁可されるという可能性は低いです。一方で、陛下が今回の会見で“結婚の意思を尊重する”などの前向きなご発言があれば、それが事実上の“裁可”になるといえるでしょう」(皇室ジャーナリスト)
眞子さんは「お言葉」の中で、「天皇皇后両陛下が私の気持ちを尊重して静かにお見守りくださっている」と記している。
すでに一部では、秋篠宮が眞子さんの結婚問題について、天皇に相談していると報じたメディアもある。
天皇の“裁可”後に、いよいよ結婚へのスケジュールが決まるはずである。今年の秋、眞子さんの30歳の誕生日前に挙式となるのではと、私は思っている。(文中一部敬称略)


片足立ちで靴下がはけない人は…将来の「寝たきり」リスク大

2021-02-23 08:30:00 | 日記

下記の記事は日刊ゲンダイデジタルからの借用(コピー)です

あなたは、片足立ちで靴下がはけるだろうか? もしできなければ、ロコモティブシンドローム(以下、ロコモ)の心配がある。

 ロコモとは、骨や関節、筋肉などの運動器が衰え、転倒、それによる骨折や寝たきりの可能性が高い状態をいう。2009年につくられたのがロコモをチェックする7つの項目だ。

 それは冒頭の「片足立ちで靴下」のほか、「階段を上るのに手すりが必要」「家の中でつまずいたり滑ったりする」「横断歩道を青信号で渡りきれない」「15分くらい続けて歩けない」「2キロ程度の買い物をして持ち帰るのが困難」「家のやや重い仕事が困難」。

「1つでも当てはまればロコモの心配があります」(慶応義塾大学医学部整形外科学教室・松本守雄教授)

 もし、7つのロコモチェックで引っかかるようなら、ロコモの評価法である「ロコモ度テスト」をやってみるべき。これは「立ち上がりテスト」「2ステップテスト」「ロコモ25」の3つで構成されている。

立ち上がりテストは「両腕を組んで高さ40センチの台に腰掛け、反動を使わずに両足で立ち上がり、3秒間保持できるか。また、同じことを片足でもできるか」。2ステップテストは「できる限り大股で歩いた2歩幅分を身長で割った数値がいくつか」。ロコモ25は「この1カ月の体の痛みや、普段の生活で困難に感じていることなど25の質問で測定した点数」(「ロコモ チャレンジ!推進協議会」公式HP「ロコモONLINE」参照)。

 これらをもとに「ロコモ度1」か「ロコモ度2」かを判定する。立ち上がりテストで「どちらか一方の足で40センチの台から立ち上がれないが、両足で20センチの台から立ち上がれる」、または2ステップテストで「1・1以上、1・3未満」、またはロコモ25で「7点以上、16点未満」であればロコモ度1。

 もし「両足で20センチの台から立ち上がれないが、30センチの台から立ち上がれる」(立ち上がりテスト)、または「0・9以上、1・1未満」(2ステップテスト)、または「16点以上、24点未満」(ロコモ25)であればロコモ度2になる。

■新たな判断基準「ロコモ度3」が登場

「ロコモの疫学で、40歳以上の日本人4590万人がロコモ度1以上の該当者で、ロコモ度2の該当者は1380万人になります。そして今回新たに加わった判断基準がロコモ度3です」(松本教授)

 同じく3つのテストで判断する。立ち上がりテストで「両足で30センチの台から立ち上がれない」、2ステップテストで「0・9未満」、ロコモ25で「24点以上」のどれかひとつに当てはまればロコモ度3になる。

 ロコモ度1~3は病名ではないので、すぐに医療が必要とはならないが、ロコモ度に応じて、「なぜその状態が起こっているのか」を調べることは重要だ。

 運動器の病気では、骨粗しょう症、骨折、変形性関節症、変形性脊椎症、神経障害、サルコペニアなどがあり、運動器の痛み・能力の衰えが関係していることもある。それらに対し、運動・リハビリテーション、投薬、手術などを行えば、転倒・骨折を防げ、要介護になるのを回避できるかもしれないのだ。

具体的には、ロコモ度1であれば、転倒防止につながる運動やタンパク質・カルシウムを十分に含む食事。ロコモ度2であれば、痛みがある場合は運動器疾患を発症している可能性があるので整形外科の受診。そしてロコモ度3であれば、移動機能の低下のため社会参加が制限されている状態。今後、自立できなくなるリスクが高いので、早めの整形外科専門医の診療・治療が必要だ。

 ロコモは40代から始まる。靴下を立ったままはけなければ、ロコモ度がいくつかチェックするべきだ。


天皇陛下61歳に 眞子さま結婚「多くの人が納得してくれる状況になることを願う」

2021-02-23 06:25:13 | 日記

下記の記事はヤフーニュースプからの借用(コピー)です


 天皇陛下が23日、61歳の誕生日を迎えられた。それに先立って行われた記者会見で、コロナ禍における皇室のあり方を語ったほか、オンラインでの国民との交流に「新たな可能性見出せたのは大きな発見」との考えを示した。秋篠宮さまの長女眞子さまの結婚をめぐっては「多くの人が納得し、喜んでくれる状況になることを願う」と述べられた。 【会見動画】天皇陛下61歳に 眞子さま結婚「多くの人が納得してくれる状況になることを願う」
歴代天皇の精神「現代にも通じる」
[画像]61歳を迎えられるにあたり、会見する天皇陛下
 新型コロナウイルスの収束が見えない中で、陛下は「この1年はコロナ禍に翻弄された」と振り返られた。  コロナ禍における皇室のあり方については、奈良の大仏をつくった聖武天皇や疫病の収束を願い般若心経を書写した平安時代の嵯峨天皇、戦国時代の後奈良天皇、正親町(おおぎまち)天皇といった歴代天皇の事績を挙げて、「歴代の天皇はその時代時代にあって、国民に寄り添うべく思いを受け継ぎ、自らができることをなすよう努めてこられた」とし、「その精神は現代にも通じるものがあると思う」と述べられた。  「皇室のあり方や活動の基本は国民の幸せを常に願って国民と苦楽をともにすること」との思いのもとに、災害にあった人や障害者、高齢者、社会に尽くしている人々ら国民に寄り沿い、励ましていくことは「とても大切なことだ」と話された。  コロナ禍で増える自殺も案じられ、「自ら命を絶つ人が増えていることも極めて痛ましい。皆でなんとか防がなくては」と語った。  新規感染者数が全国的に減少傾向で、医療従事者にワクチンの先行接種が始まったことを受けて「今しばらく国民の皆さんが痛みを分かち合い、協力し合いながらコロナ禍を忍耐強く乗り越える先に、明るい将来が開けることを心待ちにしている」と期待された。
オンラインでの交流「新たな可能性」
 コロナの流行で国民と直接触れ合うことが難しくなったことには、皇后雅子さまとともに「残念に思っている」。そんな中で、オンラインでの交流を模索する取り組みについて「同時に複数の場所にいる人々に会うことや、中山間地域など通常では訪問が難しい場所でも訪問できるという利点があることを実感した」と話し、オンラインには課題もあるものの、「オンラインによる活動に新たな可能性を見出せたことは大きな発見だった」と振り返られた。  両陛下の長女愛子さまは昨年4月から学習院大学に進学したが、コロナの影響でオンライン授業が中心になっている。陛下は「愛子がオンラインで授業を受けているのをそばで見る機会もあったが、私たち自身も新たな知見を得ることができたり、何か学生時代に戻ったような気持ちになった」と話される場面もあった。  今年の12月に愛子さまは20歳を迎え、成年皇族となる。将来については「私たちで相談に乗れることはできる限りしてあげたい」と親としての思いを語られた。  コロナの影響で上皇さまや秋篠宮さまと直接会う機会が減っているが「適宜連絡を取るようにしている。ただし、詳細については回答を控えたい」と述べた。  秋篠宮さまの長女眞子さまの結婚をめぐっては「国民の間でさまざまな意見があることは承知している」と語った上で、眞子さまが秋篠宮ご夫妻とよく話し合うことを望み、秋篠宮さまの言葉を追認される形で「多くの人が納得し、喜んでくれる状況になることを願う」と述べられた。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f0c67172c3580703d7330c03ed8a584f11b92562



天皇陛下61歳誕生日 会見全文2/5「ご家族について~雅子は日々の活動を支えてくれる大切な存在、愛子は少し頼もしく~」


会見は、2021年2月19日、赤坂御所「日月の間」にて、感染症対策のため、初めて陛下の前にアクリル板を立てて行われました。質問は事前に提出してあった5問と、関連の3問です。約40分間の会見の全文を紹介します。2/5は、問2です。 陛下は、皇后さまがコロナ禍で体調を整えにくくなっていることや、大きな行事の後には疲れがしばらく残る傾向があることに触れつつ、できる限り雅子の力になり、支えていきたいと述べられました。また、大学生となった愛子さまの成長を喜び、これから始まる成年皇族としての公務に感謝と思いやりの気持ちを持って果たしていってもらいたいと語られました。 (問2)
ご家族についてお尋ねします。皇后さまは療養が続く中でも、この1年多くの活動をされましたが、体調や様子について陛下はどのようにご覧になっていますか。愛子さまは今年で20歳になり、成年皇族の一員となられます。入学した学習院大学に通学できない中でのお過ごしようや父親としての向き合い方、将来の活動や結婚についてのお考えをお聞かせください。陛下は平成期、上皇さまと秋篠宮さまと定期的にお話する機会がありましたが、直接顔を合わせられない中でどのようにコミュニケーションをとられていますか。 (天皇陛下)
雅子は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大による活動への制約などから、体調を整えにくくなっている面はありますが、種々の工夫や努力を重ねながら、幸いにして、昨年も諸行事や諸儀式を滞りなく務めることができました。特に、昨年の5月から6月にかけては初めての養蚕に取り組んだほか、11月には立皇嗣宣明の儀・朝見の儀を無事に終え、また、新年のビデオメッセージでは、一緒に国民の皆さんに御挨拶ができたことを良かったと思っております。 ただ、雅子はいまだ快復の途上にあり、体調には波があり、大きな行事の後には、疲れがしばらく残る傾向があります。これからも、無理をせずにできることを一つ一つ着実に積み重ねていってほしいと思います。また、雅子は私の日々の活動を支えてくれる大切な存在であるとともに、公私にわたり良き相談相手となってくれております。私も、今後ともできる限り雅子の力になり、支えていきたいと思っています。 国民の皆さんには、これまで雅子に温かく心を寄せていただいていることに、改めて感謝の気持ちをお伝えするとともに、引き続き雅子の快復を温かく見守っていただければ有り難く思います。 昨年の4月から大学生になった愛子は、新型コロナウイルス感染症の影響により、オンラインでの授業が続いておりますが、昨年秋に初めて大学に登校した際に「大学では新しい知識を得たときに感じられる喜びを大切にしながら、様々なことに取り組んでいければと思っています」と語っていたように、大学での勉強に意欲的に取り組んでいることを私と雅子もうれしく思い、また、少し頼もしくなったように感じております。オンラインでの授業では、課題もかなり多く、愛子もその一つ一つに一生懸命に取り組んでおり、大変そうですが、授業を準備される先生方の御苦労も大きいものと思いました。私たちも、愛子がオンラインで授業を受けているのをそばで見る機会もありましたが、私たち自身も、新たな知見を得ることができたり、何か学生時代に戻ったような気持ちになりました。今後、どのような状況の大学生活になるかは分かりませんが、愛子には、有意義な学生生活を送ってもらいたいと願っております。 愛子は、普段時間のあるときには、屋外で運動も少ししたりしていますが、家の中で過ごす時間も長いので、私たち家族3人で楽しく団欒(らん)する時間を大切にしてくれています。また、早いもので今年の12月で成人を迎えます。愛子が誕生した時の会見でも申しましたが、孟子の言葉を参考にした「敬宮」「愛子」という名前には、人を敬い、人を愛してほしいという、私たちの願いが込められています。それは20年経つ今でも変わっておりません。今後、成年皇族として公務に当たっていくことになりますが、感謝と思いやりの気持ちを持って、一つ一つの務めを大切に果たしていってもらいたいと思います。 そして、いろいろな方からたくさんのことを学び、自らの考えを深めていき、また、今まで以上に、様々な経験を積み重ねながら視野を広げていってほしいと願っています。その過程で、将来のことも含め、私たちで相談に乗れることは、できる限りしてあげたいと思います。 上皇陛下や秋篠宮と直接会う機会が減っていることは残念ですが、上皇陛下や秋篠宮とは適宜連絡を取るようにしております。ただし、詳細については、回答を控えたいと思います。 上皇陛下、上皇后陛下には、新型コロナウイルス感染症の感染拡大にお心を痛められつつ、日々を送っておられることと拝察いたします。どうか御無理をなさらず、お身体を大切に、末永くお健やかにお過ごしいただきますよう心よりお祈り申し上げます。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5eca06ff9121636f329c393b14e0a72c594b5aae