佐久市 ヤナギダ 趣味の店

長野県佐久市野沢93番地
ヤナギダ☎0267-62-0220

”売り物”を磨き育てる

2022-12-05 12:53:42 | 日記

誰にとっても「自分らしく
生きる」ことが理想の姿だ
と思います。

しかし、自分らしく生きるに
は、売り物、つまりその人なり
の特色がないと難しい。

価値の高い特色(=存在価値)
さえ身につけていれば、心も
暮らしも豊かになり、他から
の制約や干渉に左右されるこ
とも少ない。

武者小路実篤は「この道より
生かす道なし。この道を行く」
と言い、

高村光太郎は「僕の前に道は
ない。僕の後に、道ができる」
と言ったが、自分が一生懸命
に精進さえすれば、そこにお
のずと道が開かれ、

自信と生きがいを持って生きて
いけます。

「生活のために仕方なく」とか
「給料がいいから」などといって、
自分が好きでもない仕事につく
のは愚かなことです。

それでは、この世に生まれてき
たかいがありません。

どんな道でも、宝物となるまで
磨き上げるには、人後に落ちな
い長い苦労が伴います。

それも、必ずしもものになると
は限りません。でも幸いにして
自己発掘ができたならば、後は
人間関係を良くしていくことで
す。

誰でも、自分一人では何もできま
せん。すべて大勢の人の助力が
あって、はじめて名声を勝ち取る
ことができるものです。

 


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「この“三毒”が心を歪ませる」

2022-12-05 12:50:39 | 日記

私たちが生きているという
ことは、絶えずものを見た
り、聞いたり、感じたりす
るということ。

そして、自分がこの目で見、
この耳で聞いたりしたのだ
から間違いないと言います。

だが、本当にそうでしょう
か?

実際には、一度自分の心の
鏡に映して、つまり自分の
心を通して、見たり、聞い
たり、感じたりしています。

その自分の心はと言うと、
貧(とん)(貪欲)・瞋(しん)(怒りや妬
み)・癡(ち)(愚痴)の三毒に
よって歪んでいます。

だから、物事の真実は正確
に照らしだされていないと
仏教では教えます。

『法句経』にも、「水瓶の
水が風で波立っていたら
顔はまともに映らない。

怒りで煮え立っていたら、
きれいな顔に映らない。

愚痴で腐っていたら、いい
顔に映らない」とあります。

人の喜怒哀楽や物事の本質
を、そのまま自分の心に映
すことは難しいものです。

まともに映っているつもり
でも、心の鏡が三毒で歪ん
でいては、外の世界をちゃ
んと映すことはできません。

そのことに気がついて、も
う一つの目で冷静に見直し
てみたいものです。


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「舛」の中の捨てるタネ、残すタネ

2022-12-05 11:47:57 | 日記

心を升=蔵としてとらえた
場合、

実は人間は自分の心の升の
分量しか、物事を見聞きし
たり感じたりできない。

心の蔵の中には毎日の生活
で得たものすべてが入る。
それが、その人の性格、人
柄、人格になっていく。

だから、人格というものは、
いつでも直すことができる。
善いタネも悪いタネも刻々
と蔵の中に入ってくる。

その瞬間に、一つひとつ
善いタネを選び、悪いタネ
を排していき、自分の蔵の
中身を変えられるのだ」

結局、自分の升の中に何を
蓄えていくかは、様々な出
来事や人との出会いで決ま
ってきます。

ですから、できるだけ善い
ものを見、善い人々との出
会いを大切にしていくこと
が大事です。

 


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“ガキ大将”の存在感

2022-12-05 11:45:25 | 日記

自分を大事にしてもらい
たければ、人も大事にしなけ
ればなりません。自分の心を
わかってもらいたければ、人
の心がわかなければなりません。

共感力は、社会生活に欠かせな
い最も大切な能力の一つです。

この能力が欠けていると、人の
気持ちがつかめないゆえに集団
の中で孤立したり、対人恐怖症
になることさえあります。

多くの凶悪な少年犯罪は、きわ
めて共感能力の低い子どもたち
が起こすことが多いとのこと
です。人の身になって考えて
いるという習慣が小さいとき
から養われていないのです。

昨今、学校のいじめが目立ち
ちますが、いじめるほうは
自分がいじめられる場合の
ことを全く考えていません。

つまり、人に痛みを与える
ことをしても、自分がそれと
同じ痛みを受けたことがない
ので想像できないのです。

まさに共感能力が欠乏して
いるのです。

このようなことは、小さいとき
に昔のように外で遊んでいれば
自然に身につくことです。
子どもの遊び場を奪い、子ども
を塾に追いやったことから様々
な社会問題が起きています。

もう一度ガキ大将中心の遊びの
効用を見直す必要があるのでは
ないでしょうか。


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2022-12-05 11:43:28 | 日記

その少し前に、チュンユーとの
出会いがありました。

彼女の僕の前に、この部屋に
住んでいた人です。猫も彼女
の飼い猫でした。

彼女はここから車で三十分ほ
どのところにあるバードカレ
ッジの学生で、奥さんのいる
人とつき合っていて、、その
人の子どもを妊娠していたの
です。

なんらかの事情があって、そ
の人と半同棲の暮らしをして
いたアパートメントを追い出
された彼女は、ほかに行くと
ころもなく、昔住んでいたこ
の部屋のドアを叩いたという
ことなのです。

土砂降り雨の夜、顔に殴られ
たような青あざをつけて、幽
霊のようにドアの前に立って
いた彼女を、追い返すことは
できず、その夜は彼女を部屋
に泊めました。

誓って言いますが、彼女には
出会ってから今まで、指一本、
触れていません。
それはさておき、僕はたまたま
翌週からファームにこもる予定
でいたから、新しいアパートが
見つかるまでのあいだ、という
条件つきで、僕の部屋を提供し
たのです。もちろんちゃんと
家賃をもらうことにしました。

彼女はときどき、車を運転して、
僕が働いている畑まで会いにき
てくれました。

電話も電気もなく、現代文明と
は切り離された場所で暮らして
いたので、彼女に会って話しを
するのは、楽しかったです。

でも僕は彼女に対して、特別な
感情は一切もって持っていませ
んでした。

ただ、ある時彼女から「子ども
が生まれるまでは、あなたにそ
ばにいて欲しい」と、涙ながら
に頼まれたとき、どうしても

「NO」と言えなかったのは、事
実です。それは僕が、ミコンノ
ハハに育てられた男だったから
でしょう。


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沈黙は金なり。

2022-12-05 11:41:38 | 日記

まず、言いたいこ
とを実行し、その後で言葉
に出す人間になりたい。

あなたが口ベタでうまく
自分が表現できないな
ら、この言葉を思い出し
てください。

立派な人間とは、やはり、
言葉より実行が先にある
べき。

でも、忘れてはいけない
ことは、その後で「言葉
に出す」人間でならなけ
ればいけないということ。


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「不幸の シナリオ」

2022-12-05 11:37:45 | 日記

『知らないうちに「不幸の
シナリオ」を書いてしまう
パターン』
恋愛でも同じことがいえます。
「アイムノットOK」という
人は、恋をするたびに、最後は
やはりフラれるのではないかと

思ってしまいますから、相手が
別の女性とちょっと話をしてい
るだけでも、「あなた、私と別れ
ようと思ってるでしょう?」な
どと、つい口にしてしまいます。

そして、その次の日も、「やっぱ
り私のこと、もう飽きたんじゃ
ない?」などと言うものですから、

「君みたいなしつこい人とはもう
つき合いたくない」と、本当に
フラれることになる。

どれほど自分が愛していても、
また相手が献身的であって
も、最後は自分をフるように
しむける、そんなシナリオに

自分で変えていってしまうの
です。まさかと思うかもしれ
ませんが、現実には、こうした
タイプの人はけっこう多いので
す。

仕事でも勉強でも、成功体験の
乏しい人は、「やっぱりダメだわ」
といって途中であきらめてしまう
ので、成功からますます遠の
いていきます。成功しないか
らまた自信を失う。結局、悪
環境におちいってしまうわけ
です。

逆に言うと、そうした悪環境
を途中で断ち切る“武器”が
ないということになります。

子どもの頃どんな育てられ方
をしたかが、この悪環境を
断ち切る強力武器=

「自分も捨てたもんじゃない」
という自信の核になると私は
思っています。

たとえば、雛祭りや端午の節
句のときに決まった“行事”
を家族でいとなんだ、などと

いう一見ささいなことが、
意外のそうした自信の土台に
なっています。

「その日はかならず、雛壇の
前で甘酒と雛あられを食べた」
でも、「家族でファミレスに
行った」でもいいのです。

こうした経験のある人は、心
の底に「自分は愛されている、
愛されるに足る存在である」と

いう自信がしっかり育っている
ので、何かを始めたとき途中
で苦しい状況におちいっても、
投げたりすることはないので
す。

 


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