きれいな女のひとにあっても、
ただきれいだなと思うだけで、
さして気にとめないことが
多いのに、
いっぽう、きれいだとも思わ
ないのになにか惹きつけられる
人がいるだろう。
そして、その人がすばらしい
女性だったら、つきあっている
うちに、内のほうから美しさ
がかがやいてくるような感じで、
ついには、ほんとうにきれいで
あるような気さえする。
そんな人は、美しい。
と、岡本太郎さんがおっしゃて
おりました。
愛に効く薬は一つしかありません.
もっと、愛すること。
人を好きになると、人は幸せに
なります。
でも、人を好きになりすぎると、
今度はつらくなります。それは、
相手が自分の気持ほど応えて
くれない、
ということだけではありません。
人は気持が強ければ強いほど、
その気持ちが消えてしまった時
の自分を想像できなくなるから
です。
自分の気持の先にあるものを考
えると、不安になってしまうの
です。
そんな不安に打ち勝つためには、
たった一つの方法しかない、
それは、愛すること。
愛する不安はもっと愛すること
で解消するしかないのです。
「明日、自分が死ぬとしたら、
今日を一生懸命に生きていないの
はいやだ」これは僕の思いです。
「いつ死んでも悔いはない」とい
う意味ではありません。
起きて、仕事をして、テレビを見て
おしまい。それが人生最後の日なん
て、死んでも死にきれないくらい
悔しいと思うのです。
だからといって、夢のような出会い
やわくわくする冒険で日々を彩りた
いわけではありません。
明日で命が終わるとしても、後悔
せず、おだやかに世を去る方法
それは、今日をていねいに生きる
こと。これだけだと僕は思います。
ていねいに生きるには、その日が
大切な一日であることを思い出さ
せてくれる、きっかけが必要です。
何か一つだけでもいいから、暮らし
に新しさを投げ込みましょう。
毎日を新鮮にする一番の方法は
好奇心を持つこと。
ありふれた今日に潜む、新しさ
を見つける好奇心
なんともすてきな響きだと思う
のは、僕だけではないはずです。
新しさを見つける朝が、はじまり
ます。かけがえのない一日になり
ますように。
ほんのささやかなものでも、
ごく小さなものでも、「うれし
さ」がたくさんある一日がい
い。
そんな気持ちで、朝、目を覚
まします。
小さい子どもが日々のことに
疑問を思い前にすすむように、
自分で問題を見つけ、答えを
考える「独学」です。
自分プロジェクトみたいな
一日に一つ何かを学ぼうとする
心持です。
たとえば、僕の自分プロジェク
トのその一は「おいしいハーブ
ティをいれること」。
日本茶、紅茶、お茶というのは
どんなものでも、雑に淹れるのと
ていねいに淹れるのとでは、まる
で別の飲み物になります。
朝、お茶を淹れるたった五分が
工夫と発見のひとときになりま
す。
自分は何を目的として生きて
いるかわからないのは、せつ
ないものです。
そんなとき、たくさんの「自分
プロジェクト」を持っていれば、
朝、起きる目的も見つかります。
すこし慣れてきたら、暮らしの
工夫や趣味ばかりでなく、仕事
や人間関係にも「自分プロジェ
クト」をつくってみてはどうだ
ろう。
するとやがては、自分の生き方を、
自分の手でコントロールできる
ようになるでしょう。
人を好きになること、恋を
すること。
恋をする気持をいつも持つべき
だと思います。
たとえあなたがいくつでも、結婚
していて子どもがいても、恋人や
パートナーがいても、誰かに心を
動かされたら、
それを止めてはいけません。
「この人すてきだな。好きだな」
心がそうつぶやいたら、無理やり
押え込んだり、コントロールし
なくていいと思います。
むしろ、そう感じられる自分の
心の動きを大切にし、いとおしむ
ことが、毎日を楽しくしてくれる
のではないでしょか。
男女関係に限らず、ゴールの途中
のほうが楽しいというのは、思い
のほかたくさんあります。
小学生の頃の遠足にしても、前の
日までのワクワク感が楽しいし、
ドライブにしても目的地までの
道のりが楽しいのです。
同じように、誰かと出会い、好き
になり、自分の気もちがわあっと
高まって、相手に伝えるまでの
わくわく感は、告白の瞬間を
上回る場合もままあります。
二人で会って話をし、相手を
知りたい、相手に近づきたいと
いうもどかしさを抱えながら
言葉を交わすういういしいとき
めきは、
肉体関係を結ぶそのときよりも
輝いているかもしれません。
ゴールがない恋心は、無償の
愛にも似ています。
相手を振り向かせようとか、
自分を好きになってもらおう
という欲望、ちょっと言い方は
おかしいかもしれませんが「見返り」
をいっさい求めない、無垢な気持
です。
この人が好き、この人はすてき、
この人のことを考えるとわくわく
して、元気になれる。
そんな気持ちは馥郁(ふくいく)と
した香りのように、暮らしのすべて
に広がります。
恋心のすこやかさは人生のいろどり
であり、大いに喜び、楽しむべき
ことではないでしょうか。