佐久市 ヤナギダ 趣味の店

長野県佐久市野沢93番地
ヤナギダ☎0267-62-0220

親は子を育ててきたと言うけれど勝手に赤い畑のトマト

2023-08-19 12:59:35 | 日記
両親の離婚は―――
ちっとも悲しくなかった、と
言えば、それは嘘になる。

けれど、悲しくて悲しくて
毎日泣き暮らしていたのか
というと、そうでもなかった。

ただ、一度だけ、全身がばら
ばらになるほど激しく、泣いて
しまったことがある。
母が家を出ていってから、二、
三ヶ月が過ぎていた、ある日
曜の朝だった。

騒々しい物音で目が覚めて、
部屋のカーテンをあけたわた
しの目に飛び込んできた風景。

狭い裏庭いっぱいに積み上げ
られていた、鏡台、本棚、書
物用の机と椅子、洋服、バック、
靴、オルゴール、時計・・・

それらはすべて、母の持ち物
だった。

母は家を出ていく時、ほんの
僅かな荷物しか持って出なか
った。

だから、母がいなくなったあ
とも、家の中には母の所有物
が多く残されていた。きっと
そのせいで、わたしはまだ
「母がここにいる」と、感じる
ことができていたのだろう。そ
して、喪失感や寂しさから、救
われていたに違いない。

ねえ、お母さん。いつか、ここ
に戻ってくるよね?わたし、待
ってるよ。

ところがその朝、そんな期待は
木っ端微塵に打ち砕かれた。
母が愛し、慈しみ、使い込んで
きたもの。育ててきたもの。

何もかもがごっちゃにされて、
見るも無残な瓦礫の山と化し
ていた。翌朝、ごみとして
捨てられてしまうために。

それはまるで生きている者
たちのように、悲鳴をあげて
いた。わたしに向かって、
叫んでいた。

「助けて」
「捨てないで」
「連れていって」
「お願い」
その光景を目にした時、全身
から、悲しみが吹き出してきた。

心と同じように物も、痛みを
感じているのだと思った。

捨てられた痛み。愛する人と
離れ離れになった痛み。おそ
らく、わたしはその時初めて、
別れというものを、形あるも
のとして、見ていたのではな
いかと思う。

わたしは泣きながら、パジャマ
姿のまま庭に飛び出して、母
の持ち物の前まで駆け寄って
いった。

何かひとつ、たったひとつ
だけでもいから、救い上げたい。
でも、いったいどれを救えば
いい?

どうやって選べばいい?

これもあれも、母に大切に
していたものばかりなのに。
迷いながらも、手をのばして、
拾い上げて、抱きしめた。

茶色の熊のぬいぐるみ。
胸に赤いボタンがついて
いる――――

それは、幼かったわたしが、
眠る時も、ごはんを食べてい
る時も、テレビを見ている時
も、片時も離さなかった。
まるで友だちのような熊だった。

やがて成長したわたしが手放
したあとも、母は大切にしま
っておいたのだ。自分の宝物
として。
そのぬいぐるみを、わたしは
今も持っている。両腕で、か
ばい続けている。母とわたし
の傷痕の象徴として、

とどどき取り出して、赤いボ
タンに触れてみる。
「また会えたね」
と、呟きながら。


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ゆっくりと大地をめざめてゆくように動きはじめている夏の船

2023-08-19 12:57:49 | 日記
油断するとあっという間
こんなに大切なことが
知らないうちにどんどん
流されていくとは
知らなかった

気をしめなくては
油断したまま終わりがきそう
誰かを思い
せつなくなる時
その気持ちを大事にしよう





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あなたの”未来図”

2023-08-19 12:55:17 | 日記
人の顔の名称をよく見ると、
目は芽、鼻は花、歯は葉、耳は
実、髪の毛は根。
耳は一生変化することはありま
せん。その人の一生の結実で
あって、これが小さかったり、
耳たぶ自体が肉薄だとすると、
成功運は低いでしょう。

反対に耳が大きく、肉厚で、耳
たぶが硬く締まっている男性
は、大きな運気を内部に蔵し
ています。
さらに、耳たぶが前方に受け皿
のようになっているタイプは
大金を握ると、昔から言われ
てきた。

植物・草花にしても、永遠に結び
つづけるわけはなく、むしろ
盛りは短く、人間ではほぼ10年
といわれています。
1.若い頃にまとまってくる人

2.人生の中盤にやってくる人

3.人生の後半にやってくる人

4.まとまった十年ではなく、
こま切れのように来る人

なかには20年、30年も盛り
がつづく人もいますし、数年の
人もいます。
スポーツマン、芸能人は耳で
判断。
サラリーマン、OLは人生の
中盤が多いですが、
目に強い光があるかどうか
を見ます。

上司の引き立てを得て芽(目)
が出るかどうか、を見るのです。
鼻が大きければ、大輪の花を
咲かせますから、人生の後半が
楽しみなタイプ。


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遅れてきた恋 

2023-08-19 12:30:37 | 日記
母も叔母も、結婚に大失敗して
いる。
しかもふたりとも、大恋愛の末
に結ばれた恋愛結婚。

母はどう思っているのかわから
ないけど、少なくとも叔母は、な
んとしてでも
わたしには「幸せな結婚させたい」
と願っている。そしてそれは、お
見合いによってこそ、可能になる、
と。

その気持ちは、ありがたいと思う。
思うけれど、お見合いなんて―――
わたしには、関係ないもの。
結婚を前提にして、誰かに会う
なんて、馬鹿げている。順序が
逆だし、動機が不純。
それに、あらかじめ「だいたい
こんな人」とわかっている人に
会っても、

ときめきもなければ、驚きも
発見もないではないか。その人
に恋することも、おそらくない
だろう。

恋がなくては、愛は始まらない。

などと、偉そうな口をきいた
わたしを、叔母は笑い飛ばした。

「英美ちゃんはまだ、なんにも
わかってないの。あのね。恋愛
と結婚は、まったく別のものな
の。一緒くたにして考えちゃ、
だめ。
結婚は、ふたりでこつこつと築
いていくものなの。

築いていく過程で、愛も絆も
深まっていくものなの。人生の
大切なパートナーを見つけるた
めには、偶然の出会いや、アク
シテントみたいにして始まった
恋愛だけに頼るなんて、
無謀なことだと思わない?

相手のことを、何も知らないま
まで、恋に走っていくなんて、
とっても危険なことでしょう。
その点、お見合いなら安全性が
高い。ある程度、どんな人なの
か、わかっている人と会って、
それから思う存分、恋愛すれば
いいじゃない?

ね、苦い人生経験者の話には、
素直に耳を傾けるものよ」
反論する気になれなくて、黙
っていると、叔母はにっこり
笑って、わたしの肩をポンと
叩いた。

「とにかく、一度だけ、会って
みなさい。堅苦しく考えないで、
何かひとつ、新しいことを始める
んだっていうような、そんな気持ち
でいいんだから」
新しいことを始める。
その言葉に、背中を押されたような
気がした。

新しい恋を始める。
頭の中で、勝手に「恋」と言いかえ
ていた。


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雑草とは、その美点がまさ発見されていない植物である。

2023-08-19 12:28:18 | 日記
もしも私が人生に絶望し、もう
生きていくのがつらいと思って
も、カーテンの隙間から差し込
む光のような希望を持てたら
いい。

重なり合った葉の隙間から見え
る青空のような希望が持てたら
いいと思う。

きっと希望とは壮大なものでは
なく、日々生きていくことを
勇気づけるささやかなもの
かもしれない。

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悲しむのも集中力

2023-08-19 12:26:08 | 日記
人は愛するたびに誤ちをおかし
ているのかも知れない。それでも
愛さなかったより、愛する幸福を
一度でも知った方がより深い人生
を生きたことになる”
               
余談だが、
北鎌倉の駅から鎌倉よりに、東慶寺
という静かな尼寺がある。
江戸時代から有名な「かけこみ寺」
である。

封建時代には、女は結婚の自由は
もちろん、離婚の自由さえなかった。
親や兄弟の利益のため政略結婚に
利用され、どんなに横暴で非道な
虐待をうけても、女は一たん嫁(か)
した以上は、死ぬまでそこで辛抱を
強いられた。

そのくせ、女は夫の都合によって、
いつでも勝手に離婚されることが
あった。

妻が夫と別れたい時は、死ぬしか
道がなかった。

ただ一つ北鎌倉の東慶寺まで逃げ
のび、一歩この寺へたどりつけば、
法律の届かない世界になっている。

 今でも昔のままに残っている東慶
寺の石段の下までたどりつくと、追
手に追われた女は、必死になって、

履物を寺の境内にむかって投げ
こんだ。それが片方でも境内に
とどきさえすれば有効で、体は
捕らえられても女の逃走は認め
られるというきまりがあった。
・・・・・・・。


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あの夜はどこへ行ってしまったんだろう。

2023-08-19 12:20:17 | 日記
言葉を捨てることにより、
明瞭な答えを
得られることもある。

あなたは言葉によって
この世界を 体験している。
あなたに向かって
発せられた言葉や、あなた
が発した 言葉で喜んだり
悲しんだり怒ったり、

ジェットコースターのよう
に想いが 上下する毎日を
過ごしているのでは
ないだろうか。

内的な言葉であっても、声に
出した 言葉であっても、書いた
言葉であっ ても、あなたはつね
にこの現実を 言葉によって構成
した体験している のだ。

でも、とても大切なことを
ひとつだ けを覚えてほしい。
それは、あなた が本当は言葉を
介さなくてもこの 世界を直接感
じ取ることができる ということを。

本当に大切なフイーリングは言葉
に置き換える必要などないという。
そう、沈黙は場を制す。



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