いる
それは誰よりも きらめ
いて 静寂な草原に神秘
でさえある
恋の始まりであれば な
おさらでその静かな夏を
抱いた人と一緒にいるこ
とさえ 神秘だった
まわりが夏のまぶしさで
跳びはねているからこそ
その人 その恋は
余計ひそやかで印象的
だった
日差しに まばたきすると
夢のように消えそうだった
女の才能を伸ばす男を選びな
さい / ココ・シャネル
「唯一愛した男の」の死
1919年、シャネル36歳の
クリスマス。カンヌで自動車事故を
起こして、ココが愛したカペルは
死んだ。
シャネルは18時間、ノンストッ
プで車を走らせたが入棺には間に
合わなかった。
彼女はひとりで事故現場に行った。
シャネルのその時の姿を伝える
のは車の運転手だ。
カペルの車は半焼けになって
回収不能のまま道路端に片づけら
れていた。
シャネルは車体に手を置きながら、
その周囲をぐるりとまわった。
それから縁石に腰を下ろして道に
背を向けて、
頭を下げて、激しく泣いた。
運転手は言う。
「恐ろしく激しく、数時間も」
泣いていました、と。
彼女はコレクションのショーの
最後をウエディングドレスで
飾ったことはなかった。
その前後、ココ・シャネルは
髪を切っている。
その理由を本人は「うるさいか
らよ」と言ったが、
シャネルがカペルの気持の変化、
心の揺れを察知していた時期だ。
「男に頼らないと生きてゆけな
女」との決別の儀式だった。
カペルは言葉ではなくその存在で、
シャネルに教えていた。
「裕福に生まれつく必要はない。
裕福になればいい。そして裕福
になれば自由が手に入るのだ」と。
男がほんとうに女に贈り物を
したいと思ったら結婚するものだ。
/ ココ・シャネル
私と似た人とすれ違って、
誰だっけと立ち止まって
くれたらいいけれど
私にいつか出逢ったときに
はじめましてと言ってくれ
たらいいけれど
愛するということは
愛するということ
とてもシンプルなこと
わたしが
ただあなたを愛するという
こと
二人ではじめて逢った海
モーツアルトを聴いた帰りの海
キスを許した夜の海
本のように二人で読んだ青い海
喧嘩して一人で来た雨の海
一人が結婚してしまい
あとの一人が思い出していた海
海は今でも青いだろうか
物語が終わってしまっても
海は終わらない
“くよくよしないように。
たとえば海はもう一万年も
前から生きているのです“
秋も深まると、夜、強い風が
吹いた翌朝など、栗の木の下
にいがぐりがたくさん落ちて
いるのを見かけます。
栗の毬のトゲははじめのうち
は緑色でやわらかく、かわい
い感じがしますが、
実が熟し、太ってくるにつれ
て、毬は茶褐色に変化し、棘
も鋭く、ちょっと触れただけ
でも強い痛みを覚えるほどに
なります。
しかし、十分に熟れると栗の
毬は落ちた地上で弾け、中か
ら艶々と輝く光沢の実が顔を
のぞかせます。
これが「栗笑む」といわれる
状態です。
「笑顔」の栗を探して、毬を
足で踏み開き、中から栗を取り
だす栗拾い。最近ではほとんど
見かけなくなった光景です。
木という字を一つ書きました
一本じゃかわいそうだから
と思ってもう一本ならべると
林という字になりました
淋しいという字をじっと見て
いると
二本の木が
なぜ涙ぐんでいるのか
よくわかる
ほんとに愛しはじめたときにだけ
淋しさが訪れるのです
宮大工の西岡常一さんは、「今は
個性を大事にする時代や言いま
すが、私たち職人から見たら、
使っている物も、住んでいる家も、
着ている服も、人を育てる方法も、
そして考え方まで、みんな規格に
はまって同じになっているんやな
いかと思えます。
そして、たいていのことは機械が
してくれる便利な世の中になり
ました。でも、職人の仕事は、
機械では代わらんものだという
ことを強く感じています。
一人前の職人になるには長い修行
の時間がかかります。
近道や早道はなく、一歩一歩進む
しか道がないからです。頭で記憶
するだけや、本を読んだだけでは
覚えられません。
途中を抜かしたり借り物でその場
を取り繕っても、最後には自分で
解決しなければ職人の仕事は終わ
りません」と語る。たいへん鋭い
洞察である。
今は、どんなことでもほとんど機
械がしてくれます。たいがいの知
識、情報も簡単に手に入ります。
しかし、その分自分で考えたり、
個別対応をすることがなくなり、
画一化が進んでいます。
自分の頭で考えることをしない
と、差別化や進歩は難しと思
います。