カーテンのかかっていない窓
から、射し込む月明かりが
眩しかった。
その後の運命いかに
結ばれて「凶」の文字を
さらすおみくじ
夕方の明かりをともす頃、
主婦は夕げの支度をし、
勤め人は帰りを急ぐ。
灯のついた住宅のそばを
通ると、魚を焼くにおいが
道に流れてきたりする。
灯ともしごろは火点(とも)
しごろであり、電気のなか
った昔、家の中の
行灯や街路を照らすガス燈
は、人の手でともされた。
花の蕾がほころぶことも、
火点しという。花の蕾は
夕方から夜にかけて
開くと信じられていたの
である。
「線香が火点す梅の花の技」
なつかしい。あの人と、
今ここで、ふたり
並んで窓辺に佇んで、この町
の眺めを、
ただ、一緒に見たらいいなと思う。
あの頃と同じように、ただ黙って、
同じものを(お互いの顔などでは
なくて)、
同じ方向を見つめているだけで
いい。
今、どこで、どうしているの
だろう。
“あなたからきたるはがきの
かきだしの「雨ですね」
さう、けふもさみだれ“
電話で、「雨ですね」と言いあ
うのとは違う、不思議な連帯感が
生まれる。電話ならまさにリアル
タイムで、今自分の見あげている
空を、
相手も見あげて相づちを打つわけ
で、それは単なるあいさつにすぎ
ない。
葉書に書く「雨ですね」は、そう
ではない。それは、あなたのこと
を思ってペンをとっていた時間に
雨が降っていました、といいう
一種のしるしのようなもの。
私はその時「・・・・ね?」と
あなたに話しかけたかった、
という気持ちの消印のようなもの。
リアルタイムでなく、時間の幅を
持って、その想いが届けられる。
「さう、けふもさみだれ」という
相づちも、同様に、気持ちの消印
である。
今あなたの文字を見つめながら、
心の中で返事をしました、と
いう。
正確な意味では時間はズレている
けれど、「さみだれの降る季節」と
いう視点から見れば、わたしたちは
時を共有しあっている。
そして一枚の葉書をとおして、
心を共有しあっている。