佐久市 ヤナギダ 趣味の店

長野県佐久市野沢93番地
ヤナギダ☎0267-62-0220

「その後の運命いかに」

2023-08-29 13:04:38 | 日記

 

カーテンのかかっていない窓
から、射し込む月明かりが
眩しかった。

その後の運命いかに

結ばれて「凶」の文字を
さらすおみくじ 


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「残んの月」 ーのこんのつきー

2023-08-29 12:59:36 | 日記
 
 
残っている月は、はかなさを
感じさせる。朝とともに消えてゆく
定めだ。日本人は、失われてゆくも
の、はかないものに美意識を持って
きた。

「残んの」という表現に詩的な響き
がある。「遠山の花は残んの雪かと
見えて」と『平家物語』にあるよう
に、「残んの」という言葉は数多くの
文芸作品に使用されてきた。

残り香りは、その人がいなくなった
あとに残っているほのかなにおいだ。
ここにいないことがいっそう愛着を
つのらせる。


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愛をひどく息ぐるしくするもの

2023-08-29 12:58:38 | 日記

 

人は、愛する女(ひと)のすること
なら、何でも許してやる。

愛をひどく息ぐるしいものに
するのはすなわちこれだ。 


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灯(ひ)ともしごろ

2023-08-29 11:52:44 | 日記
2022-08-29 11:53:48 | 日記

 

夕方の明かりをともす頃、
主婦は夕げの支度をし、
勤め人は帰りを急ぐ。

灯のついた住宅のそばを
通ると、魚を焼くにおいが
道に流れてきたりする。

灯ともしごろは火点(とも)
しごろであり、電気のなか
った昔、家の中の
行灯や街路を照らすガス燈
は、人の手でともされた。

花の蕾がほころぶことも、
火点しという。花の蕾は
夕方から夜にかけて
開くと信じられていたの
である。

「線香が火点す梅の花の技」

 


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「なんとか生きている。一睡もできないまま、朝が来た」

2023-08-29 11:50:55 | 日記

 

なつかしい。あの人と、
今ここで、ふたり
並んで窓辺に佇んで、この町
の眺めを、

ただ、一緒に見たらいいなと思う。

あの頃と同じように、ただ黙って、
同じものを(お互いの顔などでは
なくて)、

同じ方向を見つめているだけで
いい。
今、どこで、どうしているの
だろう。


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雨ですね」  ーArt Farmerー

2023-08-29 11:48:51 | 日記

 

 

“あなたからきたるはがきの
かきだしの「雨ですね」

さう、けふもさみだれ“

電話で、「雨ですね」と言いあ
うのとは違う、不思議な連帯感が
生まれる。電話ならまさにリアル
タイムで、今自分の見あげている
空を、

相手も見あげて相づちを打つわけ
で、それは単なるあいさつにすぎ
ない。

葉書に書く「雨ですね」は、そう
ではない。それは、あなたのこと
を思ってペンをとっていた時間に
雨が降っていました、といいう
一種のしるしのようなもの。

私はその時「・・・・ね?」と
あなたに話しかけたかった、
という気持ちの消印のようなもの。

リアルタイムでなく、時間の幅を
持って、その想いが届けられる。
「さう、けふもさみだれ」という
相づちも、同様に、気持ちの消印
である。

今あなたの文字を見つめながら、
心の中で返事をしました、と
いう。

正確な意味では時間はズレている
けれど、「さみだれの降る季節」と
いう視点から見れば、わたしたちは
時を共有しあっている。

そして一枚の葉書をとおして、
心を共有しあっている。

 

 


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「夏の夜の夢」にあなたが笑うとき微かに香るファーレンハイト

2023-08-29 11:47:01 | 日記
 
 
 
考えてみれば、香りはなかなかの
曲者である。何も語らない。その
くせ饒舌である。

私たちの無意識に訴えかけて、そ
の行動をさりげなく支配する。

順番からいえば、花はまず香りから
抜けてゆく。形を保ちながらある日、
香らなくなる。

香りの抜けた花は、すでに美しさの
ピークを過ぎている。

ということは枯れる前に形だけの花
が存在する。昨日と同じように咲き
ながら、もう芳香を放たない花を見
ると、何やら淋しくなる。

文章を書いていると、香らないと思う
ことがある。そんな時、文章としては
形は整っていても、失敗作だと思う。

薫りは作品の色気につながり、生命力
につながる。躍動する生命力が感じ
られない文章なんて、意味がない。

立派な文章を書きたいわけではない。
美しい文章も要らない。ただただ、
匂い立つ文章を一編でも良いから
書けたらと思う。

そういえば最近、季節の香りを感じ
ることが少なくなった。昔ほど木の
芽が匂わなくなった。

柚子も同じだ。匂わない木の芽
や柚子なんて、お吸い物の中で
邪魔なだけだ。

多分、女性も同じだろう。
形だけ美しく飾っても香らなく
なったら・・・・・。

そう考えると、女でいることを
大切にして欲しい、と切に思う。
 

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