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仙台市の教育機関と自衛隊兵器展示会。なぜ結びつくかが理解できませんが。
こういうことが進んでいます。
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同上
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田沢湖、夕日
1941年アジア・太平洋戦争開戦から71年を迎えました。日本軍がアメリカハワイ真珠湾を奇襲攻撃して、太平洋戦争が始まりました。その結果、日本国民、アジアの人々は(1931年満州事変以降も含めて)日本人310万人、アジア諸国人民2000万を超す犠牲になりました。その反省に立ち、日本は平和憲法を制定し、67年間「戦争をしない国」として殺し殺される国にならずにきました。
この憲法を維新の会代表は「醜い」「世界から孤立させられた」「押し付けられた」「日本人が堕落した権化」と口汚くののしっています。石原氏のこの言動は天に唾するもはなはだしい暴言、妄想です。彼は日本を軍事国家、天皇制国家、赤紙で徴兵制を復活させたい。中国、韓国などに有無を言わせない、軍事力行使ができる国家体制を作りたいと考えています。このような主張が本当に勇気ある政治主張なのでしょうか。彼の一連の行動は、他国を挑発する言動を繰り返しています。その結果、日本政治、経済に大打撃を与えていることなどにはまったく責任を感ぜず、ノー天気に行動しています。主張はウルトラ右翼です。このような歴史に学ばず、妄想にとらわれた政治屋を面白いと祭り上げてきたマスコミ、自治体の責任です。反省すべきです。
今回、自民党、維新の会、民主党の半数くらいの議員が主張する改憲賛成、集団的自衛権容認、国防軍などの主張はきわめて危険な政治的策動です。これらの動きを経済問題と同列に考え、仕方がないと容認することは許されないと考えます。
彼らは国防軍と呼称を変えるのではなく、旧大日本帝国憲法時代の日本軍創設を狙っています。交戦権を法的に記載すること。そして、集団的自衛権の名のもとで戦争が出来るようにする。日米安全保障条約に基づく戦争に参戦できる国家を作ることになります。戦艦大和に乗船して276人の生き残った軍人の1人(90歳)が言っていました。「戦艦大和は自分の青春そのものだと。しかし、楽しかったことは一回も無い。戦艦大和が米軍飛行機に爆撃され、沈没したときに、海に飛び込み、このときにうれしかった。」「その理由は、これで自由になれる。生きることが出来ると」。普通の軍人はほとんどが行きたかった。何のために戦争なんかをするのかと思っていたはずです。自民党、維新の会、民主党の憲法改正賛成派、その他憲法改正賛同者は、同考えるのでしょうか。「人間としての生きたい、人を殺したくない」との当然の考え方、主張を無視したり、攻撃することを許してはならないと思います。これらの政治勢力は原子力発電所容認、稼動賛成派であることも共通しています。
<週のはじめに考える 憲法改正のマジック>東京新聞
憲法で禁じた集団的自衛権の行使を法律によって可能にする、こんなからくりが国会で進みつつあります。実現すれば平和憲法はなし崩しになります。
十六日投開票の衆院選挙で集団的自衛権の行使容認を訴えているのは自民党、日本維新の会、国民新党など複数あります。
公約には掲げていないものの、野田佳彦首相が「見直す議論を詰めていきたい」と述べるなど民主党の中にも容認派はいるようです。尖閣諸島などの問題や国内の行き詰まった状況がナショナリズムを高めているのでしょう。
◆集団的自衛権行使へ
集団的自衛権とは何なのか。あらためておさらいします。一九八一年、政府は答弁書で、集団的自衛権について「自国と密接な関係にある外国に対する武力攻撃を、実力(軍事力)をもって阻止する権利」と定義したうえで、「わが国が主権国家である以上、集団的自衛権を有しているが、憲法九条で許容される必要最小限の範囲を超え、行使は許されない」としています。
政府見解は定着しており、憲法改正を経なければ、集団的自衛権行使は認められないはずですが、「国家安全保障基本法」の制定によって行使が可能になるとの見方が政党間で急浮上しています。
例えば、自民党は七月の総務会で国家安全保障基本法の制定を決めました。まだ法案の概要しかありませんが、次に政務調査会が詳細な中身を定めていきます。
法案の概要をみると、第一○条「国連憲章に定められた自衛権の行使」は、国連憲章五一条の規定を根拠に集団的自衛権の行使を認めています。第一一条「国連憲章上の安全保障措置への参加」は、国連安保理決議があれば、海外における武力行使を認める内容となっています。
◆憲法解釈変える法律
どちらも憲法九条の解釈に明らかに反します。憲法違反の法案は国会提出さえできないのでは、そんな疑問が浮かびます。
一面はその通りです。行政府の中央省庁が法案をつくる内閣立法なら、憲法との関係を審査する内閣法制局の段階でストップがかかり、国会提出には至りません。
国会議員が法案をつくる議員立法となれば話は別です。衆院、参院それぞれの法制局が審査して意見を述べますが、提出を決めるのは立法権のある国会議員。国会で法案を説明するのは提出議員のため、答弁に窮するような問題のある法案が提出に至ることはまずないのですが、前例があります。
二〇一〇年五月、中谷元・元防衛庁長官ら五人の議員が「国際平和協力法案」を衆院に提出しました。先月の衆院解散により審議未了で廃案となりましたが、海外での武力行使が不可避な自衛隊の活動が三項目含まれ、憲法違反が疑われる内容でした。
国家安全保障基本法案も、議員立法の手続きが予定されています。自民党はこの法律とともに集団自衛事態法、前出の国際平和協力法を制定し、自衛隊法を改定するとしています。
これらの法律が成立すれば、集団的自衛権行使や海外の武力行使が解禁されることになります。法律が憲法違反か審査する憲法裁判所のような規定がわが国にはないため、法律によって憲法解釈が変更され、「国のかたち」を変えるのです。やがて憲法が自衛隊活動の実態に合わないとの批判が起こり新たな憲法が制定に至ると見込んでいるのではないでしょうか。まるでマジックです。
国会で過半数を占めさえすれば、国家安全保障基本法は成立します。三分の二の国会議員の賛成や国民投票が必要な憲法改正と比べ、なんとお手軽なことか。与党であっても党内で反対され、この裏ワザはとらなかったのですが…。
○七年、自民党の安倍晋三総裁は首相だった当時、自衛艦と並走する米軍艦艇の防御、米国を狙った弾道ミサイルの迎撃など四類型を示し、集団的自衛権行使の容認を目指しました。いったいどの国が世界一の軍事力を誇る米国に対して正規戦を挑むというのでしょうか。
◆海外の武力行使が可能に
起こりそうなのは、米国による海外の戦争に参加して武力行使することではないでしょうか。第二次世界大戦後、各地で起きた戦争や紛争の多くは、米国や旧ソ連が介入して始まりました。「大量破壊兵器を隠し持っている」と言いがかりをつけて米国が始めたイラク戦争に英国は集団的自衛権を行使して参戦しました。イラクへは陸上自衛隊も派遣されましたが、憲法の規定から人道復興支援にとどまりました。
日本の平和を守り、国民の安全を守ってきた憲法を法律でひっくり返す「法の下克上」は断じて認めるわけにはいかないのです。
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