数年前から全国に吹き荒れた「市町村合併」騒動。その結果、全国の市町村数は約半分となった。成功例、失敗例は数えられないほどある。当時の総務省が代表例として市長が全国行脚をした「篠山市」も、いまや「失敗例」の典型として紹介されている。
合併の成功・失敗は地元の取り組みにもかかっている。多くの失敗例は、合併を「手段」ではなく「目的」としたところに大きな原因がある。合併してどうような街をつくるのか十分な議論なしで合併したところは、軒並み後悔している。となりの木津川市も例外ではない。合併時には「悪いようにはしない」と大半の協議事項を「合併後」の協議としたまま合併を先行させた。昨年の議会で、公共施設の使用料が大幅アップしたため、多くの団体では活動の縮小も検討しているとのこと。特に、住民にとって使いやすかった「旧加茂町」では、この問題だけではなく大きな負担となっている。
さて、合併の際にその理由として登場した1つが「インターネットの普及による情報環境の変化」である。確かにその事実はあるし、活用することも必要ではある。ただ、この活用如何では「自治」を破壊することもあると思う。この問題は、精華町議会で今議論されている議員定数問題でも提案者が理由とした・・・
今では、精華町の広報にも各課のアドレスが掲載されていて、個々の住民とのやりとりもスムースである。メールの活用は、お互い知った者同士の連絡などには効率的で有用である。しかし、その弱点として「匿名性」「個別性」などがある。現時点での技術水準では庶民が使いこなせているのはこのレベルである。この弱点が、なぜ自治を破壊する恐れがあるか。賢い読者の皆さんなら推測できると思います。
自治の基本は民主主義です。この民主主義というのは、ある意味面倒なものです。手続き面や少数意見の尊重、事実の確認など慎重に進める必要があります。
例えば、ある地域の自治会長が、自治会で協議した結果を担当課に連絡する場合は、その内容も理由もお互い共有することができるでしょう。しかし、ある個人が「あの交差点は事故が多いので、監視カメラをつけて欲しい」というメールを送った場合。カメラの設置には、同じ地域でも賛否両論がでる可能性がある。別の個人が「カメラではなく交通指導員を置いてほしい」という希望・意見を出すこともあるだろう。こういう問題の場合は、まず当事者が、地域の人々がよく話し合い、「解決すべき問題は何なのか」、「その問題を解決する有効な手段は何があるのか」、「自分たちでできることは何で、行政にお願いすべきことは何なのか」、「問題の原因・根本をなくしたり縮小させるためにどのようにすればいいのか」などを皆で考えあうことが民主主義であり自治だと思う。恐らくいろんな意見が出るだろうし、以前に体験していた方からは経験談も聞けるだろう。時代や地域性が異なるので、同じ方法ですべてが解決するとは思わないが、参考にはなるし「自分たちがすべきこと」も明確になるだろう。この問題で、もし地域の協議がなされず個々の住民と行政(議員)との関係だけで終結していたら、その個人は「できたかできなかったか」で満足度を測るだろうし、自治の力は育たない。ましてや、財政的には、すべての個々人の要望に応えようとすればすぐに破綻してしまう。
この例のように、インターネット技術は、必ずしも自治や民主主義にとって有用な面だけではない。現実に、精華町役場には行政にも議会にも個々人からの要望が増えている。この場合も、単純にその要望を鵜呑みするのではなく、事実の確認、関係者の意見などを加味したうえで妥当性を判断することとなる。場合によっては、複数の意見を統合した制度が必要な場合もある。それをどのようなものにするかが、自治の力であり、制度的な機関としては町長と議会がある。
自治の世界において、住民は「主人公」ではあっても「お客さん」ではないのだ。その意味からすれば、一部の自治体が取り組んでいる「住民満足度調査」というものは使いようによっては自治への刀となる恐れも包含している。新自由主義の考え方に「お客様」論があり、それが尾をひいているようだ。
合併の成功・失敗は地元の取り組みにもかかっている。多くの失敗例は、合併を「手段」ではなく「目的」としたところに大きな原因がある。合併してどうような街をつくるのか十分な議論なしで合併したところは、軒並み後悔している。となりの木津川市も例外ではない。合併時には「悪いようにはしない」と大半の協議事項を「合併後」の協議としたまま合併を先行させた。昨年の議会で、公共施設の使用料が大幅アップしたため、多くの団体では活動の縮小も検討しているとのこと。特に、住民にとって使いやすかった「旧加茂町」では、この問題だけではなく大きな負担となっている。
さて、合併の際にその理由として登場した1つが「インターネットの普及による情報環境の変化」である。確かにその事実はあるし、活用することも必要ではある。ただ、この活用如何では「自治」を破壊することもあると思う。この問題は、精華町議会で今議論されている議員定数問題でも提案者が理由とした・・・
今では、精華町の広報にも各課のアドレスが掲載されていて、個々の住民とのやりとりもスムースである。メールの活用は、お互い知った者同士の連絡などには効率的で有用である。しかし、その弱点として「匿名性」「個別性」などがある。現時点での技術水準では庶民が使いこなせているのはこのレベルである。この弱点が、なぜ自治を破壊する恐れがあるか。賢い読者の皆さんなら推測できると思います。
自治の基本は民主主義です。この民主主義というのは、ある意味面倒なものです。手続き面や少数意見の尊重、事実の確認など慎重に進める必要があります。
例えば、ある地域の自治会長が、自治会で協議した結果を担当課に連絡する場合は、その内容も理由もお互い共有することができるでしょう。しかし、ある個人が「あの交差点は事故が多いので、監視カメラをつけて欲しい」というメールを送った場合。カメラの設置には、同じ地域でも賛否両論がでる可能性がある。別の個人が「カメラではなく交通指導員を置いてほしい」という希望・意見を出すこともあるだろう。こういう問題の場合は、まず当事者が、地域の人々がよく話し合い、「解決すべき問題は何なのか」、「その問題を解決する有効な手段は何があるのか」、「自分たちでできることは何で、行政にお願いすべきことは何なのか」、「問題の原因・根本をなくしたり縮小させるためにどのようにすればいいのか」などを皆で考えあうことが民主主義であり自治だと思う。恐らくいろんな意見が出るだろうし、以前に体験していた方からは経験談も聞けるだろう。時代や地域性が異なるので、同じ方法ですべてが解決するとは思わないが、参考にはなるし「自分たちがすべきこと」も明確になるだろう。この問題で、もし地域の協議がなされず個々の住民と行政(議員)との関係だけで終結していたら、その個人は「できたかできなかったか」で満足度を測るだろうし、自治の力は育たない。ましてや、財政的には、すべての個々人の要望に応えようとすればすぐに破綻してしまう。
この例のように、インターネット技術は、必ずしも自治や民主主義にとって有用な面だけではない。現実に、精華町役場には行政にも議会にも個々人からの要望が増えている。この場合も、単純にその要望を鵜呑みするのではなく、事実の確認、関係者の意見などを加味したうえで妥当性を判断することとなる。場合によっては、複数の意見を統合した制度が必要な場合もある。それをどのようなものにするかが、自治の力であり、制度的な機関としては町長と議会がある。
自治の世界において、住民は「主人公」ではあっても「お客さん」ではないのだ。その意味からすれば、一部の自治体が取り組んでいる「住民満足度調査」というものは使いようによっては自治への刀となる恐れも包含している。新自由主義の考え方に「お客様」論があり、それが尾をひいているようだ。