とうやのひとり言

佐藤とうや ブログ

「校訓に勤労」の平田中学校が閉校

2012年03月25日 | インポート

003 わが母校、酒田市立平田中学校は58年の短い歴史に幕を閉じる事になった。人口減少が加速度的に進む結果なのか、政策的な指針なのかも判然としないまま、このところ、小中高校の統廃合行事がやたらと多い。画一的、適正な学級数が子供たちにとってベストなのか、大規模校も小さな学校もバラバラに存在した方が良いのか、難しい判断である。
 昭和の大合併前、飽海郡の平田郷には北平田、東平田、中平田、西平田村が存在した。北平田村と中平田村は東平田村を誘って、中学校の統合を模索した。後で合併する事になるのだが東平田村は当時、スクールバスもなく、遠距離であり生徒数も多かったことから、北、中平田村の組合立中学校の建設へ英断を下した。
 建設場所をどこにするのか、負担率をどうするのか、どんな学校にするのか難問題を超えて現在地に、ホテルみたいと言われた立派な学校が建った。田んぼの所有面積がその家のステータスの様な時代。子供が勉強する学校のためと協力してくれた地権者の思いが偲ばれる。
 埋め立て骨材は、鉄興社のスラグを馬車で運んだと聞いている。グランドの土は、冬の間に馬そりで運び、生徒が体育の時間を使って先生と一緒に整地をやり、体育の時間などなかったと先輩が語ってくれた。ダンプもブルドーザーもない時代、ただひたすら地域の子供のため勤労の汗を流した。
 結城哀草果作詩の校歌に「勤労の汗」が加わっている。自主、健康、共同、勤労、が校訓だった平田中学校は消えた。

コメント (1)
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