Nonsection Radical

撮影と本の空間

時間を無駄にする

2011年01月09日 | Weblog
振り子さん(24才、165,48,83,59,85 以上推定)が格安のF5なんぞの画像を上げるから、ふと魔が差してネットで検索してしまった。
といっても大阪にいるので中古カメラ店の情報など持っていない。
大阪にはどんなカメラ屋さんがあるのかなと、それから調査しなければならない。
カメラ雑誌(写真雑誌とは呼ばない)の巻末にはカメラ店の広告があるのだろうが、そんな雑誌を買わないのでわからない。

もちろんカメラを買うつもりはない。
ただ、シュミレーションしているだけ(苦しいイイワケもいいわけ?)
ニコンのカメラはFM3を持っていて、おもにPCニッコールで遊んでいるのだけど、イイにはイイけど、なんかあの「ぱしゃ~ん」という安っぽい音がブレるんではないかと常々不安に思っているのだ。
もちろんホントはカメラのせいでブレるのではなく、アル中で震える手のためにブレるのだけど、人間というものは他に原因を転嫁したがる存在で、「早いのは俺のせいではなく、君が良すぎるんだ」というイイワケと同様な事を考える。
で、相手 ではなく、カメラを替えれば手ぶれの心配もなく、更に酒を飲めるのではと ではなく、更によりマシな写真が撮れるのではと思う弱い存在と化すのである。

つらつらとサイトを渡り歩いていると(これをネットサーフィンというのはいつの世代までだろう)、さまざまな使用記を載せているサイトと出会う。
言うまでもなく、現在は総評論家時代である。
大宅壮一の「総白痴時代」を通り越してしまったのだ。
市井の人々が論じるサイトをつらつら眺めていると、論だけではなく、ありがたい事に「画像」までサンプルとしてつけてあったりして、大変「参考」になる。
多くの画像が花や自然などの「花鳥風月」であるのは不思議であるが、その画像を元にああだこうだとカメラを論評されるのだが、あいにくコチトラ花鳥風月とは無縁の無粋な世界にいるので、そんなに画質が欲しければ大判写真で撮れば文句ないものが撮れるのに、と憎まれ口を言いながら立ち去るわけである。

当初の目的、「格安のボロボロF5は?」という命題を忘れ、最終的にはデジカメやビデオなんかの情報を読んだりして時間を過ごしてしまい、結局何を買うわけでもなく、なぜ買わないかを納得してサイトを閉じるのは毎度の事である。
単に暇だったといえばそうなのだが、隣の芝生は・・・状態は、ある種人間のサガであるのではと納得した一日でもあった。
ホントは単にsatoboのサガなのだけど・・・
コメント (4)
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