Nonsection Radical

撮影と本の空間

フィルム代がもったいない

2011年01月17日 | Weblog
というわけでフィルムがいらないデジカメが売れたのだけど、あれだけ「写るんです」で写していて何の文句もなかった人でさえ、デジカメはどれがイイでしょうと他人の意見を参考にするのは面白い現象だ。
同様に「プリントゴッコ」で年賀状を作っていた人がパソコンとプリンターで印刷し始めたのも興味深い。
どちらもコストの意識が働いているのだろうが、よく計算すると高いものとなっている。
かといって、自分で操作するのが楽しいのかと思うと、そうでもないようだ。
しだいに、本来「写るんです」で撮っていた人はケータイで撮るようになり、写真なんてこれまで通り趣味のひとつに戻ったと言えよう。
年賀状も毎回のインク代が思った以上に高くて、やめてしまった人も多いだろう。
だいたいOSがかわるごとにパソコンを買い換える人など一部で、一般人は何年も使う「耐久消費財」と見ているはずだ。

そうなると近いうちに国内のデジカメやパソコンの消費は頭打ちになる事が考えられる。
ちょうどフィルムカメラが売れなくなったように。
ビデオカメラも売れなくなったね。
パソコンも。

ということで想像出来るのは、カテゴリーが二分されるという事だ。
価格の安い実用品と、価格の張る趣味品と。
その中間は国内では売れなくなるだろうね。
でもそれって、フィルムカメラがあった時代やWin95の時代と同じという事だ。
大衆製品と高級品。
その二つに商品群は固定されるのではないか?
でないと、現在のようなフルラインナップでは企業の体力が持たないだろう。

昔だってライカやニコン、キヤノンの高級カメラがバンバン売れていたわけではない。
いつかは・・・の世界だった。
憧れの世界だった。
最近は「高い」と「文句」をいう勘違い系もいるけど、欲しければ昔も努力して買ったのだ。
それか、最初から諦めていた。
そういうもんだろう。

そしてフィルムだって昔から高かった。
だから工夫したんだ。
好きなだけシャッターを切りたいと思っても、かなわない願いだったんだ。
そういう時代の人は、今でもフィルムを「ケチって」使っているか、デジカメに転向したのかのどちらかだ。
ここでも二分化された。

フィルム代がもったいないとデジカメにした人は、1台のデジカメを大事に使い続けるしかない。
新しいカメラを買うお金でフィルムがたくさん買えるからだ。
それよりケータイで撮った方が安上がりだ。
satoboのケータイにはカメラ機能はついていないけど、みんなのにはついているんだろ?
でも不思議なのは、そんなにたくさん写してどうするんだろうという事だが。

結局写真を撮るのは、記念と趣味に二分されるようになるだろう。
残念ながらそれまでにフィルムカメラという選択肢は消えてしまうのだろう。
そうなった時の写真の世界というのも結構楽しみではある。
いつの時代もやっていることはそんなに変わらないという事だ。
コメント (2)
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