Nonsection Radical

撮影と本の空間

やっと大阪

2011年01月12日 | Weblog
久しぶりに老爺と「ガナリ愛」をして時間を過ごしてしまった。
現在satoboが無給で働いている事が気に入らないらしく、何かにつけて「今の若い者は・・・。俺の若い時は・・・」とsatoboがいつも言っているセリフ(苦笑)をニュースを見ながらニュースにかこつけて当てこする。
その心理の中には、老いて自由の利かなくなったカラダに自ら腹立たしさを感じ、そのウップンばらしもこもっているのだが。
会社が倒産して、新たに社員で設立するという時にsatoboも協力を要請され、面白そうだし勉強にもなると引き受けたのだが、前もってしばらくは給料がでないとは言われていて、それも納得しての協力である。
起業するとなると最初から金回りがイイはずもなく、今すぐの金のためにグダグダしてポシャってしまう可能性もあるので、グッと堪えて何も考えず仕事の行き先だけを考えて毎日働いているのだが、そういうのを理解したくないらしい。
どこかの企業に入り込み、そこで汗水垂らして「今すぐ」現金を手に入れるべきだというのだろう。
そうせずにダラダラしている(ように見えるらしい)就職難の大学生のニュースを見ていて、わが息子(若くもなく求人も少ないジジイだ)とダブるのだろう。
実際に、一緒にやろうと言っていた上司は、ほんの2ヶ月で「安定」が欲しくなり、同業に仕事を持って入り込んだのだが、仕入れ先がその「ケツの割り方の早さ」に腹を立て、取り引きを断ったらしい。
他人というのは見ていないようで見ているのだなと恐ろしくもなったのだが、仕事というのは自分だけのためではなく、みんなで我慢して協力していくものなのだなと勉強にもなったし、励みにもなった。
まあそのせいで、家族にも我慢をしてもらうことにもなって申し訳ないのだけどね。

典型的な組織の中でしか働いてこなかったサラリーマンにとっては、そこで働く事だけにしか価値観が持てず、ある種庇護の中でしか働く価値を見いだせない人間にとっては、「ここは我慢のしどころ」という事が理解出来ないらしい。
それはわかっているので、自分の立場や仕事の事など何も話さないのだが、話したとしても「努力すれば叶えられる」と考えているだけで、しかもその「努力」の中味が安定した組織の中で働く事であり、自営業や組織を今から作り上げていくという選択肢は持っていないので、理解は出来ない。
いいトシしたオッサンに残された選択肢は少ない。
その中でどう生きるかは、結局残された時間を考えてもたいした違いはない。
それならば面白そうな事で食い扶持を得る事を考えるのも選択肢のひとつだ。
失敗しても、また神奈川に帰って、それこそ日銭を稼ぐ仕事をすればイイだけなのだ。
こういう「チャンス」はそうそうないので、身を入れてやってみようと思っている。
かといって、それだけで生きていても面白くはないので、別の事もドンドンとやっていくつもりだ。

まあそんな生き方を理解は出来ないだろうから、とっとと文句を言いながら死んでいって欲しい。
やはりトシを取ると「好々爺」が人に好かれるようになるのだ。
人の不倫見て、我が不倫直せ
というからね、気をつけよう。
コメント (2)
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