Nonsection Radical

撮影と本の空間

鑑賞者の眼

2014年12月06日 | Weblog
大学生の姪が遊びに来てモネの画集を持って行くついでに部屋に遊びに来たので、話をしたらブレッソンという名が出た。
写真家のアンリ・カルティエ=ブレッソンの事だ。
なんでも京都にある何必館という写真も収容している現代美術館にも行って写真を見ているらしい。
という事ならと、ブレッソンのデカい写真集を取り出して見せる。
それから写真、美術についての話となり、アッジェとかリー・フリードランダーとかスティーブン・ショアなんかの写真を取り出して見せたのだけど、「見方」が的確なのにビックリした。
何の知識もないのに、写真だけを見て感じる事を述べるのだが、的確にポイントをついていて、そこに若干の時代的な知識を知らせるとすんなり理解するのだ。
これは絵画の鑑賞が趣味という点も関係するようだ。
絵画的な写真の発生から写真が独立した表現へと変わっていく過程の流れが、絵画の流れがわかっているので、理解出来るようなのだ。
時代が写真をどのようにとらえ、写真家が社会に対してどのように提示して行くのか、なんてのは、絵画の歴史の流れと同じ流れと言えるからね。
だから現在美術にまで行き着くのが絵画も写真も同様に理解出来るわけだ。
その下地があった上で、どの絵画が、どの写真が個人的に好きかという選択をしているので「まっとう」なのである。

訊くと、以前はコンパクトデジタルカメラを持っていたのだが、最近はAPSサイズの一眼レフデジカメを買ったという。
写真を趣味にするというのではなく、勉強している事のフィールドワークで使用するようなのだ。
カメラ自体にはあまり知識がないというので、手持ちのカメラとレンズを見せるのだが、気に入った事に、フィルムカメラに関して一切の興味を示さない。
フィルムだデジタルだとの”論争”など関係なしに、道具としてカメラをとらえ、どのような道具が自分の目的に合うかとしか考えていないようだ。

「カメラ」を趣味にしていない「鑑賞者」と話すのは面白い。



生田通り 5
兵庫県豊岡市中央町
撮影 2014年8月2日 土曜日 12時25分
コメント (2)
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