Nonsection Radical

撮影と本の空間

二兎追うものは

2014年12月18日 | Weblog
某サイトの記事を読んで「だから中途半端なものしか出来ないんだよ」と思った。
なんでもカメラバッグを作っているところで、あらたにバッグを作るのにユーザーの意見を聞いて製品化に活かすという趣旨で”座談会”を開いたというものだ。
その”つまらない”座談会の記事を読んで「なんだかなぁ」と感じたのは、カメラバッグというものを勘違いしているのがわかったからだ。
”新製品”はトートバッグにするそうなのだが、座談会に集まってきたユーザーのバッグの使い方が、トートバッグとは違う用途なのだ。
カメラバッグって用途として2種類はあると思う。
ひとつは、カメラを「保護」して目的地まで安全に運ぶ事を重視するもの。
もうひとつは、「撮影」の時に持つもの。
前者は、保護のために使い勝手や軽快さを犠牲にしても雨風やショックからカメラを守るために、クッションを厚くしたり頑丈にしたりする。
後者は、撮影が目的なのだから使い勝手が良く、軽量で、保護性は工夫でなんとかして、撮影や移動の邪魔にならない最低限度の性能があればいい。
そして世の中のカメラバッグと称するもののほとんどは前者であり、無骨で重くて使いにくく、そんなバッグを座談会出席者は使わざるを得ないほど撮影以外のものを何キロも一緒に持って移動しているという。
そんなユーザーがトートバッグに何を求めるというのだ?
結局トートバッグの”欠点”を列挙して、フタをつけろとか仕切りをしろとか、背負えるものをとか言い出す始末で、トートバッグの”美点”など無視した意見ばかりになった。
そんなものを製品化しても、重くてダサくて、使いにくいものにしかならないのは明らかだ。
重いものをたくさん入れても大丈夫なトートバッグ。
考えただけでゾッとする。
トートバッグという”コンセプト”を出した時点で、それは移動のためのバッグではなく、撮影のためのバッグであるはずだ。
余計なものを入れないで軽快に持ち歩いて、カメラの出し入れが楽な撮影するためのバッグでないと意味がないじゃないか。
なのに集まったユーザーはたくさんの荷物を持ち歩く”ヘビー”ユーザーで、求めるものは保護性なのだから座談会の意味がない。
結果、「カメラも入れられるトートバッグ」という”コンセプト”になったらしいが、「バカじゃないの?」。
まあ世の中は”ファッション”の世界ですから、きっと「撮影には使えないがカメラも入れられるトートバッグ」が開発されるのでしょうね。
それはそれで利用者が満足すればいいのだからね。
でも、軽くて使い勝手が良くてカッコいい”撮影のために持ち歩く”トートバッグがなんとか作れないものかと考えてきた者にとっては、”対象外”のプロジェクトであると言わざるを得ないね。




千本格子の家並み 2 金屋町
富山県高岡市金屋町
撮影 2014年9月6日 土曜日 12時55分
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする