Nonsection Radical

撮影と本の空間

肩が痛いという事は

2011年01月21日 | Weblog
数日肩が痛い状態が続いているという事は、近々風邪の症状が出てくるサインだろう。
大阪暮らしも1ヶ月過ぎて、緊張も取れてきて、疲れも溜まってきた頃合い。
風邪をひくにはイイ(?)タイミングだ。

電車内ではマスクをしている人はほとんどいない今年の冬。
風邪にも流行があるのだろうか。
ガーゼのマスクをしているのはsatoboぐらい。
ノドを湿らせるのが目的だからガーゼのマスクがちょうどイイ。
吸い込む空気が暖かいと寒さも和らいで感じられる。

しかし実際にはかなり寒いので、気を緩めるとドカンと落ち込むので注意注意。
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何も決まらず

2011年01月20日 | Weblog
世の中ってこういうものなの?
そういう感じの債権者会議だったらしい。
倒産から3ヶ月。
その間にモノゴトが決まらず(表向きは)、では次回は3ヶ月後にと、15分で終了したらしい。
3ヶ月かけてもハッキリした負債額も決まらず、資産の査定もされていないらしい。
らしいというのは、その会議に出席した取引関係者から聞いた話だからだ。
その人も紙切れ1枚もらっただけで、詳細は知らされなかったらしい。
わざわざ横浜から来たのに旅費の無駄だったとぼやいていた。

というわけで、定時後は事情聴取と作戦会議を兼ねた「懇親会」。
出席者4人。
話が弾んだところで、なにげなく各自の年齢を聞いたところ、satoboが最長老(汗;)。
道理でAKBやKARAの話が出るわけだ。
もちろん名前は知っているけれど、中身は知らない。
その違い(オヤジ連中にとって)を聞いても実感がない。
みんなどうしてそんな情報を知っているんだろうと感心。
世の中はsatoboと別のところで動いているんだ。

明日から、どう対処するか話し合いをする予定。
もちろんギャル(死語)をどうするとかの話ではない。
カイシャの話。
勉強になります!
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明日で

2011年01月19日 | Weblog
元気?などとメールをいただいたり、電話をもらったりしているのだが、どうも返事が出来なかったり、歯切れが悪かったりして申し訳ない。
正直者だから、おいそれとは答えられない状態をおいそれとは伝える事が出来ませぬ。
明日、前の会社の債権者会議があり、それによって今の会社の立場もかわって来るので、結構みんなでイライラソワソワしている状態です。
実際は前の会社と現在のとはまったく関係がないのですが、世の中というのは穿った見方をする人もいるという事で、すんなりと新たな門出とならない可能性も考慮しなければならないそうだ。
最悪の場合、現在の会社を潰してしまい、名前も新たに再出発(その方がずっと楽)する事になる。
負債などないのでソフトランディングが可能なのだが、顧客に事務上の手間をかけるのだけがネックになる。
もしものことを考えて、現在の会社の資産となるようなものは置いていないし、電話さえも借り物で仕事をしている。
satoboが社員登録されないのもそれが理由のひとつだろう。
前の会社の経営者を恨んではいないが、関係するものとはキッパリ縁を切って、新たに歩きたいものだ。

というわけで、みなさまへのご連絡はしばしご猶予を。

普通に真面目にやっていれば、普通に利益を得る事ができる商売なんだけどね。
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CECIL McBEEのジョシ

2011年01月18日 | Weblog
混雑していた電車内もようやく空き、二駅だけの着座となった。
2.47m前の座席には茶髪のジョシが座っている。
フワフワした化繊のタヌキの毛皮風ジャケットを着て、ブーツにもファーがふぁ~っとついている。
そして膝にはCECIL McBEEのバッグ。

しばらくするとバッグから何やら取り出した。
コンビニのおにぎりだ。
三角おにぎりの透明包装袋を静かに取り、ユックリとパクついた。
ユックリと咀嚼しながらバッグの中に右手を入れて、ピンクのケータイを取り出して画面を凝視し始めた。
もちろん左手に持った三角おにぎりをユックリと口に運びながら。

駅に近づいた頃、ようやく三角おにぎりを食べ終わり、舌で歯を舐め回すのが外からでもわかる。
そしてバッグからペットボトルの水を取り出し、口に運ぼうとした時に、口元に小さな海苔がついているような・・・
よくみるとホクロであった。
水を飲み終わると駅に到着。

座席から立ち上がりドアへと向かった。
車内に座るジョシの後ろ姿を窓越しに見ると、フワッとした襟がやはりタヌキの毛皮風で暖かそうだった。
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フィルム代がもったいない

2011年01月17日 | Weblog
というわけでフィルムがいらないデジカメが売れたのだけど、あれだけ「写るんです」で写していて何の文句もなかった人でさえ、デジカメはどれがイイでしょうと他人の意見を参考にするのは面白い現象だ。
同様に「プリントゴッコ」で年賀状を作っていた人がパソコンとプリンターで印刷し始めたのも興味深い。
どちらもコストの意識が働いているのだろうが、よく計算すると高いものとなっている。
かといって、自分で操作するのが楽しいのかと思うと、そうでもないようだ。
しだいに、本来「写るんです」で撮っていた人はケータイで撮るようになり、写真なんてこれまで通り趣味のひとつに戻ったと言えよう。
年賀状も毎回のインク代が思った以上に高くて、やめてしまった人も多いだろう。
だいたいOSがかわるごとにパソコンを買い換える人など一部で、一般人は何年も使う「耐久消費財」と見ているはずだ。

そうなると近いうちに国内のデジカメやパソコンの消費は頭打ちになる事が考えられる。
ちょうどフィルムカメラが売れなくなったように。
ビデオカメラも売れなくなったね。
パソコンも。

ということで想像出来るのは、カテゴリーが二分されるという事だ。
価格の安い実用品と、価格の張る趣味品と。
その中間は国内では売れなくなるだろうね。
でもそれって、フィルムカメラがあった時代やWin95の時代と同じという事だ。
大衆製品と高級品。
その二つに商品群は固定されるのではないか?
でないと、現在のようなフルラインナップでは企業の体力が持たないだろう。

昔だってライカやニコン、キヤノンの高級カメラがバンバン売れていたわけではない。
いつかは・・・の世界だった。
憧れの世界だった。
最近は「高い」と「文句」をいう勘違い系もいるけど、欲しければ昔も努力して買ったのだ。
それか、最初から諦めていた。
そういうもんだろう。

そしてフィルムだって昔から高かった。
だから工夫したんだ。
好きなだけシャッターを切りたいと思っても、かなわない願いだったんだ。
そういう時代の人は、今でもフィルムを「ケチって」使っているか、デジカメに転向したのかのどちらかだ。
ここでも二分化された。

フィルム代がもったいないとデジカメにした人は、1台のデジカメを大事に使い続けるしかない。
新しいカメラを買うお金でフィルムがたくさん買えるからだ。
それよりケータイで撮った方が安上がりだ。
satoboのケータイにはカメラ機能はついていないけど、みんなのにはついているんだろ?
でも不思議なのは、そんなにたくさん写してどうするんだろうという事だが。

結局写真を撮るのは、記念と趣味に二分されるようになるだろう。
残念ながらそれまでにフィルムカメラという選択肢は消えてしまうのだろう。
そうなった時の写真の世界というのも結構楽しみではある。
いつの時代もやっていることはそんなに変わらないという事だ。
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