Nonsection Radical

撮影と本の空間

暗闇モード

2013年07月21日 | Weblog
暗闇を暗闇に撮るコンデジってあるのか?
性能が”良く”なって、暗闇も明るく撮れる(これは”ら抜き”言葉か?)コンデジが多くなったが、これで見たように暗く撮るのは難しい。
露出補正を最大限マイナスにしても、まだ足りない。
撮影後、画像加工ソフトで大幅にアンダーにしないと暗闇らしく見えない。
これが古いリコーのGX100だと簡単に撮れるのは、単に露出の限界になって長時間露光が働かなくて自動的に露出不足になるからで、何も考えずに暗闇に向かってシャッターを切れば暗闇写真が出来上がるので、これほど便利なカメラはなかった。
それでもフォトショップで露出を少々アンダーにして、見えるか見えないかまで調整するのだが、楽なのは間違いない。
パソコンモニターの明るさ調整は各自バラバラなので、この暗闇写真を見ている人には、闇が闇に写っていない人もいるかもしれないが、それはコチラの意図ではない。

カメラの進化で暗くても写るようになったのだから、今度は逆に「暗闇モード」を追加して、暗闇を簡単に撮れるようにしてもらいたいな。




脇戸町商和会から 奈良市脇戸町


和歌山駅前 和歌山市美園町
コメント (3)
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教会に行くように

2013年07月20日 | Weblog
今日もブラブラ徘徊したのだけど、大きな神社とお寺のある街だった。
神社ではお百度を踏む人々が後をたたず、お寺にも参拝に来る人が後をたたず。
まあ信心深い国民だなと思うのだけど、当の本人たちはそうは思っていないようで、無宗教だと自認する率が非常に高いと言う。
それだけ身にしみているから自覚がないのだと思うのだが、キリスト教徒が毎週教会へ行くように、日本人は神社へ寺へ「お参り」に行っている。
ただキリスト教徒と違うのは、自発的でも自覚的ではないという面か。
神仏習合から廃仏毀釈へと明治になって分離された結果、明治以前の宗教観が消滅してしまった現在、どんな認識で神道と仏教をとらえているのか、明治以前と比較出来るのだろうか。
何千年の歴史といっても、現在の宗教形態が明治以降のものである”自覚”を持ってみている人がどれだけいるのだろう。
それは神社仏閣に属する宗教人にとってもだが。
その辺は、satoboには想像もつかないものなので興味がある。
もちろんお参りするという個人的気持ちは何千年経っても変わらない事は理解しているけれど。
だったら別の宗教、たとえばキリスト教であっても構わないと思うんだけどね。
大阪に高槻市という街があるけど、そこは昔キリシタン大名高山右近の城下で、最盛期には住んでいた人の8割がキリスト教に帰依していた時代もあったんだから。
それがどうして神社、仏閣が大多数になったんだろうなぁ。




京阪枚方市駅前 大阪府枚方市


滋賀県大津市梅林1丁目1から
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断絶

2013年07月19日 | Weblog
宮本常一著「忘れられた日本人」岩波文庫 を気まぐれで買ってみた。
1950年代の日本各地へ民俗学研究で歩いた記録である。
まだ読み始めたばかりだけど、ある意味、なかなか面白い。
1950年代に各地の古老たちに、その地の話を訊いたりするのだが、その古老たちは明治の半ば生まれだったりする。
その古老たちが聞いた話なので、幕末の話が出てきたりするわけだ。
農作業の話やら、馬車が用いられるようになった話とか、行灯からランプへ「進化」する話とか。
そんな時代の話など、歴史上の物語でしか知らない事が、古老たちには「体験談」として語られるのでリアルである。
そのリアルさが、想像でしか読めない現代人との断絶を実感させる。
明治までの時代は、たぶん何百年間も同じ生活様式の繰り返しだったのだろう。
その最後の時代を生きた明治人は、急激な「文明開化」の波に乗って、あるいは押し流されて、アッという間に大正、昭和と過ごしてきた。
まことに希有な体験であったろう。
現在では想像を遥かに超えるものであったろう。
しかし、その生活習慣は昭和、平成になっても、時代と共に変化はしつつ、生きながらえて、現在にも受け継がれているものもあろう。
ただそこには、明治以前の”必然性”は薄れ、「習慣」として取り入れられているだけの”形骸化”が見られるのではないか。
宮本常一が調査した1950年代も、現在とはまったく異なる時代で、当時の「現在」が今は「レトロ」なわけで、ものごとのとらえ方も違っているはずなのだ。
現在から過去を振り返る場合、常に現在とはものごとのとらえ方が違っているはず、という前提を意識しないと、トンチンカンな理解となってしまう。
明治、大正、戦前昭和以前の日本は、現在の日本とは断絶した世界であると思わないと、「理解」出来ないのではないか。
そう戒めながら、ページを読み進めているところだ。
取り上げられた地域へ、今行ってみて「変化」を見てみたいものだ。




花見小路 京都市東山区


山陰本線 鎧ー香住 兵庫県香美町
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何を思うかは自由

2013年07月18日 | Weblog
原発と地震」新潟日報社 特別取材班著 講談社刊 を手に入れた。
どんな報道が当時されていたかを知るためだ。
2007年7月16日の中越沖地震で、東京電力柏崎刈羽原発で動いていた原子炉がすべて止まった「事故」に関する検証記事をまとめたもの。
福島原発の「事故」と混同するぐらい同じ事が語られ、同じ事を問題にし、同じ事を課題にしている。
中越沖地震では津波ではなく、原発直下の活断層でもなく、地震の揺れ「震度7」によって被害が発生した。
そして記事中では、被害は「想定外」の揺れによるものと記載され、出版された2009年当時でも「想定外」という言葉が使われていた事に驚く。
また、東京電力の対応も311と同様の問題のあるものであった事がわかる。
ちょうど現在と同様参議院選の真っ最中に「事故」の知らせを受けた安倍晋三首相(当時)が、ただちに原発を「視察」したというくだりには苦笑せざるを得ない。
政府も似たような対応であった。
宮城沖地震での女川原発の被害復旧や柏崎刈羽原発での復旧に約2年かかっているが、ちょうど311から2年の今年に原発再稼働申請の動きが出てきたのは、各地の原発の修理が完了した事との関連性もある気になる。

詳細は本を読んで各自が判断すればいい事だが、こういうまとまった文章が本として残っている事は貴重な記録である。
当時人々はどのように感じ、どのような動きをし、その結果現在はどのような対応の元に変わったかを知る事が出来る。
福島原発の「事故」の検証も、この先重要な資料となって、未来の人々に判断の資料として提供されるであろう。
そのときに人々は何をどう思うのだろうか。

津波や原発直下の活断層ばかり問題にしているが、肝心の地震の揺れに対して「想定外」であったと三たび言う事はないのか。



篠島 9 愛知県南知多町


小溝筋商店街 兵庫県姫路市
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出会いのタイミング

2013年07月17日 | Weblog
買う買わないは問わず、本屋さんにはいつも顔を出している。
また、メモした本があるかもチェックする。
大阪市内の大きな本屋さんに行けば、探している本もたぶんあるのだろうが、大阪駅で降りると、帰りの電車で立ち詰めになるのがつらくて足が遠のいている。
で、近場の小さな本屋さんを回遊するのだが、時には面白い本に出会い、つい買ってしまう事がここ最近続いている。

分類された目的の棚に一直線に向かい、その中から目的の本を見つけるのは効率的だけど、棚づくりも適当な小さな本屋さんでカテゴリーわけされていない棚を眺めて、長い間売れていないであろう少し古い本や、こんなところにこんな本がぁと思えるような出会いがあると、恋には奥手でも本には積極的アプローチを仕掛けてしまう。
その本がすぐに役に立つものとは限らないし、積ん読状態にならないとも限らないが、出会いは一瞬、次はいつ会えるとも限らないので手に入れてしまう。
そんな「出会い系読書」に密かな楽しみを憶えている人はsatoboだけではあるまい。




下御門商店街 奈良市下御門町


浜坂 9 兵庫県新温泉町
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