Nonsection Radical

撮影と本の空間

バカなことを考える時間が欲しい

2016年01月26日 | Weblog
毎日仕事ばかりしていると、はっきり言ってバカになる。
でもそのバカとは違うバカなことを考える時間が欲しい。
バカなことはよほど頭が働く時にしか思いつかない。
そしてバカなことは、バカげているほど面白い。
面白いことは楽しい。
楽しくないのは面白くないからで、それはバカげていないからだ。
年をとるほど頭は固くなるし、反比例して柔らかくなる部分もある。
そんな人間がウロウロしていても、世間的には面白いはずもない。
真面目な年寄りが増えるほど、世の中は面白くなくなるのだ。
面白くない世の中ほど面白くないものはない。
バカげた真面目さまで行き着けば、それはそれで面白いのだけど、どうもみんな中途半端な真面目さ加減で、そういうのが一番タチが悪い。
一方で、中途半端な不真面目さ加減ももっとタチが悪い。
テレビを視なくなったのも、お笑いを避けるのも、みんな中途半端な真面目さ加減で不真面目さ加減だから。
そんなテレビやお笑いが現在でも”娯楽”の中心なのは、それが丁度良いと思う人が多いからだろう。
だから世間は面白くない。
面白くなくたっていいんだと思う人は、意外に多いはずだ。
バカなことが蔓延するよりマシだと。
アタシはそう思わないので、バカなことがたくさんあった方がいいなぁと思うのだ。



四倉町の街並み 8
福島県いわき市四倉町西四丁目,東四丁目
撮影 2015年9月21日 月曜日 16時05分
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大多数は動かない

2016年01月25日 | Weblog
ふと思いついたんだけど、日本人って動かないよなほとんど。
動かないというのは自律的に判断し行動するということ。
たとえばさ、明治維新だって大多数の人が「そんなのイヤだ」と言えば、きっとなかっただろう。
でもほとんどの人は傍観していたわけで、その後の変化にも”柔軟”に対応してきた。
戦争の時だって、大多数の人は反対するわけでもなく、負けて米軍が駐留するようになっても動じない。
余談だが、そんな感じだから沖縄での米軍駐留にもピンとこないのかもしれない。
バブルが来ようが、恐慌が来ようが、結局は動じることなくなんとなくそのまま居続ける。
その間には多少の”犠牲”も出るが、それが自分であっても仕方ないと受け止め、特に何もしない。
逆に何かをする人が特異な目で見られる。
どうして動くのだと。
果報は寝て待て、阿呆は寝てまで。
じっとしていれば良いことはやってくるし、悪いこともやってくる。
それだけなのだ。
動く理由は尋ねるが、動かない理由は答えない。
せいぜい、動いても同じだし。
みんなで同じ行動をとるというのがこれまでの考えだったけど、ふと違うなと思いついたのだ。
みんなで動かないでいるというのが正解なんじゃないだろうか。



八幡山城下の街並み 18
滋賀県近江八幡市西元町,北元町,北末町,池田町4,5丁目,本町4,5丁目,小幡町­中,小幡町上
撮影 2015年3月21日 土曜日 16時25分
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言うは易し

2016年01月24日 | Weblog
企業が儲かれば回り回って世間も景気が良くなるというのはバブルのときに経験したことだったけど、今はそうとも言えないみたいな感じだなぁ。
吸い上げてバラまくことが期待されているんだけど、ちっともバラまかないようなことをグラフであらわしているのを見たりして、使いきれないんだなぁと思ってみたり。
使いきれないのにそれを寝かしておくのが惜しいから投資して、それもマネーゲームに投資して、ゲームの世界だけにお金が集まって、そこだけでお金が動いているから、他のところにはお金が回ってこないんじゃないのかなぁ。
コドモに対してゲームばっかりして、なんて叱るけれど、いい歳したそれもお金持ちだとされるオトナはマネーゲームばかりしているんだから、どうしようもないよな。
以前は、デパートは2割の客で8割売り上げているなんてことを聞いたけど、今はどうなんだろう。
でも、お金が一部に集まっていくにしたがって世界中が不景気になっていくのだから、単に一部の人がたくさんお金を使っても景気には貢献しない感じがするんだけど。
それでもそういう状況がますます広がっていくんだから、それにあわせた生き方を考えないといけないんだろう。
それが多くの”庶民”にできるかといえばできない相談だよね。
零細企業で仕事をしていると、先行きもないし、こんなことをしていても続かないよなぁ、でも日々の糧を得るために働いているんだよなぁと感じるんだけど、実はそういうもんだとも思うんだよねぇ。
高度成長期とかバブルとかが特別の時期だったわけで、それを経験した人は、それが”本来”の姿だなんて思ってしまうんだけど、実際にはそんなのはわずかな期間だけで、それ以外は悶々とした時代を生きていたんだよな。
戦前なんてもっと格差社会だったし、雇用も安定していなかった。
そんなことを年寄りから聞くと、今の時代もそういう時代に学んで生きていく必要があるんじゃないかと思い直したりもする。
つまり安定とか将来性とかに期待するのではなくて、がむしゃらに生きていくしかないということ。
会社に義理立てすることも必要ないし、もっと個人が勝手に生活のためにいろいろとやるべきなんだろう。
何十年というサイクルで人生設計する時代ではなく、年単位あるいは四半期ごとみたいな生き方がこれからの主流になるんじゃないのか。
だって企業は実際にそうなっているしね。
そういう時代なら、安定を求めた政治政策ではなく、短期での変化をうまく均(なら)してくれるバックアップが欲しいよね。
今期は仕事にあぶれたけど助けてもらったので、来期はがんばるよみたいな。
そんな感覚って、日雇い労働に対する政策がマッチするんじゃないのかな。
そういう時代じゃないのかなぁ。



上溝駅前
神奈川県相模原市中央区上溝,7丁目
撮影 2015年5月30日 土曜日 13時35分
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寒空の下

2016年01月23日 | Weblog
二階のベランダの足元に高さの木の枝に鳩が巣を作っていて、卵を温める姿があったのはしばらく前。
降り積もる雪も枝が防いだのか、無事にヒナがかえった様子。
それをベランダに出たニャンコが見つけてしきりに”威嚇”をするので、親鳩は近くの電線に避難してかわいそう。
しばらくはベランダ外出禁止令をだしているが、ぐるりと遠回りしてベランダまでやってくるニャンコの悪知恵に感心。
どうしてこんな時期に抱卵したんだぁと思う一方、雛鳥を捕まえてどうするつもりなんだぁニャンコよぅとも思う。



四倉町の街並み 7
福島県いわき市四倉町西三丁目,東三丁目,西四丁目,東四丁目
撮影 2015年9月21日 月曜日 16時00分
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で、4Kはどうよ?

2016年01月22日 | Weblog
遊中部に動画を投稿している関係でコメントを頂くんだけど、「で、4Kはどうよ?」と問われてみて、そんな話題もありかなと。
動画を撮影するときに迷ったのは、どのような”サイズ”で撮影するかということだった。
サイズというのは画面の大きさと言えるのだけれど、視る人はどのような機器で見るだろうかと考えたんだな。
そして将来的にどのような画面サイズになっていくのだろうと想像もしたわけだ。
当初はMiniDVテープを使うハンディカムを持っていたので、それで撮影したんだけど、どうも画質がよろしくない(レンズにカビが生えていた)。
そして当時はパソコンの時代で、それも大画面化の時代だった。
だから今後も大画面モニターの時代が続くだろうから、鑑賞に耐えるだけの画質を確保しようと考えた。
それがちょうどAVCHDの時代と重なり、1920x1080の画面サイズになったんだけど、2Kと言っていい規格だな。
ところが現在は4Kの時代と言われるようになり、ビデオも4Kで撮影できるものが主流になりつつある。
ところが、ネット上の動画などを見る環境がパソコンからスマホなどの携帯端末へと変化している(気がする)。
そうなるとスマホで4K動画を見る意味がわからなくなる。
当然4Kで撮影する意味もわからなくなる。
一方で、個人が動画を撮影し、そのファイルデータを保存することを考えると限度がある。
現在は2台目の4テラバイトのハードディスクをRAIDで使っているんだけど、まもなくいっぱいになるのでそこへの”投資”も必要だ。
大きな画像を扱うにはそれなりの性能のパソコンも必要だ。
そういう”投資”に見合った価値が4Kにあるのかわからないのだ。




八幡山城下の街並み 17
滋賀県近江八幡市北元町,北末町
撮影 2015年3月21日 土曜日 16時15分
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