Der Anfang vom Ende

so ist es eben

ヨーロッパの風景

シューベルトの亡くなった家

2010-10-04 | 芸術
前回はシューベルトが生まれた家を紹介しましたので、今回は亡くなった家を紹介いたします。

この家、ウィーンは4区のKettenbrückengasseにあります。
地下鉄U4か市バスの59Aが最寄の駅になりますが、以前私が住んでたアパートからはそんなに遠くないんですね。
なのにウィーンに住んでた当時、一度も行ったことなかった家・・・
まあ、ともかく今回やっと訪問いたしました。

地下鉄U4で同名の駅で降りて歩くこと数分。
見えてきました、シューベルトの亡くなった家。
でも、ウィーンならどこにでもあるようなアパートで、目印の旗がついてなければ絶対に気づかない・・・・・・・。




ウィーンは歴史的に意味のある建物には、このようにウィーン市の旗をたてて、そしてプレートを打ってくれているので、私みたいなうっかり者には便利です。
この場合は、『シューベルトの亡くなった家』と書いてあります。




さて、建物の中に入ることにします・・・・・・が、御覧のとおり、汚い。
こういっちゃなんだけど、私が住んでたアパートのほうが綺麗かも。




前回の記事で書きましたが、貧乏に生まれ貧乏に育ち、貧乏に亡くなったシューベルトには、ほかの作曲家と比べてその生活もかなり粗末なものでした。
このアパートは彼の兄弟のアパートの部屋で、完成間もないそのアパートの一室を彼は間借りすることになります。


アパートの部屋の前の廊下。





そこから中庭を見下ろしてみました。この景色を彼はこの窓を通して眺めていたことでしょう。




その部屋は博物館になっていて、一人2ユーロの入場料を払います。
この2ユーロの入場料って、ほかの作曲家の家と同じです(例外はモーツァルトのフィガロハウス←けっこう高い入場料)。
ウィーンカードなるものを持っていれば、少し割引されます。でも少しだけ・・・・・。


中では無愛想なオジサンがヒマそうに、受付をぶっきらぼうにやっていました。

シューベルトって死因は腸チフス、と私は音楽史で習いましたが、実はその腸チフスにかかってなくなる数年前から彼は、性病に罹っていたんですね。

直接の死因はこの腸チフスであると言われており、そしてこのアパート、完成して間もないアパートに壁の塗料も乾かぬうちに入居したので、それが余計に彼の死を早めた、とも言われてますが、この数年間かかってた性病ですでにかなり、体力を消耗していたようです。

シューベルトと性病・・・・・・・・

想像つきますかね???

彼は実らない恋ばっかりをしていた人、と言われてますがやはり若い男性、その・・・・・なんというか、まあ若いから仕方がないというか、なんというか・・・・・・・・その、性病に罹ってしまったと。

コロンブス一行がキューバからヨーロッパに持ってかえってきたお土産、梅毒です。

まあ、そういうことはおいておいて。

あまり大きくないその部屋には、シューベルトの兄弟のIgnaz所有と書かれてある当時のピアノが、シューベルトの銅像の前に置かれてありました。

  




私は他の作曲家の家も訪ねてみたんですが、一番質素で貧乏だったのが、このシューベルトの家でした。(生家、亡くなった家、両方)

1区にあるモーツァルトのフィガロハウスも、ベートーベンのMölkerbasteiにある家も、2区のシュトラウスの家も、比べ物にならないくらい広いのに・・・・・。

私、高校時代はシューベルトを弾くの苦手だった・・・というかよくわからない部分が多くて、うまく弾けなかったんですが、年取るごとに若い頃理解できなかったことがわかるようになり、自分がその作曲家の作品を弾くのも、以前と違ったスタンスで弾けるようになりました。

シューベルトのその一人なんですよね。

特にこの今回のウィーン旅行で新たに発見することもあったりしたので・・・・。


では次回は、ベートーヴェンさんについて書きます(多分)。