Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

あの炎上から3年…。それでも変わらぬ厚生労働省の虐待防止ポスター

もう、覚えている人もいないかもしれませんが…

3年前のこの時期、このブログのある記事が「炎上」しました。

厚生労働省・内閣府の虐待防止のポスターに異議あり!!!!!

という記事でした。

(もう、炎上は二度と経験したくないな…(;;)…)

今年も、「児童虐待防止推進月間」ということもあり、ポスターが貼られています。

あちこちに…、

至るところに…。

書いてある内容は、実に3年前とほぼ一緒です…。

ビックリするくらいに、ほぼ全文が一緒です

この3年間、何も変わっていない…。

zoom upしてみましょう。

3年前のは、、、

今回、強調されているのは、

虐待かもと思ったらすぐにお電話ください

という言葉でした。

189(いちはやく)」が整備されて、より通報が簡単になりました。

そして、その下に、小さな文字で「相談窓口」の情報が無機質に並んでいます。

まず、これを見て、相談をしようという「親」はいないでしょうし、また、そういう期待も(制作者側)は考えていないのでしょう。あくまでも、「通報してね」という呼びかけ以外のなのものでもない。

本質は、3年前と何も変わっていないようです。

変わったのは、「母子健康包括支援センター」が新たに加わった程度でしょうか。

スマホ時代にあって、QRコードも出てない、という…。

これじゃ、「相談させる気なし」と捉えられても文句は言えません。

***

そもそも、「お電話ください」と呼びかけている相手が、親ではありません。

その近隣住民たちに呼びかけています。

地域的なつながりの薄い社会(都市部)において、「通報」は、誰にとっても嫌なものです。

虐待かどうかも分からないし、通報がばれないとも限らない。

それが「誤報」だったとしたら、その後どうなってしまうのか…

とはいえ、他人の家庭に土足で踏み込むわけにはいきません(何されるか分からない恐怖もあります)。

となれば、関係の薄い近隣住民の「通報」に頼りたくなる「行政側」の都合もよく分かります。

虐待する当の親が名乗り出ることはまずありませんし、相談にも来ません。

でも、「通報」という「取り締まり」の強化で、問題が解決するわけではありません。

189の設置で、虐待は抑止されるどころか、数値的には増えています。

(その中には、ひょっとしたら「誤報」による「不当保護」も含まれているかもしれません)

本気で「虐待防止」や「虐待予防」を考えるのであれば、「虐待する親」あるいは「虐待のおそれのある親」に届く掲示をもっと出すべきであろうし、そういう親たちが不安なく相談できる環境をつくることがまず求められるはずです。

それこそが、本来の「虐待防止」の目的ではないでしょうか。

児童相談所の「敷居の高さ」の改善は、今のところまだまだ十分とはいえません。

児童相談所の敷居が高ければ、支援を必要とする親たちはまずそこに現れることはないでしょう。

前回の「炎上記事」で、たくさんの人から「虐待する親を擁護するとは何事だ!?」というご指摘をいっぱいもらいました。もちろん、「虐待する親」が正しいことをしているとは思いません。

けれど、「してしまうこと」を、「やめろ」と言われて、「はい、そうですか」と簡単にやめられるものでもないんです。「やめろ」と言われてやめられるなら、「児童虐待」はすぐになくなるでしょう。もちろん「DV」だって、「家庭内暴力」だって、何だって…

我が子を殴る・蹴る・投げ飛ばす、我が子を言葉で罵倒する、我が子を「いない人間」としてネグレクトする、我が子のバイト代を全部巻き上げる、我が子を「異性」として見て性暴力を秘密裡に加える…

どれをとっても、人道主義(ヒューマニズム)的良心からすれば、とうてい受け入れられるものではありません。無力でか弱き幼子たちを全力で守るのが「大人の責任」なのであって、「いのちの危険」に晒す「大人」は、「親」以前に「人間としての責任」あるいは「生物(哺乳類)としての責任」を放棄しているとも言えるかもしれません。

けれど、「大人」とはいえ、すべての成人が成熟した大人になるわけではありません。大人になれば、それこそ多種多様。いろんな人がでてきます。それまでの成育歴も関係しているでしょうし、成長の過程において人格が歪むこともあるでしょう。殺人事件は毎日のように起きています。自ら死を選ぶほどに「絶望」している人もいます。堕落し、どん底に突き落とされる人もいれば、追い詰められた先で自暴自棄になり、無差別テロを起こす人もいます。その背後には、「貧困」の問題があったり、「歪んだ性癖」の問題があったり、「どす黒い過去の記憶」があったりします。

こうしたことを考えると、「行政機関」への「通報」で事が片付くわけはなくて、また、そういう人たちでも不安なく来られるような相談所づくりが行われているわけでもなく、また実際に支援にあたる人や窓口対応する人たちの「教育」が徹底されているわけでもありません。事実、相談所に電話をしても、そこでのやり取りは、極めて「お役所仕事的」で「事務的」で「行政対応そのまんま」であります。(先日もとある件で相談所に電話をしましたが、まさにそんな感じでした)。

「虐待当事者」に届くメッセージをどうやって伝えるか。

「虐待当事者」が安心して受けられる支援とは何か。

「虐待当事者」の最善の利益にかなう支援とはどのようなもので、誰がそれを担うのか。

虐待する人は、ある意味、「殺人者の一歩手前」にいます。いつ、我が子を殺してしまうかも分かりません。全部、紙一重です。とはいえ、そのことを「自覚」している人は、それほど多くないように思います。

実際に殺さなかったとしても、子どもの「魂の殺人」の行為に等しいんですよ、と。


この3年、ポスター問題については色々と考えてきました。やはり、まずは「当事者」に呼びかけるポスターこそが大事なんだろう、と思います。この上のポスターは、今、全国的に掲示されていると思います。それと同規模のエリアで、「当事者」への呼びかけを行えば、どれほどのメッセージになるでしょうか。

それと同時に、多様な相談機関の創設がやはり強く求められていると思います。児童相談所では敷居が高すぎるんです。もっと敷居の低い相談所を、と。虐待に限らず、「出産」「子育て」には、人には相談できない事柄がいっぱいあります。そういう事柄は、「行政支援サービス」にはどうしてもなじまないものです。

だから、敷居の低い民間の相談機関の充実がまずもって求められるんです。

それに、最も深刻なのは、「通報」を受けた児童相談所は、決められた制度内の手続きによって、「粛々」と措置を行います。通報された側は、今そこで何が起こっているのかを知ることもほぼできません。「虐待かどうか」の境界線は曖昧さもあって、なかなか綺麗に線引きもできません。でも、それでも、「行政手続き」として、粛々と展開していきます。もしかしたら、(ギリギリ)虐待していないにも関わらず、「虐待」と認定されて、そのまま子どもが「児童養護施設」に措置、ということもあり得るかもしれません。事実、その問題を指摘する声は、かなり上がっています。

児童相談所に子供を連れ去られた母親の心の叫びを聞いてください!

でも、「行政手続き」というのは、そういうものなんです。定められた規定に従って粛々と行うんです。それしかできないんです。だから、児童相談所をただ批判するだけでも不十分なんです。

虐待する親(と子)と児童相談所の「あいだ」を仲介する支援サービスが必要なんです。僕は、それを「中間支援」と言っていますが、個々の親子(あるいは妊婦)と行政サービスの間に立って、親子の側に立ちながら、行政と向き合う人の存在が欠かせないんです。ドイツの支援の本質もここにありました。

通報する方としても、いきなり「児童相談所」だときつすぎるんです。もちろんその(児童相談所の)内情が分からなくて、通報してしまうケースもあるでしょう。けれど、ある程度、社会経験を積んだ人であれば、児童相談所がどんな行政機関なのか、なんとなく分かると思います。

とすれば、やはり、「通報はちょっと…」とためらうんじゃないでしょうか。

まだまだ、考えなければいけないことがいっぱいありますが、今日はこの辺で…。

児童虐待問題は、決して「表」には出てきません。

でも、実際に「親の暴力」や「ネグレクト」に苦しむ子どもは本当に多いです。

子ども期だけじゃなくて、その後も苦しみ続けている「大人」もたくさんいます。

このポスター問題から、もっともっと多くの人がこの問題に関心をもってほしいなぁ、と切に願います。

…まずは、文章をもっと考えてほしいものです。(3年前と変わっていないんだもの…)

コメント一覧

qp
ではkeiさんの11/14のコメントへのお返事です。

Keiさんは私がどんな立場かを気にされていますが、私は子ども側の立場です。赤ちゃんの頃から施設を出たり入ったりして育ち、県も変わったので、毎回違う施設でした。そのため色んな事情の子に出会うことになりました。その中で親の分からない子の苦しみを知りました。ひどい虐待を受けたらしい子も、施設の中で落ち着いていきます。けれど親の分からない子の痛みは、止むことはありません。あれは間違いなく酷い虐待です。何十年経っても、あの長い長い涙を忘れることはありません。だから子どもに無用にあの苦しみを与えることは許さない。そういう立場です。

アメリカや中国の行方不明事件の話は「話はずれますが」と書きました。本筋の根拠ではありません。追加情報です。
現実に向き合うために、適切な対応がとれているか客観的に知る必要があると思います。他人の人生を左右する仕事の場合「頑張っているんです」では許されない。社会が子どもに何かをするとき、かえって子どもを傷つけていないかと振り返ることは必須です。どうせ子どもだから、何をしても文句は出ないの態度は許せません。

隠れ蓑の意味はご存じのはずです。人に見せられないから隠す。「自由に手放す制度を作りたい」という本心をさらけ出すことなどあり得ない。けれど本心はあちこちから透けて見えます。誤飲の話はその一例。昨日書いた「量刑」の話も、大人と子どもの権利が対等でないから起きている。一度手にした既得権益は放すものかの心根が伝わって来ます。こうのとりのゆりかごの効果も検証しない。障害児が何人置かれようと、対策を立てることはない。その人生を思いやる言葉を投げたのは、小児科の先生だけ。象徴的でした。

「児童虐待死がここ数年減ってきている」のはこうのとりのゆりかごのせいではあり得ません。もう10年経っているのだから、もっと前から減るはずです。keiさんのこのような解釈の仕方が、keiさんがポスト賛成派だと悟らせることになります。

「妊婦保護に取り組んだ人たちのほうが・・・」の話は自分の現実認識を書いています。事件記事を集め、貯まったところでたまに考えると、浮き上がってくることがある。それを書いただけです。「嬰児殺」ではなく「遺棄」です。いわゆる置去り。こうのとりのゆりかごのできる前の事件は集めていないので比較できませんが、毎年じわじわ減ってきて、2014年あたりから急速に減り、2015年5件、2016年4件です。勿論、事件の一部しかネットに載せていないのかも知れませんが、それにしても2008年は21件ですから、報道の仕方が変わっていないなら何かが効果を上げているのだと思います。自然な変化とは思えません。妊婦の保護はいくつか民間団体もあるようですし、政府が妊娠相談を強化することが決まったのが3年前のようです。複数の産婦人科が特別養子縁組に取り組んでいるようですし、探せば他にも取り組みがあるのでしょう。でも私には分からないから「取り組んだ人たち」という書き方になりました。

「遺体遺棄」を誘発したのは、ゆりかごの可能性はあると思います。ゆりかごのことは以前から知っていたと供述したとの記事があります。裁判の判決では生活態度について説諭されています。ここには書きませんが、あの事件は到底美化できません。

アリス・ミラーの本は読んだことはありません。自分の強烈な体験は、読書くらいでひっくり返るとは私は思いません。「魂の殺人」という言葉については、非常に非人間的な出来事、心を殺さないと生き延びることのできない経験で、様々な種類があると考えます。戦争、レイプなど。自分にその経験があれば、他の人の痛みを安易に無視はしないと思います。相手の痛みも黙って聞いてみます。

以上で返事は終わりです。
あとはkeiさんの嬰児殺のデータ(最近のもの)をお待ちします。
qp
15日にkeiさんが示された資料で気になった点を挙げます。

①この資料で示されている文献のうち、嬰児殺数に言及しているのは一番新しいものでも2008年に書かれています。ですから2016年のことを書いた私の意見を批判する根拠にはなりえません。また嬰児殺数についての文献ではなく、子殺しについての文献でした。

②この資料に出ている文献には、新聞を利用したものが何件もありました。私もネットに出ていた新聞記事を集めて考えたわけで、同じような発想だったことがわかりました。
話がそれますが、メディアの世論調査は二千人くらいを調べて日本全体の傾向として報道されたりしています。数は少なくてもきちんとした定点観測なら、たいしたゆがみなく全体を把握できるのでしょう。私は2006年と2016年の自分調べの事件数を出し、それに2006年の正確な事件数を出して推測しました。これのどこが間違いなのでしょう? 批判するならkeiさん自身がちやんとした数字を出せば良いだけです。何十ページもある資料に載せられた何十年も前の資料から相手に数字を抽出させようというのは、議論から逃げた態度です。
お忙しいとのことですが、今後も根拠が示されないなら、keiさんは無根拠に相手を批判する人と認識させていただきます。


③この資料は大正時代からの子殺しについて記載がありますが、犯人である母親の分析について、その時代の考え方を反映していることが分かります。22ページに1992年の文献の記載があり「事例すべてにおいて誰かが母親の立場にたって話しをきき援助するものがいれば・・・」と書かれてあり、この母親像はkeiさんが念頭に置いている母親像に似ていると思いました。けれど、3年前のここでのポスター議論では、虐待を受けた子どもたちから多くの反論が出ていました。
keiさんが救わなくてはと思う母親と、今の時代の虐待する母親像にズレがある可能性を感じました。
子どもの言葉を「子ども」の言葉と考えてしまうのでなく、「子どもの言葉」ではあるけれど「現場の声」として受け止めないと「今この時代」の現場の把握にはならないだろうと思いました。
 最近はサイコパスなどという言葉も出てきました。「普通の人」にもいろいろ幅があることを誰もが知り始めています。性善説だけで母親を見ていると、変なところで別な人を傷つけてしまう。
虐待は「魂の殺人」に等しいとkeiさんは書きました。けれど3年前、魂の殺人者から逃げ延びた人たちのコメントに、きつい態度をとっていました。矛盾しています。

④31ページに1951年に書かれた植松氏の文献の記載があり、イギリス、ドイツ、フランスなどと比べて日本で嬰児殺が特に著しく高率であるという確証はないと書かれています。

⑤36ページに載っているグラフと似たものはネットにも出ています。赤ちゃん殺しのグラフとして。こちらの方がより長い年月をグラフ化してあります。こうのとりのゆりかごができた年あたりにはネットに出ていました。今は更新されて2010年と書かれています。そして最後の2009年の嬰児殺は11人とされています。ただこの11人は1歳未満の殺人件数なので、生まれて24時間以内の嬰児殺はこれと同じか少ないことになります。やはり一桁くらいと推測できます。

⑥40ページに土屋他(1974)の文献が紹介されていて嬰児殺の量刑が軽い理由についての見解があり「過去の家族制度、性道徳及び女性の社会的地位を背景とするもので、現在における社会的妥当性を失っている」などと書かれています。そしてその後、今でも量刑は軽いままと書かれています。今では更に更に妥当性を失っているはずですが。

⑦51ページに2008年の文献の記載があり、嬰児殺に至る動機について「出産の発覚をおそれて」が8割ほどとされています。「育てられないと思った」が理由の人は家族が不在の時間に出産し、数時間、母乳を吸わせたり嬰児の世話をしたりしたが、家族が帰宅する時間が迫ってくるとやはり育てられないという不安が高まり殺害したとされています。これは赤ちゃんポストでは防げない。熊本でもこうのとりのゆりかごができた半年後に嬰児殺が起きています。こうのとりのゆりかごからそれほど遠くない場所で。出産したのは家族がいる時間帯でした。もしも誰もいない時間帯に生まれていたら、こうのとりのゆりかごを利用したかも知れない。
産んでから赤ちゃんを託すやり方では、出産の発覚をおそれる妊婦の要求をみたせるかどうかは運になってしまう。前もって生む場所から考えておかないと難しい。

⑧54ページに妊婦の赤ちゃんの殺意形成時期のグラフがあり、分娩前(出産前)が1951年の文献では4割くらい、2007年の文献では6割くらいとなっています。文章には「望まぬ妊娠で事実をひた隠しにし、出産後の見通しが全く持てず妊娠中に殺害を計画する姿が浮かび上がってこよう。」と書かれています。出産前にすでに殺意を持っている。ここに対応できたら、嬰児殺が減らせるのかも知れません。今回の資料で一番興味深かった箇所でした。

⑨55ページに「望まない妊娠をした女性にはその事実を隠匿・否認する傾向が強く、産科受診さえしなかった者もあり、自ら援助を求めてこない・・・」という記載があります。ゆりかご利用者も出産した病院が相談にのっていたのに「自分で育てる」と言い、しかし退院したらすぐにゆりかごに置いた事例があることが分かっています。「相談できなかった。相談する人がいなかった。」という言葉が赤ちゃんポストではよく紹介されますが、実態は違うことがわかります。相談を拒否する人がいる。私もポストに関する公開討論で関係者がこう話すのを、自分の耳で聞きました。相談できなかったというのは、ポストを美化し人々に受け入れさせるための言葉。

示された資料についての返事は以上です。11月14日のkeiさんのコメントには、また返事をします。
qp
示されたのは平成23年4月に書かれた資料です。6年前。ざっと見ましたが、中の資料も古すぎます。また「世界最少」との私の主張に反論されたのだから世界の最近の状況を示す必要があるのに、それがありません。相手を批判するなら、それに見合う根拠を提示してください。
内容には興味深い部分もありますので、全部読んでからそれらを指摘します。

核心に答えてもらうため論点を絞りました。自分に都合のよいものを取り出し、批判の矛先を変えたのではありません。証明のため、11月14日のkeiさんのコメントにも後日返事をします。長くなりますが。

Keiさんは学者です。学者が自分の専門についてどういう資料を出すか、返事を出すかは、ブログであっても重要だと思います。
kei
ps

二つ前の僕のコメントから、ご自分に都合のよいものを取り出し、批判の矛先をお変えになっている点も付け加えさせていただきます。

もう僕個人のことを「都合良く話をずらしたり、批判の矛先を変える」とか言わないでくださいね。基本的には、誰にでもそういうことは根本的に言えますし、そして、そういう「批難」からは何も生まれないので…。
kei
例えば…

http://www.crc-japan.net/contents/guidance/pdf_data/H22_sanko.pdf

ただし、ネット上に公開されていない資料・文献も多いので、この限りではありませんが。母子心中を含めたデータも他にあります。

他にもたくさん資料はありますが、qpさんには教えたくありません。すみません。ちなみに、一つの県のデータを取るだけでもめちゃめちゃ大変ですよ。それだけで一つの研究になると思います。

(只今、〆切直前の二本の論文を執筆していて、頭がカオスなので、細かい「指令」を出すのはご勘弁ください)
qp
ではkeiさんのデータを教えてください。相手に求めて、自分は行わないのはフェアではありません。
kei
脇からマンさん

コメントありがとうございます。ちょっと文章が長すぎましたかね。

でも、「議論したい」って単純に思ったのです。qpさんのコメントを拝読する限り、それなりにしっかりと考えた上で書いておられると思うので、真面目に応答したまでです。

近年、ブログは下火で、twitterやインスタが主流になっていますよね。twitterだと文字制限もあり、面倒くさい議論ができなくなっている感もあります。ブログのコメント欄だと文字数の制限がないようなものなので、自由に議論することが可能です。そういう意味で、たくさん書かせて頂きました。なので、「負い目」というよりは、「白熱」、ですかね。議論も真面目にやれば、「至らぬ点」も出てきます。が、それもまた、自由な議論のメリットだと思います。

「みっともない」のも、また「ありかな」って思いました。キレイゴトじゃ済まない問題でもありますから…
脇からマン
長く書けば書くほど焦点はズレる
ずれた分両方の角が内に入り只のダブルスタンダードな終末になる

なんでも細かく書けばいいってもんじゃないよ
釈迦に説法だろうけど今回のコレは大変みっともないです
短く言い返せないのはそれだけ負い目があるということです
kei
(恐らく)最後となるコメントありがとうございます。

「3年前のコメント欄も読むと、何が本当のことか分かることでしょう」と仰いますが、本当のことなんて、誰にも分かりません。分からないから、実践をしたり、研究をしたりするんだと思います。「自分が正しい」と思っておられるかぎり、そこから先には進めません。(僕自身、自分が正しいなんて思いませんから…)

「心血注いだものを否定されたと感じていらっしゃるようでした。可哀想でした」と仰いますが、qpさんは誰の立場に立っておられるのでしょう? 検証会議の記事のコメントでも思いましたが、qpさんはどの立場に立っておられるのでしょう? 誰を守ろうとしているのでしょう? ポスターを作った人を守りたいのであるとしたら、それこそ僕とはスタンスが違いすぎます。

また、「アメリカや中国の子どもの行方不明事件などは日本では信じられない桁違いの多さ」を出してしまうあたりも、結局は「比較」をしているだけですよね。現実問題に向き合う上では、比較は問題ではありません。児童遺棄、嬰児殺し、児童虐待に苦しんでいる子どもがいる以上、社会の責任として何かをしなければいけないんです。とはいえ、行政サービスでは対応できないのも、この問題の根深いところなのです。誰にも相談できない妊婦さんたちが児童相談所等に相談しに行くと思いますか。思うとすれば、それこそ現実から乖離している考えと僕は見なします。

「昨年の13件のうち嬰児殺とされるのはおそらく一桁だと思います。これが日本の現実」と仰いますが、ちゃんと調べましたか? 個人的にネットで調べた数をあたかも「正確な数字」とお考えになるようでは、議論のしようもありません。それにネットであってもちゃんと調べれば、それ以上の数値はちゃんと出てきます。それに「白書」にも細かいデータは出てきます。

「子どもを自由に手放す制度を作りたい人たちが本心の隠れ蓑として利用していることを示唆している」ともお書きになっておられますが、「自由に手放す制度を作りたい」なんて、誰が言っていますか? ポストにせよゆりかごにせよ、自由に赤ちゃんを手放したいと思って預ける人がいると思いますか? 自由に手放したい制度を作りたいと思っている人がいるんですか? そう思っている人がいるのであれば、是非教えて頂きたいものです。

「児童虐待死がここ数年減ってきている」と仰いますが、それが正しいとすれば、「ゆりかご」の大きな一つの成果なのではないでしょうか。ゆりかごを通じて、多くの人が感化されたことは紛れもない事実だと思います。

「妊婦保護に取り組んだ人たちのほうが遺棄については成果があがっている」というのも、いったい具体的に誰を(どんな組織を)指すのか全く不明です。具体的に挙げて頂かなければ、ただの「批判のための批判」でしかありませんよ。

「9月の検証報告書にはゆりかごへの遺体遺棄事件が取り上げてありません」と仰いますが、その背景はご存知ですか? しかもその「遺体遺棄」を誘発したのは、ゆりかごですか? お怒りになるのは勝手ですが、それをゆりかごに向けるのは、お門違いだと僕は思います。置かれた場所がゆりかごだっただけで、ゆりかごがなければ、ゴミ箱や山中に置かれていたことでしょう。

「子捨てこそ、魂の殺人です」と仰いますが、qpさんはアリス・ミラーの本を読みましたか? 読んでいれば、そういう話にはならないと思います。間違った子育て、あるいは虐待されて育った子どもの話から、「魂の殺人」という言葉は生まれました。適切ではない養育の結果、己を否定し、自分の存在の価値を見失い、誰も何も肯定できずに苦しんでいる人がいる以上、「安全な場所への子の預け入れ」は否定されるものではないと僕は思います。(その後の「養子縁組」の問題もここで浮上してきますが…)

以上、ちゃんと「都合良く話をずらさず、批判の矛先を変えないで」、コメント致しました。

繰り返しますが、「反論のための反論」であれば、もうコメントをしなくて結構です。ご自分で何らかの媒体で主張を展開させてください。qpさんのご主張が正しければ、それに多くの人が「共鳴」してくれると思います。(そして、僕なんぞは消されることでしょう… そうなったらそうなったで、僕は引き下がるのみです)

でも、こんな(マニアックな)ブログに色々とコメントを下さり、ありがとうございました。

qp
全てについて反論がありますが、もう書きません。判断は第三者に任せます。3年前のコメント欄も読むと、何が本当のことか分かることでしょう。

④については、投稿者は何度も「○○を知っていますか?」と尋ねているのだから、質問された側がスルーするのは変です。ポスターに関わる人の投稿は複数あり、心血注いだものを否定されたと感じていらっしゃるようでした。可哀想でした。厚労省への批判のつもりが、仕事を引き受けることになった個人への批判になってしまっていると思いました。

では⑥について。「ドイツより日本の方がはるかに嬰児殺は少ない」「出生数との比でおそらく世界最少」と書いた根拠ですが、これはきちんとした統計を持っているのではありません。ただこの10年に赤ちゃんポストを巡って色々な記事を読んできましたが、その中に他国の赤ちゃんの遺体が見つかる人数や嬰児殺の人数が出てくることがあります。その数はドイツにしてもアメリカにしても、一つの地域だけで日本全体の赤ちゃんの遺体の見つかる事件数より多いことがしばしばありました。(新聞などの信頼できる記事) ドイツは一地域だけで20件以上あったりしました。ドイツの出生数は日本の7割ほどですが。

少しずれますが、アメリカや中国の子どもの行方不明事件などは日本では信じられない桁違いの多さでした。中には虐待死も僅かには含まれているだろうと想像します。
さて私が去年ネットで見つけた日本で赤ちゃんの遺体の見つかった事件は13件です。(明らかに流産、早産、死産のものは除く)
警察庁の発表では2006年の生まれてすぐの嬰児殺は8人で、その年の私のネット調べの分が20件ですから、昨年の13件のうち嬰児殺とされるのはおそらく一桁だと思います。これが日本の現実。
また様々な記事を読むうちに、日本で嬰児殺が少ないのは出産費用が安いことも理由なのではないかと思い至りました。嬰児殺が少ないためには、医療や保健の体制がしっかりしていることが必要と思います。そうなると先進国になるでしょう。こういうことを考え合わせて行くと「出生数との比でおそらく世界最少」という判断になりました。

ではkeiさんのデータを教えてください。
ちなみに警察の統計は基準が厳格なようです。犯罪の専門家で年毎の変化を追うためには、ちょくちょく基準を変えられないから当然ですが。それに比べると厚労省のはどこからこの数字が来ているのかよく分からない感じです。ですので、keiさんのデータもどこが出しているのかも示して欲しいと思います。

児童虐待死がここ数年減ってきていることは、新聞記事になっています。今はきちんと集めてはいないのですが、以前は毎月数件、死亡事件が起きていました。それが最近は事件が起きてかなり立ってから報道されるものが多い気がします。病院が通報するケースも増えているような。依然と違って隠れていた虐待死が表に出てくるようになり、発表に時間がかかっているのかなと想像しています。

>(それに少ないから問題ない、というのは暴論以外の何物でもありません)
それはその通りだと思います。ただしこの論理はくせ者で、乳幼児の誤飲での死亡は意外に多いですが、だからといって「乳幼児のいる家庭は喫煙禁止」などという法律はできません。この差は、子どもを自由に手放す制度を作りたい人たちが本心の隠れ蓑として利用していることを示唆していると、私は思っています。

現状をより良くするのに批判は大事というのは分かりますが、批判には根拠が必要と思います。
仮定と違う結果が出ることを正直に受け入れたり、面白がったりするのが学者だと私はこれまで思っていました。
赤ちゃんポストを良いと思って取り組んだけれど、やってみてダメたった。妊婦保護に取り組んだ人たちのほうが遺棄については成果があがっているようなというのが、私の現時点での認識です。

9月の検証報告書にはゆりかごへの遺体遺棄事件が取り上げてありませんでした。怒りに震えました。当時はゆりかごを一時閉鎖するとまで言ったのですが。

「子どもを捨てて良い」と言ったら、憎しみを持つ人間がいる。そんな当たり前のことを理解しない人たちが大勢いる。子捨てこそ、魂の殺人です。


「私は子どもの涙を知っている」「あなたは子どもの涙を知らない」などと私は書いていません。私の文章をkeiさんが頭の中で変換しているだけです。書いていないことを書いたと主張したり、『また「ねじまげられて」理解されるとは思いますが』などと相手に言うことは誹謗中傷には当たらないのでしょうか? 
kei
コメントありがとうございます。

最初からこういう風に書いていただけたら、色々と話もできるのになぁ…、と思いました。(とはいえ、積極的に議論をしようという気持ちにはなりませんが…)

①「keiさんは間違いいなくポスト賛成派」というのは、少し違います。最初から賛成でも反対でもありません。むしろ「なぜ日本ではあれだけゆりかごが話題になったのに、二つ目ができないのか」に関心があります。なので、厳密に言えば、「ゆりかごが広まらない日本の背景」に自分の焦点を絞っています。僕がもし二つ目のゆりかごを作ったとしたら、その時に「賛成派」になるんだと思います。

②「ドイツでは赤ちゃんポストに置かれた子をテレビに映して母親に呼びかけます」と仰いますが、厳密にはシュテルニパルク(ハンブルク)だけです。なので、ドイツでも赤ちゃんの顔を積極的にバンバン出しているわけではありません。日本のメディアも、水面下では本当によく頑張っていますよ。ただ、現実的にはゆりかご保護すぐに児童相談所が赤ちゃんを引き取り、その後一切情報公開はしません。これは慈恵病院やメディアのせいではありません。あくまでも行政の側の問題です。

③以上の話から、「都合良く話をずらしたり、批判の矛先を変える癖」を僕にあてつけるのは、理不尽なクレーム以外の何ものでもありません。これについてはもう語りたくもないので、ご遠慮ください。

④「keiさんはその人への返事でポスターの種類についてはスルーして」というのは、「知っていて当然の話」だからです。それ以上でもそれ以下でもありません。名刺サイズのカードも、それこそずっと前から集めてますし、それを制作している人も多数知っています(直接)。

⑤しかし、この虐待防止のポスターは、千葉ではもういたるところに貼られていて、とんでもない宣伝効果があります。名刺カードとは比べ物にならないくらいのインパクトが与えられます(それだけお金も投入しているのでしょう)。その分を、別のポスターのために使えないんでしょうか? ポスターは「告知機能」があります。虐待防止を謳うのであれば、「通報」を小さく掲示して、まずは「当事者」に呼びかけるべきではないか、と僕は思うのです。もちろんその人への敬意と愛情をもって。

⑥「ドイツより日本の方がはるかに嬰児殺は少ない」「出生数との比でおそらく世界最少」という根拠を教えてください。僕が入手しているデータとは違っています。(それに少ないから問題ない、というのは暴論以外の何物でもありません)

⑦よく「この10年間で児童虐待死の状況はだいぶ改善してきている」と言えますね。僕は全くもってそうは思いません。qpさんがどのようなお立場の方かは分かりませんが、「行政への批判」はなさらないのですね。…であれば、僕とは根本的に考えが異なります。「ポスト」も「ゆりかご」も、その根っこには、「批判精神」があります。それは、社会システムや行政や権力への批判であって、現状肯定はしません。qpさんのお立場は、行政批判をしない(それどころか児童相談所を賛美する)検証会議の立場と似ているように僕は感じました。となれば、きっと僕はqpさんにとっては目障りな存在でしょうね。なぜなら、僕の批判の矛先が行政や社会システムや社会福祉学者たちだからです。学問をやる以上、現状のシステムに対しては常に懐疑的でなければならないのです。

おそらくqpさんにはまた「ねじまげられて」理解されるとは思いますが、一応自分の言葉で返答させていただきました。批判のための批判であれば、もうご遠慮ください。議論を通じて相互理解を目指すようなコメントであれば歓迎ですが、相互理解の可能性がなければ、今後僕からのコメントは差し控えさせていただきます。
qp
ここはkeiさんのブログなので控えていたのですが、中々気づかれないようなので、今回は明確に書いてみます。

数年前、私が最初にここに意見を書いたとき、keiさんは自分はポスト賛成派でも反対派でもないと返事をされました。私ははぐらかされたように感じました。けれどやはりkeiさんは間違いいなくポスト賛成派ですね。

ドイツでは赤ちゃんポストに置かれた子をテレビに映して母親に呼びかけます。その写真をkeiさんもこのブログに載せています。けれど日本ではテレビに出すことはありません。そしてそのことをkeiさんは批判しません。第一、メディアがポスト利用者に呼びかけるには、設置者の協力がないとできません。
ポストに置いた子がテレビに出されることは、母親にはものすごいプレッシャー。その点ではドイツでは母親に厳しい態度で臨んでいる面があると言えます。また赤ちゃんの立場で考えると、親に手放されたくないという子どもの思いを主張する場を作ってあげているとも解釈できます。
また海外では障害児が置かれた時点で閉鎖されたポストもありますが、日本ではそうはなりません。
日本のメディアは、ポストの子をテレビに出さないことや障害児が置かれたときに防犯カメラの映像を利用しないことについて、設置者たちを批判しません。そういう点で日本のメディアはポスト賛成寄りだと思います。けれどkeiさんは海外のことなら何でも好意的な評価をし、日本については批判的な評価をしています。

ここまで書いてきたような事柄から、keiさんには「都合良く話をずらしたり、批判の矛先を変える癖」があるように私には感じられるのです。


3年前の厚労省のポスターの話のとき『ポスターにはいろいろなタイプがある』と指摘した人がいることを覚えていますか? keiさんはその人への返事でポスターの種類についてはスルーして返事していました。

 今年だったと思いますが、外出先のトイレで母親向けの相談ポスターを見かけました。正確にはそれはポスターではなく、名刺サイズのカードでした。まず目に入ったのは「子育てで悩んでいませんか。」というふうな言葉。その他にも優しく問いかけるような短い文章が数行並んでいました。色合いなども優しい感じにしてありました。相談窓口も書かれていました。トイレなので人に気づかれずに手に取ることができます。大きいポスターではないからこそ、沢山おいてあるからこそ、とりあえずもらっておいて後でゆっくり見て考えることができる。そういう意図がはっきり伝わってくるものでした。3年前のあのときの投稿者が言っていた「いろいろなタイプがある」というのは、そういうものだったのではないかと思います。3年前のコメント欄には別の女性からも、母親向けのポスターやメッセージがちゃんとあること、妊娠、出産、育児の道中で必ず目にすることが投稿されています。虐待する自分を止められない母親には、大きいポスターより、トイレの小さなカードのほうが効果があると思います。

ドイツより日本の方がはるかに嬰児殺は少ない。出生数との比でおそらく世界最少。おそらく子どもの虐待死も最少レベル。

事件記事から見ると、この10年間で児童虐待死の状況はだいぶ改善してきていると思います。様々な立場の人の努力の積み重ねの上に。
啓発用ポスターはテレビで見かける悲惨な虐待報道を思い出させて、それらの人々のやる気を引き出しているかも知れません。
kei
「都合良く話をずらしたり、批判の矛先を変える癖」って、何ですか? 知らない他人について、僕はそこまでは言えません。それに記事の内容とは関係ありません。

「私は子どもの涙を知っている」「あなたは子どもの涙を知らない」、そういう決めつけに近い個人への批判は、非表示にしています。

コメントしていただいたことについては感謝いたします。
qp
どこにも「個人への誹謗・中傷」など書いていませんでしたよ。むしろ逆で、子どもの頃見た消すことのできない子ども涙の記憶の話だけが特定の個人についてでした。

都合良く話をずらしたり、批判の矛先を変える癖を感じてしまいます。
kei
PS

前回の炎上記事で表示されているコメントは、ちゃんと読めるものだけを残しました。ここでは書けないようなすごい(誹謗中傷のみの)コメントがいっぱいありました。その点を付け加えておきます。
kei
qpさん

コメントありがとうございました。貴重なご意見ありがとうございます。

記事そのものに対する批判であれば、お受けできるのですが、「個人への誹謗・中傷」が含まれていると判断したので、コメントは「非提示」にさせて頂きました。

様々な意見は大事にしたいと思っていますが、「特定の個人への非難」は、多様な意見とは少し違ってきます。

お許しください。
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