Dr.keiの研究室2-Contemplation of the B.L.U.E-

先の投稿で僕が一番訴えたかったこと。

先の厚生労働省のポスターについての記事についての、僕の最後の「弁明」です。

http://blog.goo.ne.jp/sehensucht/e/1860b44c55ac2b26aaf59a84958adfe9

コメント欄でいただいたブンブンさんからのご意見を受けての僕の「返答」です。

先の記事で、僕が伝えたかったことです。

今一度、目を通していただければ、幸いです。

*一部修正しています。


ブンブンさん

コメントありがとうございます。

色々と思うことはあるのですが、一言だけ言わせて下さい。

このコメント欄にもありますが、虐待を受けた人は、受けていない人の想像をはるかに超える経験をされており、また、それを乗り越えることが極めて難しい、ということを伝えてくれています。

僕は、それを「叫び」として受け止めようとしてます。もちろん受け止めきれるものではありません。(僕は一言も、「あなたの気持ちが分かる」とは言っていません)

いわゆる虐待する親も、その過去を見ていくと、想像を絶する経験をしています。(たとえば、杉山春さんの『ネグレクト』等を読むと分かると思います)

僕が望むのは、そういう経験を根絶することです。これは、児童憲章の理念に合致しています。

「児童は、人として尊ばれる」
「児童は、よい環境の中で育てられる」

すべての子どもが人として尊ばれ、よい環境の中で育てられるように、関係者は尽力しています。

それを実現するためには、親が子を虐待する前に、なんとか、親を支えなければいけないのです。

きちんと子育てをしている人であれば、分かると思います。子どもにとって最も幸せな時間は、自分を一番愛してくれる人のそばにいることです。

やむを得ず、「特別養子縁組」に踏み切らなければいけない親というのもいます。また、やむを得ず「赤ちゃんポスト」を使わざるを得ない親もいます。「SOS子どもの村」で育つ子どももいます。

それはそれで、どうしようもない事情ゆえのことです。(これについては過去ログに記事がたくさんあります)

問題はその先です。親の下にいながら、親からの愛情を得ることのできない子どもをどう支えるか。

通報は、一つの重要な方法でしょう。

けれど、その前にできることはあるはずです。親がしっかりと子どもと向き合い、関係を築き、大切にできれば、その子どもは、のちに苦しまないですみます。人生に苦しみはつきものですが、幼少期の苦しみは、なくすことはできるはずです。

親に愛されて、それを苦痛に思う子どもはいません(過剰な愛は問題ですが、ここでは割愛します)。

何万回、キスをしても、喜んでくれます。何万回、「好きだよ」と言っても、喜んでくれます。子どもは、どれだけ親に愛されても、それを「ウザい」とは思いません。

猛烈に愛されることで、自尊心を育んでいきます。「僕はパパとママに愛されている。だから、僕はこの世に存在する価値があるんだ」、と思うようになります。これが、エリクソンのいう「基本的信頼」だと思います。

僕が、すべての子どもに望むのは、この一点に尽きます。すべての子どもが、愛されて育つ権利をもっています。

それを実現するためには、虐待されてからの通報による保護では、遅すぎるのです。

虐待される以前に、支援が親に行きとどき、そして、親が子どもをしっかり専心(ケアリングの基本概念です)して、十分な愛情を子どもに注げるようにする必要があるのです。

だから、このコメントで、「通報」も「予防」も大事、という意見も多々ありましたが、僕の考えでは、予防こそが大切なのです。

殴られたり、けられたり、無視されたり、胸をえぐる言葉を投げかけたりする経験は、ずっとずっと引きずっていきます。心の傷となって、ずっと残ります。

そんな傷を、子どもに与えてはいけないのです。

とすれば、親がきちんと親としてその責任を果たせるように、支援を強く呼びかける必要があるんです。(そうしたことをポスターは考慮していない点において、僕は意義を申し立てました)

今回の僕のメッセージは、それに尽きます。

虐待を受けた子どもの保護(=通報)以前に、子どもが虐待を受けないようにするために、親を犯罪者にしないために、もっと親に呼び掛ける言葉を叫んでくれ、と。それは、できるだろう、と。

電車やバスの中でもいい。デパートやスーパーでもいい。親が虐待してしまう前に、つながりをつくることを呼びかける努力をすべきだろう、と。

虐待する親は、ほぼ社会的に孤立しています。相談できるような友人や知人もいない場合がほとんどです。

孤立無援なのです。もちろん夫婦関係もボロボロであることがほとんどです。離婚、再婚家庭で起こることもしばしばです。

とすれば、まずは、できる予防を徹底する、ということが求められます。

分かってもらえるか分かりませんが、「その時何をする」では、遅いのです。

その前に、やるべきことが行政・社会にはあるはずなんです。

妊娠初期段階での相談・ケア、匿名相談、出産後の相談、支援(産後うつの対処)、コンタクトの継続、一時里親の普及、離婚調停員の普及、再婚家庭(パッチワークファミリー)への支援、24時間匿名相談、同伴支援、等々。

 

そのことを、この記事で、訴えたんです。


このコメントは、ブンブンさんだけではなく、すべての人に読んでもらいたいです。


長々とすみませんでした。


以上です。

現状のポスターは、110番の呼びかけがどーんとあり、119番は一番下に小さく書いてあるだけになっています。

119番で、人は助かります。

***

119番

こんな事を書くと「119番に決まってるだろ!」と声が聞こえてきそうで すが、その通り、119番です。 
ところが,救急現場のような緊迫した場面では人はなかなか正常な判断を下せなくなるようで,この番号を押さない人が実際にいるんですよ。 
何故か119番ではなく、110番,警察署に掛けてしまうことが多々あるようですね。 

http://www.ic-net.or.jp/home/hiroto/119.htm


***

PS

こちらのコメント欄にもいくつかコメントがありました。

批判的なコメント(主に、「通報を呼びかけることに異論を出すな」等)を書く前に、もう一度、確認しておいてください。

①命にかかわる虐待、つまり虐待死の多くが0歳~3歳に集中しています。

出典

児童遺棄、児童殺害、児童虐待の多くが、出産後の1~3年に集中しているのです。

命にかかわる虐待も、生後1~3年以内に行われています。

この3年を、なんとか持ちこたえれれば、なんとかなる可能性があります。

この期間は、とても不安定であり、妊娠前から様々な問題をかかえている家庭において、それが顕在化します。

ゆえに、僕が専門にしている「母子支援」は、妊娠期~出産後(もちろんそれ以降もですが)に特化して、行おうとしています。

そういう取り組みは、この国には実に少ないのです。

②通報は、児童相談所では対応しきれないくらいに起こっています。

データを見てください。

http://www.orangeribbon.jp/about/child/data.php

これでもまだ少ないのかもしれませんが、すごい勢いで、通報はされています。誤報ももちろんあります。

児童相談所では、対応しきれないくらいに、通報は行われています。

その徹底は、たとえば保育園、幼稚園、小学校等でもなされていて、法律で「義務化」されています。

その一方で、虐待をしてしまう親、あるいはその可能性のある親に対する支援は、きわめて脆弱ですし、その性質上、民間のNPO団体等に頼っているのが現状です。

今、行政として、誰になにを呼びかけていけばよいのか、そのことに対して、意見を申し上げました。

このことをまず踏まえた上で、批判等の書き込みは行ってください。

(そうでなければ、「誹謗中傷」になってしまいます。僕も非公開にはできるだけしたくないです)

コメント一覧

kei
PS

Unknownさんの先のコメントの一部が、痛烈に僕の中に入ってきました。(納得した、という意味です)

なので、元となった記事の一部を修正しました。(僕の主張もあるので、残すものは残しました。まだ納得していただけないかもしれませんが、Unknownさんの立場を想定して、書き換えました)

ご報告まで。
kei
少しだけ、伝えようとしていることは分かってきました。

「訴えてきてやっとここまでのポスターや通報ダイヤル全国統一まできた」、ということを。

ちゃんとそのことは、明記すべきだったかもしれません。

ただ、あなたのおっしゃっていることは、あくまでもすでに僕の前提です。

20年前であれば、「虐待」も、また僕が長年苦しんできた「ADHD」も、世の中で認知されていませんでした。この20年で、世の中はかなり変わりました。

それを踏まえて、かつ、今最も必要なことはなにか、を考えるべきではないでしょうか。

問題は終わっていません。

虐待死で亡くなる赤ちゃんの数は、今もかなり多く存在します。それはご存知ですよね? それ以外にも、児童遺棄や児童殺害もあります。中絶だって、ある意味では、殺人です。その数、年間20万です。

では、どうすればよいのか。そのことを僕はずっと考えてきましたし、今、それに取り組んでいます。

あなたは、20年前といいますが、違います。今、これから必要なことは何か。それを考える必要が、今、あります。

今も、児童遺棄、児童殺害は起こっています。

通報に関しては、法整備も今は整っています。上にもあげましたが、通報件数もすごい数です。もちろん、それによって救われる命もあります。

しかし、それと同時に、間違って通報されて、強制的に児童相談所に保護される子どももいます(冤罪的な保護)。
また、それによって、その後の子育てに悩む親もいます。
http://oshiete.goo.ne.jp/qa/8324162.html

なにも、通報を悪くいいたいわけではありません(通報は悪いとは一言も言っていません)。それはそれで大切なことですし、幼稚園や保育園、学校等においても、通報は厳しく義務化されています。

それでも、児童相談所も、厚生労働省も、完璧ではありません。もちろん、すべてにおいて、完璧などありませんが、「これでよい」ということではありません。

繰り返します。誰かの正義は、別の誰かにとっては、正義ではありません。それが苦しみにもなるのです。

分かってくれ、とは決していいませんが、僕の今回の訴えには、それなりの社会的意味はあると思っています。

あなたとのやり取りは、特に意味がありました。「虐待問題」に取り組んでこられたあなた(あるいはあなたのような方々)と、「緊急下の母子支援」に取り組むわたしの対話です。こういう対話は、おそらくこれまでなかった対話だと思います。(そして、両者の分かり合えなさも顕在化されました)

おそらくは大変不愉快な思いをされたと思います(それは他のコメントを拝読しても感じるところです)。そのことは素直にお詫びします。ですが、あなたのいう「犯罪」をおかした人を救うことも、僕にとっては大切なことなんです。それは、虐待だけに限りません。

罪を憎んで、人を憎まず、です。

鼻で笑われるのでしょうけど、僕は、すべての人の「尊厳」を大切にしたいと思っています。虐待した親(あるいは今している親)も、人間です。完璧ではありません。

できるならば、「逮捕」されないで、別の道を示すべきではないでしょうか。

分かっていただけなくてもよいです。ただ、今回の訴えは、決して20年前に戻れ、という主張では決してなく、今、そしてこれからを見据えたうえでの主張だ、ということはお伝えしたいと思います。
Unknown
そう、そうして訴えてきてやっとここまでのポスターや通報ダイヤル全国統一まできたの。それを旧態然の道徳観で、わかったように言わないでといっているの。

あなたの「予防」の必要性は良くわかった。

だから、「通報義務」の徹底や、それこそドイツと同じように刑法上も「犯罪」として処罰を規定する流れも認めた上で、そうならないためにも「予防」が必要と言ってください。

あれじゃあ、通報促進が、悪いことと誤解を受けるし、実際、あれを支持している人は、また「だって親が悪いわけではない。」と言っている。親が悪いんだよ、犯罪なの。何度も言うけど。

批判のための批判?

それは、あなたがあのポスターができるまでの当事者の努力を分かっていないからだよ。

20年前はみんなあなたのようなことを言っていたの。

「親の愛は刑法」で裁けないって。「親が一番苦しい」って。
kei
コメントありがとうございます。


あなたは、ご自身の経験で語っています。それは分かります。けれど、前にも書きましたが、あなたと同じ立場にありながら、あなたとは別の生き方をしている人がいます。

当事者の声は、他の当事者を苦しめます。

カッコ付で、(笑)と書いていますが、笑えない状況を生きている人がいっぱいいます。

僕も、別の文脈で「当事者」でしたから、「今」、笑うことのできない「当事者」のことを常に想定していろいろと書いています。

当事者の声が、他の当事者の声とは別物だ、という謙虚さが、当事者側に求められます。

「そうじゃない人がいて、でもその人も幸せにならなきゃならないの」というあなたの言葉には、同意します。

けれど、すべてのかつての当事者が、現実として、現在、幸せに生きているわけではありません。

きっとあなたの方が、僕よりもそのことを理解しているのではないでしょうか。

「通報」という言葉が、どれほど暴力的なものか、ということを。

過去を乗り越えられないまま、大人になり、幸せを求めながら、別の方向に行ってしまう苦しみを。

あなたが「当事者であること」を表明したからこそ、あえて申し上げれば、僕ではなく、あなたこそ、厚生労働省等に、叫ばなければいけないのではないでしょうか。

何をどうすればよいのか。

僕は一つの提案をしたまでです。ドイツにも色んな考えがあります。僕はそこで学んできたことや、日本で得てきたことを踏まえて、一意見として述べているだけです。

通報も大切です。ですが、それ以上に、国として、きちんと予防・支援に力を入れてほしい、と。

それが、今回の記事の趣旨です。

繰り返しますが、批判のための批判にしかなっていません。

よろしくお願いいたします。

Unknown
「子どもにとって最も幸せな時間は、自分を一番愛してくれる人のそばにいることです。」

この決め付けが、セカンドレイプになるとわかって言ってるの。

だから「正しい人」は怖いの。

そうじゃない人がいて、でもその人も幸せにならなきゃならないの。

ほかにも、あなたは、

親から引き離されることを、そもそも望む子どもがいると思いますか? たとえどんなに酷い虐待を受けても、子どもはそれでも(意識的・無意識的に)「親」を求め、「親的存在」を必要とします。

子どもたちが根本的に望むのは、虐待する親から引き離してもらうことではなく、親が虐待しないような人間になってくれることです。それ以外にはありません。昔のように、笑顔で自分に接してくれる「やさしいお母さん」、「やさしいお父さん」に戻ってくれることです。

僕は、「被虐待児」だからといって、幸せな未来がないとは全く思っていません。

この「悪い書き方」をしたからこそ、多くの人に読んでもらえたと思っています。

自らの虐待経験をこの場で語ってくれた方もいました。心から敬意を表します。ありがとうございました。その方々も、やがては「親」になり、「子」をもつことになるでしょう(絶対ではありませんが)。立場が変われば、見方も変わります。どんな過去があろうと、親になれば、子どもをきちんと育て上げる義務を負います。

親しい警察官も、「親の欠如ゆえに、それを求めて(あるいはその代償的存在を求めて)、犯罪やドラッグに手を出す」、と経験的に指摘していました。


と、平気で当たり前のように書きます。(ひとつひとつセクハラオヤジに説明するように教えてあげたい(笑))で、挙げ句の果てが、「虐待されてからの通報による保護では、遅すぎるのです。」と言い切るのです。

遅すぎたりしませんよ。

これらの言葉があなたのいう「当事者」を苦しめるんだということに対し、あなたの「社会的想像力」が追いついていないのです。

ましてや、「当事者の方の声も大事ですが、ここではなく、別のところで、当事者の声を反映させていただければ、と思います。」なんてありえない。なら最初からこういうナイーブな世界に来ないでください。

あなたの発言は、福祉をかたる国会議員の失言と同等なんですよ。

で、あなたを支持するのは同等の虐待児に対して「社会的想像力」がない人たちなんです。

当事者が言うから間違いありません(笑)

因みに、これとか読んでもう一度研究なさったらいかがですか。あなたの敬愛するドイツの法令に関してもあなたとは違う視点で紹介されています。児童虐待は親がどうこう以前に「悪」なんです。


「児童虐待における刑事法の在り方」
http://www.chukyo-u.ac.jp/educate/law/academic/hougaku/data/37/3=4/saegusa.pdf





kei
今回の僕への主な批判は、「子供は親が大好きで親は子を愛さないはずがないという神話」を出すな、というものでした。

このことは、上ですでに述べました。そういう話ではありません。

もう一つ。「やっと動き出した今の行政の努力とは別のプラスαとして語ってくれ」というのも、ここに寄せられた主な反論でした。

行政のやることに異議を申し立てることは、不当な要求ではありません。しかも、一応学術的な根拠に基づいて発言しています(ゆえに、僕の個人的な意見とはまた別の意見になっています)。現に、この問題に実際にかかわる人からは、「参考になった」という意見をたくさんもらいました。

最後の「今まで亡くなってきた子」のことを思ってこそ、僕は自分の研究を自分なりに進めています。子どもを死なせない、そのことを思って、一人でドイツに行き、誰の支援もないところで、「赤ちゃんポスト」や「匿名出産」のことを勉強し、いちおう色々なかたちで発信しています。すべて、そういう「今まで亡くなってきた子」のことを考えて、です。

僕を批判するのは全然かまいません。が、批判ありきで批判をしても、何もそこからは生まれません。

少しでもいいです。「こいつはいったい何を訴えようとしているんだ?」、と考えて読んでいただけると幸いです。別に理解してもらわなくてもかまいません。ただ、僕はUnknownさんが出された意見も念頭に置いた上で、発言しているということだけは申し上げておきます。
Unknown
何言ってるの、あきらかにこれは強盗致傷婦女暴行ですよ。110番です。みなさん、あなたのそういうところが、違うと言っているんじゃないですか?虐待もそう。あなたのような親も大変で病気なような一時的なもの。だって子供は親が大好きで親は子を愛さないはずがないという神話からたくさんの犠牲を得て、虐待は犯罪だから通報第一という考えがやっと根付きだしたんです。時代を逆行する意見もあっていいと思いますから、やっと動き出した今の行政の努力とは別のプラスαとして語ってくれとお願いしているんです。じゃないと今まで亡くなってきた子達が浮かばれないんですよ。
kei
Unknownさん

このニュース、知りませんでした。

いわゆる「性的倒錯」(精神病理学の一概念)の問題ですね。これもとても重要な問題だと思っています。

かつて、トランスヴェスタイトの話をここで書いたことがあります。
http://blog.goo.ne.jp/sehensucht/e/b8b99e4def11525f40640c00b0b0df62

男性だけに見られる現象で、一般になかなか理解されない人々です。僕は、昔から化粧をするのが好きで、「ヴィジュアル系」という言葉が広まるまでは、「気持ち悪い」とよく言われていました。

性的倒錯の問題もまた、人間社会における大きな問題です。特別な性的嗜好をもつこと自体は、単純に「悪い」とは言えません。「男性が化粧をして、スカートをはく」、ということは、一般に「気持ち悪い」と言われますが、女性が化粧をせず、男性の服装で街を歩く」ことは、いまや普通のことです。

何を異常(病理)と見なすのか、何を正常と見なすのか。これもまた、みんなで考えなければならない公共的問題だと思います。

メダルト・ボスの『性的倒錯』(みすず書房)を読むと、さらにUnknownさんが教えてくださった事件の内実が分かると思います。

貴重なご意見、ありがとうございます。

(おそらく「そういう話じゃない!」と思われるかもしれませんが、感じたままに述べさせていただきました。)
Unknown
わかりました。
こういう人を見かけても119にかけます。
http://kamipro.com/blog/?p=20542
kei
Unknownさん

予算のバランスの話ではないです。

上に書いたとおりです。
Unknown
読む限り、もう児相が受け付けられないぐらい通報はあるのだから、通報を促進するのにお金をかけるなら、もっと予防にお金をかけろといっているわけですか?予算のバランスの話ですか?
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