♫まりあ☆の、ちょっぴりスピリチャル♬

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わたしは海が好きです。

2019-02-09 21:59:44 | スピリチュアル
わたしは海が好きです。

というか、
幼稚園に入るころまでは、自宅の裏山を下ったら海が広がっているとさえ思っていました。

おそらく写真で見る限り、
はじめて海水浴にいったころの1歳ぐらいのわたしは、
車に乗ったとたんに寝て、起きたら海だった。
のでそういう記憶になったものと思われます。

自分ひとりではじめて裏の坂道を登り、
『さあ海だ!』と頂上に立ったときのガッカリは、
ほんとうにガックリでした。
ただの住宅地が広がっているだけでしたから。

それから、何度も何度も、海に行くゆめを見ました。

ゆめの中のわたしは、2階のベランダの手すりからジャンプしたり、
坂道を駆け下りて助走をつけたりしながら、
いつも空を飛んで海をめざしました。

(不思議ですね…。いま気づいたのですが、わたしの飛んでたのはいつも夜空でした。)

どんどん高く上がると眼下には美しい街の夜景がきらめき、高いビルの屋上も軽々と超えていきます。

遠くに見える山並みを超えるとそこに海があるのです。

わたしは一心にそこを目指して飛んでいくのです。

でもいつしかパワーが落ちてきて、だんだん飛ぶことが困難になり、
たいてい海に辿り着くことのないままゆめは終わりになっていました。

なんだか意味深??

[夢は辿り着くことなくいつしか失われる]ことが多いということでしょうか…。

ならばそれは何故なのでしょう。
なぜ、だんだんに飛ぶ力は失われていくのでしょう?!
疲れが生じるのは当然の現象ですか?!
強い意志さえ持ち続ければパワーの保持もできるのでしょうか??

自分のハートに意識を向けて静かに感じてみてください。

答えは1つではない。
答えを見つける必要もない。
答えとは閃く、もしくはやって来るもの。

…そんな気がします。

さて実際は、父が釣り好きだったため、子供のころ海にはよく行きました。
それでも毎日に海の無い生活は、わたしにとっては結構な苦痛でした。

なぜそれほどまでに海好きだったのか、
そこに思いつく理由はなく、
それゆえに、思いつけない理由があったということか?と考えたりもします。

現在は海に対して、そこまでの執着はなくなりました。
ひとつの可能性として、
そこまでの必要がなくなったからとも言えるのかな?!

自然界で海ほど浄化力の優れたものはない。(たぶん)
その美しさ、包み込む大いなる愛を差し引いたとしても、
そのパワーは絶大です。

わたしはそれほどに浄化を必要としていた、生まれながらに。
そしてようやっと、その状態を脱した。

そんなことなんじゃあないかしらん。

でもやっぱり海は好き。
津波はコワいけど、やっぱり海が好きな、
ますだまりあでした。

※ちなみに津波、夢では何十メートルかのに飲み込まれたことあります。
 どうもアトランティス崩壊時の記憶らしいです。
  以前ある方にそう言われました…。