「役創り」
この言葉をキーワードにこれまで私の芝居に携わってくれた数多くの若い役者達を思い浮かべた時、その結果的到達点は別にして、ほとんどの人がそこに到る過程を苦労をしていたのが思い出されます。
その原因は非常に単純なことなのです。
簡単にいうと役の全体像を掴む前に台詞の言い方を考えてしまうからなのです。
つまり言い回しです。
初めての台本を手にして自分の役を聞いた時、人はどうするでしょう。
ここが第一関門です。
興奮を覚えたほとんどの人はまず自分の役を確認します。
そうする気持ちは判ります。
中には自分の台詞の数を確認したり、印をつけたりする人もいるでしょう。
まあ、それもいいでしょう。
自分の台詞を黙読する人もいるでしょう。
それもいいです。
しかしそれまでです。
その先は全体を把握する事のエネルギーを使うべきです。
つまり全体の中で自分の役はどこにあるのかを知ることに精力を使うべきなのです。
私の言うのしてはいけないそれまでを突破する行為とは、書かれてある台詞の前後や人間関係を把握することなく、目前の台詞を言葉なり台詞っぽく声に出してしまうことです。
その結果・・・
刷り込みという言葉があります。
辞書には「生まれたばかりの動物、特に鳥類で多くみられる一種の学習。目の前を動く物体を親として覚え込み、以後それに追従して、一生愛着を示す現象」とあります。
これと同じような結果が現れるのです。
つまり軽い気持ちで台詞をだいたいといったアバウトな気持ちで発した言葉は、知らないうちに当人の脳裏に刷り込まれ、それが固定化されていくといった現象が現れるのです。
これがなかなか曲者で、そこから脱出するのに相当な時間を要してしまうことがあります。
台詞にはその言葉出る為の必然があります。それを求めずくれぐれも軽い気持ちで台詞を音声化しないことです。
落とし穴にご注意。
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