肥沼信次医師のことを初めて知った
東西冷戦の象徴である「ベルリンの壁」の弊害で
43年間も、肥沼医師のことを知る術がなかった
1937年 ドイツに渡る
1944年 ベルリン大学(現フンボルト大学ベルリン)教授
1944年 「ナチス医師同盟」加入拒否署名
↳日本人としての矜持を貫く
帰国命令が出ていたにも関わらず、患者の治療にあたる
1946年3月8日 自らも発疹チフスに感染 永眠 享年37
日本の家族は、肥沼医師の消息を探す
1960年 赤十字経由で死亡診断書が家族に届く
その後、東西冷戦のためドイツから一切の情報を得られず
肥沼医師が亡くなり43年後の1989年、ベルリンの壁崩壊
新聞記事(尋ね人)をきっかけに、動き始める
「桜がみたい」最期の言葉だったとのこと
2023年6月 八重桜の苗木が肥沼医師が眠る墓地に植樹される
Wrizenは、ベルリンから北東へ約70キロ
いつか機会があれば、行ってみたい
ベルリンへは直行便がないので…
NRT⇒FRA⇒バスでデュッセルドルフへ移動1泊
翌日、ICEでベルリン
地下鉄に乗ると、東西の差がくっきりわかる
チェックポイントチャーリーでも、ソ連VSアメリカ
ベルリンの壁 フェンスで囲われていた
ニーダーキルシェナー・シュトラッセ
ベルリン 通称:虫歯協会
戦争の爪痕
ベルリンはサッカーの試合が開催されていて…
ホテルの予約に苦労…ベルリン観光局の人に
へっぽこ英語のメール送信、相談して取れた(;^_^A
ポツダム会議場
ツェツィーリエンホフ宮殿(左側はホテル)
ぷち墓マイラー、能天気にオーストリアへ
楽聖A32(ウィーン中央墓地)、モーツァルト(マルクス墓地)
モーツァルトの父、妻(ザルツブルク、三位一体教会)
お花見(八重桜)でバンクーバーUBC(ブリティッシュコロンビア大学)
【新渡戸記念庭園】「われ太平洋の橋とならん」
旅行は、歴史を尋ねるものでもあると思う…