新婦人事務所の向かいに、膳所5社の一番西にある石坐神社。創祀年代は不詳。社伝によると、瀬田に設けられた近江国府の初代国造・治田連がその4代前の祖・彦坐王を茶臼山に葬り、その背後の御霊殿山を、神体山として祀ったのが起源とされる[1]。壬申の乱以降は表向き八大竜王を祀っていたが、ひそかに天智天皇・大友皇子・伊賀采女宅子を祀ってきた。
石坐神社(いわいじんじゃ)→ https://genbu.net/data/oumi/iwai_title.htm
新婦人事務所の向かいに、膳所5社の一番西にある石坐神社。創祀年代は不詳。社伝によると、瀬田に設けられた近江国府の初代国造・治田連がその4代前の祖・彦坐王を茶臼山に葬り、その背後の御霊殿山を、神体山として祀ったのが起源とされる[1]。壬申の乱以降は表向き八大竜王を祀っていたが、ひそかに天智天皇・大友皇子・伊賀采女宅子を祀ってきた。
石坐神社(いわいじんじゃ)→ https://genbu.net/data/oumi/iwai_title.htm