新横浜 占いの真龍堂です
全国の八幡宮を巡ります
今回は 藤崎八旛宮 です
藤崎八旛宮は、承平5年(935)に朱雀天皇が平将門の乱平定を祈願され、
山城国(京都)石清水八幡大神を国家鎮護の神として、
茶臼山(今の藤崎台球場)に勧請されたのに始まる。
鎮座の日、勧請の勅使が藤の鞭を3つに折って、3ヵ所に埋めたところ、
この地に挿した鞭から、やがて芽が出て枝葉が繁茂したので、
藤崎宮の名称が起こったと伝えられている。
(藤崎八旛宮 社記による)
藤崎八旛宮の「旛」は、天文11年(1542)、
後奈良天皇宸筆の勅額に拠るものである。
創建以来、歴世朝廷の御尊崇はもとより、
世々の国司、地頭、藩主から万民に至るまで広く信仰をあつめ
一国の宗廟と称され、神威は赫赫として四隣に輝いた。
往時の社殿は壮大を極め、修造は常に勅命によって、
時の国主が承平草創の例にならい造営する伝統が踏襲されていた。
それらの実情は、社蔵の文書記録に詳しく記されている。
南北朝時代と戦国時代には、群雄の陣営となり或いは戦場と化して
荒廃した時期もあったが、降って加藤氏、続いて細川氏が
肥後の国守として任に就くや、共に代々崇敬殊の外篤く、
当宮の造営に力を尽くし、13年を期とする
式年造営修復の旧例をも復活された。その他社殿造営費をはじめ、
毎年恒例の諸祭儀費に至るまで、すべて藩費をもって賄われたので、
江戸時代250年間、諸事欠けることなく整備された。
明治維新後、同10年(1877年)に西南の役が勃発し、
熊本城と隣接する藤崎台にあった社殿は、兵火のためにすべて灰燼に帰し、
社地は熊本鎮台用地となったため、現在の井川渕町に移転。
翌11年に仮殿を造営、次いで同17年にようやく本殿の造営を見た。
大正4年国幣小社に加列。昭和10年御鎮座1000年を迎えた際に、
国幣社にふさわしい造営計画を設定し、
国費の補助と氏子崇敬者の浄財とによって新たな造営に着手した。
しかし、間もなく戦時となり、工事ははかどらず未完成のまま
終戦となったため、戦後は本殿以下の社殿、
次第に腐朽し尊厳を損なう状態となった。
よって、昭和60年の御鎮座1050年式年大祭を目処に、
修復整備並びに新規施設の諸工事を進め、
逐次竣成して今日の壮麗を拝するに至った。
平成22年4月1日には、畏き辺りより御幣帛を賜り、
應神天皇1700年式年大祭が斎行された。
この記念事業として、向拝及び拝殿の漆塗りかえ工事、
その他必要な事業がすすめられている。
また、この事業に続いて、本殿漆塗りかえ工事はじめ
社地の整備が御鎮座1100年の式年大祭に向けて計画されている。
◇最寄りの駅
JR熊本駅から熊本市交通センター行き10分、
交通センターから藤崎宮前まで15分、下車、徒歩5分
JR熊本駅から徒歩2分の熊本駅前電停から健軍町行きで15分、水道町電停下車、徒歩15分
◇所在地
熊本市井川淵町3-1
<藤崎八旛宮 ホームページより >
https://fujisakigu.or.jp/
新横浜 占いの真龍堂です
◇10月は
1(火) 2(水)
6(日) 8(火) 11(金)12(土)
14(月)15(火) 16(水)18(金)
22(火) 25(金)26(土)
29(火) 30(水)
午後1時より鑑定いたします
真龍堂のHPから予約できます
空き状況を確認して予約してください
※鑑定中の場合やご予約が入っている場合もありますが、
予約システム・お問い合わせフォーム・お電話・メール
から、まずはお気軽にご連絡ください
電話に出られない時もありますが必ず折り返し連絡しております
※指定曜日(時間)以外でも可能でしたら対応させていただいております
電話 080-6597-7388
メール ma@shinryu-do.com
全国の八幡宮を巡ります
今回は 藤崎八旛宮 です
藤崎八旛宮は、承平5年(935)に朱雀天皇が平将門の乱平定を祈願され、
山城国(京都)石清水八幡大神を国家鎮護の神として、
茶臼山(今の藤崎台球場)に勧請されたのに始まる。
鎮座の日、勧請の勅使が藤の鞭を3つに折って、3ヵ所に埋めたところ、
この地に挿した鞭から、やがて芽が出て枝葉が繁茂したので、
藤崎宮の名称が起こったと伝えられている。
(藤崎八旛宮 社記による)
藤崎八旛宮の「旛」は、天文11年(1542)、
後奈良天皇宸筆の勅額に拠るものである。
創建以来、歴世朝廷の御尊崇はもとより、
世々の国司、地頭、藩主から万民に至るまで広く信仰をあつめ
一国の宗廟と称され、神威は赫赫として四隣に輝いた。
往時の社殿は壮大を極め、修造は常に勅命によって、
時の国主が承平草創の例にならい造営する伝統が踏襲されていた。
それらの実情は、社蔵の文書記録に詳しく記されている。
南北朝時代と戦国時代には、群雄の陣営となり或いは戦場と化して
荒廃した時期もあったが、降って加藤氏、続いて細川氏が
肥後の国守として任に就くや、共に代々崇敬殊の外篤く、
当宮の造営に力を尽くし、13年を期とする
式年造営修復の旧例をも復活された。その他社殿造営費をはじめ、
毎年恒例の諸祭儀費に至るまで、すべて藩費をもって賄われたので、
江戸時代250年間、諸事欠けることなく整備された。
明治維新後、同10年(1877年)に西南の役が勃発し、
熊本城と隣接する藤崎台にあった社殿は、兵火のためにすべて灰燼に帰し、
社地は熊本鎮台用地となったため、現在の井川渕町に移転。
翌11年に仮殿を造営、次いで同17年にようやく本殿の造営を見た。
大正4年国幣小社に加列。昭和10年御鎮座1000年を迎えた際に、
国幣社にふさわしい造営計画を設定し、
国費の補助と氏子崇敬者の浄財とによって新たな造営に着手した。
しかし、間もなく戦時となり、工事ははかどらず未完成のまま
終戦となったため、戦後は本殿以下の社殿、
次第に腐朽し尊厳を損なう状態となった。
よって、昭和60年の御鎮座1050年式年大祭を目処に、
修復整備並びに新規施設の諸工事を進め、
逐次竣成して今日の壮麗を拝するに至った。
平成22年4月1日には、畏き辺りより御幣帛を賜り、
應神天皇1700年式年大祭が斎行された。
この記念事業として、向拝及び拝殿の漆塗りかえ工事、
その他必要な事業がすすめられている。
また、この事業に続いて、本殿漆塗りかえ工事はじめ
社地の整備が御鎮座1100年の式年大祭に向けて計画されている。
◇最寄りの駅
JR熊本駅から熊本市交通センター行き10分、
交通センターから藤崎宮前まで15分、下車、徒歩5分
JR熊本駅から徒歩2分の熊本駅前電停から健軍町行きで15分、水道町電停下車、徒歩15分
◇所在地
熊本市井川淵町3-1
<藤崎八旛宮 ホームページより >
https://fujisakigu.or.jp/
新横浜 占いの真龍堂です
◇10月は
1(火) 2(水)
6(日) 8(火) 11(金)12(土)
14(月)15(火) 16(水)18(金)
22(火) 25(金)26(土)
29(火) 30(水)
午後1時より鑑定いたします
真龍堂のHPから予約できます
空き状況を確認して予約してください
※鑑定中の場合やご予約が入っている場合もありますが、
予約システム・お問い合わせフォーム・お電話・メール
から、まずはお気軽にご連絡ください
電話に出られない時もありますが必ず折り返し連絡しております
※指定曜日(時間)以外でも可能でしたら対応させていただいております
電話 080-6597-7388
メール ma@shinryu-do.com