従来、日本の気候変動政策は、1998年に制定された「地球温暖化対策の推進に関する法律」に代表されるように緩和策に重点があったが、気候変動の悪影響が顕在化する中で適応策に注目が集まりつつある。
気候変動への適応策は、確実性の高い現在・短期的な影響への対応と、影響の程度や発生時期の予測に不確実性を伴う中・長期的影響への対応に分けられる。前者への対応は適応策と位置付けられていないまでも、既に対策が取られているが、追加的に実施すべきは後者の中・長期的影響に対する適応策である。この際、中・長期的影響に関する予測の不確実性が適応策の正当性の確保を阻害するが、そこで必要となる手法が順応型管理である。
しかしながら、気候変動適応に関する順応型管理の方法論は未だ具体化されていない。筆者は、気候変動適応における順応型管理の具体的手法の開発を進めているところである。ここでは、気候変動適応の基本的考え方について、関連概念の整理や定義の設定を行った結果を紹介する。
1.気候変動適応における順応型管理の必要性の指摘
順応型管理は、もともと資源量把握等の不確実性が大きい水産資源や自然生態系システムの管理で導入されてきた考え方である。気候変動適応についても、気候変動への悪影響に対しても受動的(Reactive)な適応から予見的(Proactive)な適応として、順応型管理の必要性が提案されてきた(三村(2012)1))。
白井ら(2014)2)は、気候変動適応の理論的枠組みにおいて、「中・長期的影響への順応型管理」という方向性として、予測情報に基づく順応型管理の仕組みづくり、代替案の設計や適応策の選択におけるステークホルダーの協働、担当者が変わっても順応型管理が継承されるようにするための記録と共有、ステークホルダー間の信頼関係の構築が重要である、ことを提示した。
さらに、環境省環境研究総合推進費「S-8温暖化影響評価・適応政策に関する総合的研究(以下、S-8研究)」の成果として、法政大学(2015)3)は、「気候変動適応ガイドライン」として、地方自治体における適応の方針作成と推進のための考え方や手順をまとめた。同ガイドラインでは、現在実施している適応策に追加する「追加的適応策」として、(1)既存適応策の強化、(2)感受性の根本改善、(3)中・長期的影響への順応型管理といった3つの方向性を整理した。
同ガイドラインは、順応型管理を気候変動適応の分野に応用しており、これに示すように、「順応型管理は、もともと資源量把握等の不確実性が大きい水産資源や自然生態系システムの管理で導入されてきた考え方」である。
2.自然生態系分野における順応型管理の定義
自然生態系管理における順応型管理の定義については、宮永(2014)4)がまとめているように、「“ An approach to managing complex natural systems that builds on learning ― based on common sense、 experience、 experimenting、and monitoring ― by adjusting practices based on what was learned”」(Sexton et al。(1999)5))、「仮説となる計画の立案―事業の実施―モニタリングによる検証―事業の改善」の繰り返しにより事業を成功に導く、円環的な、あるいは螺旋階段的なプロジェクトサイクルによる科学的管理手法」(鷲谷・鬼頭(2007)6))といったものがある。
この自然生態系管理における順応型管理が単なるモニタリングに基づくPDCAとの違いとして、宮永(2014)4)は、順応型管理では、「自然科学的知見に基づいた仮説設定や生物多様性モニタリング等がその実施の鍵を握る。また、政策の実施が事前に設定した仮説の検証となるよう、あるいは政策の実施とモニタリングとがパッケージとなるよう、プロセスデザインが施されている」、「順応的管理の本質の1つは「科学と政策の連動」である。これは、何でもよいのでとりあえず実施してみて、駄目ならまた違う方法を試せばよいといった「試行錯誤(trial and error)」的発想、あるいは実施後の評価・見直し結果を次のステップに活かしさえすればよいといった「素朴なPDCA サイクル」的発想と明確に区別する意味でも、より強調されてしかるべきである」と記している。
3.気候変動適応における順応型管理の具体化
気候変動分野における順応型管理については、法政大学がその必要性を示しているものの、その定義を深めて検討した事例は未だ見られない。海外ではいくつかの検討事例がある。
例えば、市橋ら(2015)7)は、英国環境庁のテムズ流域の洪水管理計画である「Thames Estuary 2100 Plan」(2012)8)に順応型管理が取り入れられているとして、「高潮と河川氾濫等、異なるタイプの洪水と幅のある気候変動予測結果に柔軟に対応できるよう、複数の代替案が検討され、観測を併用した段階的意思決定が可能となる計画となっている」と指摘している。
他に海外の事例でみると、OCCIAR(Ontario Centre for Climate Impacts and Adaptation Resources)によるオンタリオ湖の気候変動への順応型管理がある。同検討では、「Adaptive Management promotes flexible decision making that can be adjusted in the face of uncertainty as new outcomes from management actions and other events develop。」と記述している。
ここで、指摘しておきたい点は、CCCIARではモニタリングによる学習を順応型管理としており、自然生態系分野の順応型管理の考え方と同じだと考えられるが、市橋らが指摘している気候変動予測結果を活かすという観点は見られないことである。
気候変動適応における順応型管理は、自然生態系分野の順応型管理とは異なり、不確実性のある将来予測を前提とする。計画立案においては、将来予測を元に複数の代替案を設定する。さらに、モニタリングと見直しにおいても、モニタリングの結果だけでなく、その時点での将来予測を行うのである。
宮永の自然生態系分野の順応型管理の定義を踏まえて、気候変動適応における順応型管理を定義するならば、それは「気候変動の将来影響予測に基づいた政策代替案の設定や気候変動影響のモニタリング、将来影響予測の継続的改良等がその実施の鍵を握る。また、政策の実施が事前に設定した政策代替案の検証となり、また政策の見直し段階における将来影響予測結果の活用がなされるように、あるいは政策の実施とモニタリング、将来影響予測とがパッケージとなるよう、プロセスデザインが施されている」計画手法である。
【参考文献】
1) 三村信男(2012)将来のリスクへの予見的対応の重要性,土木学会誌,97(3), 137.
2) 白井信雄・田中充・田村誠・安原一哉・原澤英夫・小松利光(2014)気候変動適応の理論的枠組みの設定と具体化の試行-気候変動適応策の戦略として-,環境科学会27巻5号,313-323.
3) 法政大学地域研究センター(2015)気候変動適応ガイドライン―地方自治体における適応の方針作成と推進のために,45pp.
4) 宮永健太郎(2014)順応型管理-環境経済・政策学の視点,環境経済・政策研究Vol.7,No.1,36-40.
5) Sexton, N. C., A. J. Malk, R. C. Szaro, and N. C. Johnson(eds.) ( 1999 ), Ecological Stewardship: A CommonReference for Ecosystem Management, Volume III, Oxford:Elsevier Science.
6) 鷲谷いづみ・鬼頭秀一編(2007)自然再生のための生物多様性モニタリング, 東京大学出版会.
7) 市橋新・馬場健司(2015)自治体における気候変動適応策の施策化過程に関する課題と解決策-インラクティブ・アプローチの検証とワークショップの実践,環境科学会誌第28巻第1号, 27-36.
8) UK,Environment Agency(2012) Thames Estuary 2100,226pp.