
土木学会の環境システム委員会で、「脆弱性の概念と気候変動適応における脆弱性の構造に関する分析」というタイトルで発表をさせていただいた。
脆弱性は、気候変動の適応策を検討する際のキーワードであるが、人によって異なる定義で使われることが多い。このため、脆弱性に関する既往研究の整理を行った結果を報告した。
また、適応策というと高温耐性の稲に植え替えたり、熱中症予防で水を飲んだりという対症療法で捉えられることが多い。しかし、根本的な対策が必要であるという立場から、脆弱性の改善策としての適応策を提示するため、気候変動影響における脆弱性の要素の整理を行い、その要素の構造整理や要素の改善策としての適応策の体系化を試みた結果を報告した。
作業はまだ途中であり、あくまで経過報告と論点提示という意図であったが、まずは気候変動分野において、「脆弱性」を議論する場合のたたき台が提示できたならよかったと思う。
また、適応関連の発表は他にもあり、刺激になった。特に、埼玉県での農業の利害関係者へのインタビュー調査(ステイクホルダー調査)の結果では、「大規模農家では気候変動の影響を深刻にとらえ、適応策を考える傾向があるが、零細あるいは高齢者が跡継ぎもなくやっている農家は、いずれ廃業するため、気候変動の影響には関心が弱い」という報告が面白かった。
これに対して、私の発表では、「気候変動への脆弱性として、適応策の影響を受けやすい、あるいは適応策をとる能力が不足する弱者に注目する必要がある。熱中症に対する高齢者、農業の気象被害に対する小規模零細の農家等が相当する。大規模農家等は自ら問題を知り、対策をとろうとするが、これらの気候変動弱者は適応策をとることができないため、その支援が適応策の重点となる。」という考え方を提示した。
私も、埼玉のステイクホルダー調査の発表者に質問をし、私もその発表者から質問をうけた(実は、間接的には共同研究者なので、話を理解していないわけではない)。
片や、「小規模零細農家が農業をやめ、大規模農家が残っていけば、全体として気候変動への適応力が高まるとみることもできる」といい、
私は、「要するにどのような農業を目指すかによる。大規模農家だけ生き残る農業を目指すことに皆が同意しているわけではなく、小規模な農家が農村の中で伝統文化を継承することが大事という見方もある。小規模な農家を守ることが必要だとすれば、そこが適応策の重点となる。」と答えた。
同じような議論を損保ジャパンの研究会で聞いたことがある。ある方は、農業における適応策として、大規模集約化を図ることが大事であると主張された。それに対して、大規模集約をしなくとも、コミュニティで支えあうよう農業もあり、大規模集約という方向だけで考えない方がよいと反論をされた。
こうした議論を徹底すると、やはり行き着くところは、「どのような社会を目指すのか」という論点である。あるいは、私たちは未来に向かって、「何を守りたいのか」と言ってもいいだろう。
弱者を守る適応策が大事だという私の主張は、気候変動被害だけが防げればいいのかといえばそうではなく、小規模な農業を守ることも大事であるという観点にたっている。
振り返ってみれば、二酸化炭素の排出を減らせばいいという短絡が原発立地を推進してしまった。二酸化炭素の排出を減らすことだけに盲目となり、安全・安心を守りたいという視点を忘れてしまったのである。
私たちは「何を守りたいのか」、その問いかけを常にしつつ、気候変動適応策を議論し、具体化していきたいと考えている。