寺前(じぜん)城は甲賀市甲南町の新名神高速道路 甲南ICの近くにあります。
城主・築城時期など詳しいことは判っていないようですが、コンパクトな土の城ながら、見ごたえのある遺構が豊富でした。過日、滋賀県の城郭研究家 長谷川博美先生の解説による見学会に参加しました。
クリックで拡大 服部城、新宮城などが至近距離にある
寺前城の全景 奥に村雨城 大谷池㊧
甲賀市史第七巻甲賀の城によると、寺前城と村雨城は独立して隣接した二つの城とされていたが、近年村雨城と連携した支城という見方がされているようです。大谷池の大規模な堰堤(手前)は近年築造されたものなので、往時の地形がどうであったか、残念ながら見ることは出来ません。
寺前城と村雨城を仕切る大規模な堀切
寺前城の南側には村雨城との間に大規模な堀切があり、村雨城に向かっての塹壕状の遺構も残るので、両城が一体であったとは考えにくいように思えるので、寺前城が一体化されていなかった説もうなずけます。 築城時期の差などが有ったのでしょうか?
大谷池堰堤の現地説明板の縄張図 抜粋・加筆しました。
主郭北側の虎口①
北西隅の虎口②
二つの虎口が隣接していることから「並び虎口」と言われます。寺前城の見どころの一つです。二つの虎口から出た道は、それぞれ土橋を通り、途中で一本になり、枡形虎口を経て城外に向かうようです。複雑な経路をたどる城道遺構で、解説を聞いてやっと理解できました。
◯縄張図で主郭東側の「土塁の欠落」とした部分は、甲賀の城によると、戦後 東側の耕作地を広げるために削り取ったとのことです。寺前城は主郭の四方を高い土塁で囲んだ単郭の土の城だったわけです。
戦後の食糧難の時代に各地の城址が耕作地化されましたが、ここでもその痕跡を見ることになりました。
城主・築城時期など詳しいことは判っていないようですが、コンパクトな土の城ながら、見ごたえのある遺構が豊富でした。過日、滋賀県の城郭研究家 長谷川博美先生の解説による見学会に参加しました。


甲賀市史第七巻甲賀の城によると、寺前城と村雨城は独立して隣接した二つの城とされていたが、近年村雨城と連携した支城という見方がされているようです。大谷池の大規模な堰堤(手前)は近年築造されたものなので、往時の地形がどうであったか、残念ながら見ることは出来ません。

寺前城の南側には村雨城との間に大規模な堀切があり、村雨城に向かっての塹壕状の遺構も残るので、両城が一体であったとは考えにくいように思えるので、寺前城が一体化されていなかった説もうなずけます。 築城時期の差などが有ったのでしょうか?



二つの虎口が隣接していることから「並び虎口」と言われます。寺前城の見どころの一つです。二つの虎口から出た道は、それぞれ土橋を通り、途中で一本になり、枡形虎口を経て城外に向かうようです。複雑な経路をたどる城道遺構で、解説を聞いてやっと理解できました。
◯縄張図で主郭東側の「土塁の欠落」とした部分は、甲賀の城によると、戦後 東側の耕作地を広げるために削り取ったとのことです。寺前城は主郭の四方を高い土塁で囲んだ単郭の土の城だったわけです。
戦後の食糧難の時代に各地の城址が耕作地化されましたが、ここでもその痕跡を見ることになりました。