鹿背山城は京都市木津川市鹿背山に有る、三つの郭が隣接して構成されている連郭式の土の巨大山城です。 過日の東海古城研究会の見学会で訪れた時の資料と、その際撮った写真で構成しています。鹿背山城の築城・廃城の時期は明確ではないようですが、奈良興福寺の軍事拠点として15世紀中頃には存在し、その後戦国時代に入り松永久秀の関連が考えられ、天正年間に落城したといわれています。
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主郭とされるⅠ郭に隣接してⅡ郭、Ⅲ郭があり、各々の郭間は大きな堀切で断ち切っており、各々に付随する腰郭が築かれていました。
大きな竪堀で構成される畝状竪堀群が見どころ
特に主郭の西と南には大きな竪堀が多数連なっていて、この方面への厳重な守りを見ることが出来ました。
竪堀のハイライト W2から見上げた巨大竪堀
主郭南側の竪堀の東端部には、みごとな竪堀が築かれていて、下端はW2の池(水堀)に接続していました。 ここも見どころです!
主郭の桝形虎口 風化が見られるが、よく残った
主郭東側の大土塁 多聞櫓が有ったとも
主郭の桝形虎口には薬医門が建っていたといわれ、西側土壇には櫓が、東側の大土塁には多聞櫓が築かれていたという見方があるそうで、戦国の城としてのパーツが揃っていますね。
Ⅱ郭-Ⅲ郭間の大きな堀切
鹿背山城は三つの郭が連なっていたと言われ、その間に大きな堀切がある。鹿背山城は、遺構がよく残った土の山城ですが、発掘調査の資料によると、2mほど埋まった堀などが検出されているようです。往時は現在では想像できないほど堅固な守りの山城だったのではないでしょうか。
大きな竪堀と、それを仕切る竪土塁の組み合わせは珍しい!
写真ではわかりにくいですが、Ⅲ郭西側の竪堀と竪土塁は、大きな竪堀の中に竪土塁を配置したような構造になっていました。これはあまり類例がない構造だと思いました。大事な見どころの一つです。
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主郭とされるⅠ郭に隣接してⅡ郭、Ⅲ郭があり、各々の郭間は大きな堀切で断ち切っており、各々に付随する腰郭が築かれていました。
大きな竪堀で構成される畝状竪堀群が見どころ
特に主郭の西と南には大きな竪堀が多数連なっていて、この方面への厳重な守りを見ることが出来ました。
竪堀のハイライト W2から見上げた巨大竪堀
主郭南側の竪堀の東端部には、みごとな竪堀が築かれていて、下端はW2の池(水堀)に接続していました。 ここも見どころです!
主郭の桝形虎口 風化が見られるが、よく残った
主郭東側の大土塁 多聞櫓が有ったとも
主郭の桝形虎口には薬医門が建っていたといわれ、西側土壇には櫓が、東側の大土塁には多聞櫓が築かれていたという見方があるそうで、戦国の城としてのパーツが揃っていますね。
Ⅱ郭-Ⅲ郭間の大きな堀切
鹿背山城は三つの郭が連なっていたと言われ、その間に大きな堀切がある。鹿背山城は、遺構がよく残った土の山城ですが、発掘調査の資料によると、2mほど埋まった堀などが検出されているようです。往時は現在では想像できないほど堅固な守りの山城だったのではないでしょうか。
大きな竪堀と、それを仕切る竪土塁の組み合わせは珍しい!
写真ではわかりにくいですが、Ⅲ郭西側の竪堀と竪土塁は、大きな竪堀の中に竪土塁を配置したような構造になっていました。これはあまり類例がない構造だと思いました。大事な見どころの一つです。