城と歴史歩きを楽しむ

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美濃・金山城 慶長六年の破却廃城の姿を見ることができる

2018-08-07 | 歴史
金山城は兼山城ともいい、当初は斎藤道三の命で築城し鳥峰城と呼ばれた。
後に織田信長の美濃侵攻により家臣の森可成が入った。森蘭丸の本能寺での討ち死にが有名ですが、この一族は次々に討ち死にし残った森忠政が継いだが、忠政が川中島へ転封すると犬山城主の配下となり、慶長六年に破却され廃城となった。
現在見ることができるのは、「破却」の跡をとどめる姿です。

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通常は兼山小学校側から車で山腹の駐車場まで行きますが、時間があれば「伝米庫」のある北側から歩いて上がると、金山城を堪能できます。手入れの行き届いた遊歩道は、旧来の城下町からの城道とは一部が異なります。

主郭の神社は、発掘調査で撤去された 2017/8
以前は主郭部に神社が建てられていましたが、撤去され発掘調査が行われました。以前は犬山城の天守閣は金山城の天守閣を移築したものだという説、否定説などありましたが、この発掘調査で、サイズが合わないなど否定説の裏付けになったようです。
 地元の老齢の方にお聞きしたところによると、神社には古い城道を登ってお参りしたそうですが、今では道も失われてしまったそうです。

本丸石垣の破却状況 隅石を崩すのが作法?
城の破却と言っても、様々で大阪城のように完全に埋められて、その上に新しい城を築くのも一種の破却でしょうが、一般には石垣の角の石を崩すことで「破却」としたようです。
 単なる石垣の崩落と区別がつきにくいのですが、金山城の場合は、破却とされます。

主郭北東面の荒々しい石垣
石垣の一部が樹木の根張りで崩れていますが、往時の荒々しい石垣がよく残っていて、見どころになっています。主郭は岩盤上にあるので、一部は岩盤がむき出しになっています。


大手枡形 大手門が有ったとされる
曲輪や枡形、虎口などの遺構がよく残っています。山全体が岩盤なので、平場を作るのは大変だったと思いますが、石垣は豊富です。

尾根を断ち切る大堀切も見どころ 今は道路が通る
金山城の東側の尾根を、この大きな堀切で断ち切って、敵の進入を防いでいます。道路工事に伴う改変が多少は有るでしょうが、堀の法面を見るとほとんど往時の遺構ではないかと思います。

※兼山歴史民俗資料館は、戦国山城ミュージアム としてリニューアルオープンしたようです。