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大和・宇陀松山城 破却廃城によって文禄・慶長の城郭遺構が保存された貴重な城

2018-09-13 | 歴史
宇陀松山城は当初の築城者の名前から秋山城とも呼ばれ、奈良県宇陀市大宇陀にあります。
 過日の東海古城研究会の日帰り見学会で訪れました。当日の見学会資料は発掘調査の成果を盛り込んだ詳細な内容で、宇陀郡最大の城郭を丁寧に見学することが出来ました。

宇陀松山城は南北朝内乱期から宇陀の国人として活躍した秋山氏の本城でした。そのことから秋山城と呼ばれるようですが、今見る姿は後の文禄・慶長の頃に大きく改修された近世初期の城で宇陀松山城と呼ばれます。
 当地は戦国時代に入っても奈良興福寺の支配下にありましたが、東に隣接する伊勢北畠氏とも境を接していたので北畠氏の支配も受けるという特殊な場所だったようです。後に松永久秀の勢力が宇陀に及んだときには松永久秀に与したようです。


宇陀松山城縄張図  見学会資料より抜粋
宇陀松山城は城主が度々代わり、秋山城に大規模な改修を加え典型的な近世初期城郭になりました。元和元年(1615)福島孝治が改易され城は破却・廃城となりました。


雀門 整備されて、往時の姿をそのまま見ることが出来る。
破城後は再利用されず、手付かずだったようで、往時の姿が縄張図通りに遺構が広がり見どころいっぱいで素晴らしい。


天守は破却の跡が生々しく残る 石垣の隅が崩れているのが破却跡
城の破却は堀を埋め、石垣を取り壊して持ち去り更地に近い状態まで破壊する場合もあるが、石垣の隅などの一部を崩すだけのセレモニー的な破却もあったようです。宇陀松山城ではセレモニー的な破却だったようで、後世の僕たちが400年後に生々しい遺構を楽しめます。


大門を通して天守を見上げる
往時はここに「大門」があり、登城した人は天守を見上げて畏怖の念を持ったのではないでしょうか。


天守から大門、二ノ丸方面を見下ろす ○で囲んだ人物の大きさから城の規模が想像できます
写真にはありませんが堀切、桝形虎口、竪堀群など、城郭遺構の必須アイテムはもれなく備えた宇陀松山城です。


二ノ丸から大御殿、御加番を見る
二ノ丸は植林されていますが、遺構はしっかり残っていました。二ノ丸の木の間から大御殿と御加番と呼ばれる曲輪を撮りました。写真の左側上に天守があります。

今回紹介したのは、ほんの一部の遺構です。 宇陀松山城は整備がされているので、いろいろな角度から近景遠景で遺構を見学でき、発掘調査結果とも照合して納得・大満足の見学会でした。