織田信長と今川義元が戦い今川義元が討たれ織田信長が勝利し飛躍の原点になったといわれる桶狭間の合戦。信長が居城の清州城を出発して桶狭間に向かう時に進軍した道は旧美濃路と考えられている。徳川家康が名古屋城を築城した時、旧美濃路の一部が名古屋城の城地にかかっていたため旧美濃路は付け替えられて一部が失われました。
9月26日 東海古城研究会の活動の一部として行われている「名古屋歴史歩き」で旧美濃路を訪ね、信長の進軍路と周辺史跡を訪ねました。
コースは名古屋地下鉄 浅間町駅を出発して名古屋城正門前→名古屋能楽堂→加藤清正像→成瀬隼人正屋敷跡→滝川豊後守屋敷跡→名古屋城本町御門→評定所跡→那古野神社→東照宮→桜天神社→札の辻→守綱寺→白林寺→勝鬘寺→政秀寺→若宮八幡神社→大光院→総見寺→光勝院→万松寺 というものでした。
名古屋城正門 この付近を旧美濃路が通っていたという
旧美濃路は名古屋城の前身である那古屋城の西を通っていたが、城地が巨大な名古屋城の築城で西方へ移動されました。
加藤清正像 名古屋城天守も見える
名古屋城の築城で活躍した加藤清正の像が能楽堂の南に隣接して設置されていました。名古屋城の石垣を築くための清正の石切丁場が有ったという三河湾の篠島の矢穴の残る巨石も展示してありました。
愛知縣護國神社 江戸時代に滝川豊後守屋敷があったといわれる
家康の名古屋城築城で城内となったこのあたりを旧美濃路が通っていたが、重臣の滝川豊後守屋敷の屋敷地として使われました。明治になって護国神社が造営され今に至っています。
万松寺 織田信秀の墓碑が有る 葬儀の際信長が抹香を投げつけたエピソードで知られる
名古屋城から熱田神宮に向かって美濃路は南下しています。美濃路沿いの寺社を見学しながら万松寺まで来たところで今回の歴史歩きは終了でした。万松寺は老朽化で最近建て替えてビルになり織田信秀の墓碑も移動されていたので以前訪れた時とは全くイメージが変わっていました。
名古屋歴史歩きは名古屋を中心に研究している東海古城研究会のベテラン会員さんの解説で見学するので、単なる寺社巡りではなく歴史や武将との関連がわかり、興味深い内容で毎回楽しんで参加しています。
※歴史歩きの告知は会員対象のメール、見学会参加時での案内などで行われています。
9月26日 東海古城研究会の活動の一部として行われている「名古屋歴史歩き」で旧美濃路を訪ね、信長の進軍路と周辺史跡を訪ねました。
コースは名古屋地下鉄 浅間町駅を出発して名古屋城正門前→名古屋能楽堂→加藤清正像→成瀬隼人正屋敷跡→滝川豊後守屋敷跡→名古屋城本町御門→評定所跡→那古野神社→東照宮→桜天神社→札の辻→守綱寺→白林寺→勝鬘寺→政秀寺→若宮八幡神社→大光院→総見寺→光勝院→万松寺 というものでした。
名古屋城正門 この付近を旧美濃路が通っていたという
旧美濃路は名古屋城の前身である那古屋城の西を通っていたが、城地が巨大な名古屋城の築城で西方へ移動されました。
加藤清正像 名古屋城天守も見える
名古屋城の築城で活躍した加藤清正の像が能楽堂の南に隣接して設置されていました。名古屋城の石垣を築くための清正の石切丁場が有ったという三河湾の篠島の矢穴の残る巨石も展示してありました。
愛知縣護國神社 江戸時代に滝川豊後守屋敷があったといわれる
家康の名古屋城築城で城内となったこのあたりを旧美濃路が通っていたが、重臣の滝川豊後守屋敷の屋敷地として使われました。明治になって護国神社が造営され今に至っています。
万松寺 織田信秀の墓碑が有る 葬儀の際信長が抹香を投げつけたエピソードで知られる
名古屋城から熱田神宮に向かって美濃路は南下しています。美濃路沿いの寺社を見学しながら万松寺まで来たところで今回の歴史歩きは終了でした。万松寺は老朽化で最近建て替えてビルになり織田信秀の墓碑も移動されていたので以前訪れた時とは全くイメージが変わっていました。
名古屋歴史歩きは名古屋を中心に研究している東海古城研究会のベテラン会員さんの解説で見学するので、単なる寺社巡りではなく歴史や武将との関連がわかり、興味深い内容で毎回楽しんで参加しています。
※歴史歩きの告知は会員対象のメール、見学会参加時での案内などで行われています。