私が16歳の夏。
初めてのヒッチハイクの旅。
それをメモった手帳が出てきた。
それは、最後まで書き切らずに、ある日、唐突に終わっている。
ただ、終盤に近いところまでは書いているのと、当時の物価が判って面白いから、連続物としようと思い立った。
自分だけのタイムカプセルを開く気分でもある。
原文に忠実にコピー。
以下コピーーーーー
8月12日
6時起床
8時ユースを出発
7台目
普通の車に乗ったごく平凡な人
8台目
普通車、カーステレオつきのかっこいいの。
親切な人だった。
カーステレオのパックを森進一のから、ドラムドラムに切りかえた。
9台目
大型ダンプ。
これには52kmぐらいのった。
途中で眠くなってしらぬまにうとうとしてしまった。
10台目
ひたいに傷のある人だった。
これもカーステレオつきのごきげんな車。
こいつで長崎入り。
11台目
2人の青年だった。
信号待ちで止まっている所を声かけたら、かんたんに乗せてくれて、その上長崎市内の名所を方々まわってくれたんだ。
ほんとうにいい人たちだった。
氷、コーラ、グラーバー邸入場料などたくさんおごってくれた。
昼飯(ラーメン) 120円
フィルム代(白黒36枚) 290円
固形燃料 240円
この手帳 200円
ボールペン 50円
長崎、肥前屋に着く
宿泊費 900円
電話代 90円
ーーーー以上コピー
なんだか、河端少年は、やたらカーステレオに感動している。
この頃は珍しかったのだろう。
それも、カセットテープ以前の8トラじゃなかったか。
11台目の長崎の青年二人組のことは記憶にある。
長崎市内の交通量の激しいところで降ろされた後、信号待ちの車列の中の1台を、私が窓をコンコンとノックして交渉したシーンが今でも目に焼き付いている。
当時、多分大学生くらいだったんじゃないだろうか。
とてもよくしてくれた。
ヒッチハイクで旅していると、こういう人達に時々遭遇する。
そういう人達は、大概、自分達も過去に某かの経験のある人達であることが多い。
私も機会があれば、そうしてやりたいとは思ってはいるが、昨今の物騒さを思うにつけ、古き良き時代を懐かしく回想するのである。
しかし、上陸して3日目にようやく、このコピーの元になる手帳を買ったことになっている。
一体それまでの記録はどうしてたのだろう。
今暫く続く・・・・
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます