クロちゃんの青春
渥美清・関啓六がいた。ウン、俺が浅草・フランス座の照明係をしていたこ頃、いたヨ。俺が20前後の頃だったから話をしたことはなかったけれどネ。楽屋内でも面白かったヨ。昭和30年の半ば頃だからね。お客さんは皆、女の子の裸を見に来てんだから、楽屋じゃ女の子が大事にされる。男の芸人さんは女の子に親切にしていたように思うヨ。そうしなけりや生きていけないからね。当時は楽団さんがいて演奏していた。その音楽に合わせて服を一枚一枚脱いでいくわけヨ。最後はバタフライ1枚になって、女の子のデルタにスポットライトが当たり、小さく絞られて終わる。今のストリップと比べたら、子供の遊びのようなもんヨ。楽団さんも四、五十分も演奏するとくたびれるから15分くらいの休憩を入れるわけヨ。その時にお笑いの芝居が入る。
渥美清らが出て、エッチな芝居をする。女の匂いをプンプンさせて、踊り子さんが登場する。パンティーを手にした男があの子のものだよ、と笑いながら「お客さん、安くしとくから」と売り付ける。本当だよ。「オイ、マリア、スカートをめくってみろ」。踊り子さんが少しづつ、恥ずかしそうにスカートを持ち上げる。すると真つ白なパンティーをはにいている。劇場全体が真つ暗になる。テナーサックスが鳴り響く、孔雀の羽を背中に背負にい、高にいヒールをはいた踊り子さんがスポットライトを浴びて登場する。
昭和三十年代後半の頃のストリップの話を始めるとクロちゃんの話はエンドレスになる。二年ほど照明係の仕事をフランス座でしたとクロちゃんは言う。その頃がクロちゃんの青春だったのだろう。
不思議なものでクロちゃんの経験談は毎回同じような話であっても飽きない。毎回、少しづつ新しい話がある。踊り子さんたちは楽団さん側のお客さんにはサービスをしない。バタフライ姿を楽団さんに見せるのが恥ずかしいからだ。だから事情を知っているお客さんは楽団さん側には座らない。
スタイルも良く、踊りも上手な踊り子さんが何人もの踊り子さんを従えて舞台いっぱいに踊る。衣装も一番華やかでソロで踊る。その他大勢の踊り子さんは何枚も衣装を身につけていないので、2・3枚脱ぐとバタフライになってしまう。裸になった五・六人の踊り子さんを後ろにソロ踊り子さんが脱いで行く。胸を震わせ、腰をふり、最後は両足をつけ、右手を高くあげる。場内が暗くなり、スポットライトがパタフライに当たり、絞られていく。
今のヌード劇場とは全く違うヨ。レビュウの流れがあったように思うネ。その当時は恥毛を見せちゃいけなかったからネ。今だってそうだよ。昔のようなことをしていたんでは、お客さんが入らなくなっちゃったから、法律に違反することを覚悟してやっているじやないの。だから今は捕まるヨ。5・6年ヌード劇場の踊り子さんをしていて、捕まっていない踊り子さんなんかいないでしょう。今のストリップは非合法だからネ。俺がフランス座の照明係をしていた頃は合法的なストリップだったよ。
戦争中に抑圧された青春時代をおくった者たちにとってストリップは心を解放するひとときだったんじやないのかな。今じゃ、深夜テしビで放送できそうな内容のものであってもたくさんのお客さんを集めることができたんだよ。永井荷風なんていう人もよく来たよ。いつもお土産を持って、楽屋に行く姿が瞼に残っているね。