醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  411号  白井一道

2017-05-28 15:35:38 | 日記

 文学を楽しむ

句郎 去来の句「振舞(ふるまい)や下座になをる去年(こぞ)の雛(ひな)」。この句を復本一郎氏は「内面世界を形象化」した句だと説明している。
華女 へぇー、全然分からないわ。「振舞」とは立居振舞ということよね。
句郎 身の処し方というような意味なのかもしれない。
華女 なるほどね。そういう意味ね。分かったわ。年取った者は若者に役割をバトンタッチしていくと言うことね。
侘助 次世代を背負う若者に役職や地位を受け継ぐ。大事な仕事を次世代を継ぐ者に譲り渡す。こういうことなのかな。
華女 老女はいつまでも家計の財布を握っていてはいけないというようなことよね。
句郎 教訓めいたことを詠っているわけではないんだけど、新しく造られた今年の雛人形が上段に飾られ、去年の古雛が下座に飾られている雛段を見て「下座になをる去年(こぞ)の雛(ひな)」と去来は詠んだ。
華女 上五に「振舞や」と置いたことによって人間世界もそうだなと去来は感じたのね。
句郎 そうなんだ。桃の節句に飾られた雛人形を見て人間の生きる世界を表現したということなんだと思う。
華女 芭蕉一門の俳句は単なる花鳥諷詠の句じゃないのね。
句郎 多分そうなんじゃないかな。
華女 花鳥諷詠の句より、詠んだ世界が深いような気がしてきたわ。
句郎 「貴方がたの試みは結局人間の探求といふことになりますね」と山本健吉に問われた加藤楸邨は「四人共通の傾向をいへば『俳句に於ける人間の探求』といふことになりませうか」と答えたと、いうことは、もしかしたら加藤楸邨たちは芭蕉の精神を継承しているといえるのかもしれないね。
華女 四人とは誰だったのかしら。
句郎 中村草田男、加藤楸邨、篠原梵、石田波郷の四人の俳人たちを「人間探求派」と言うようだよ。
華女 芭蕉が残した俳句世界は現在に継承されているということなのね。
句郎 復本一郎氏が言うように「内面世界を形象化する」ということが文学だということなんじゃないかな。
華女 俳句は文学ね。でもなかなか文学にならない俳句が多いのじゃないかしら。
句郎 文学にならない。でも俳句は楽しむものだから、文学にならなくとも遊びとして俳句を楽しむということはいいことなんじゃないかな。
華女 そう、遊びね。五七五、十七文字の遊びよ。上手、下手はあるでしょ。でも下手でも楽しむことができれば、いいのよね。
句郎 そう。俳句を詠む楽しみを見いだせればそれでいいんだよね。
華女 でも仲間はいなくちゃ、だめだと思うわ。
句郎 そうだよね。でも夏目漱石や芥川龍之介、永井荷風といった文学者たちは一人で俳句を詠んで息抜きしていたんじゃないのかな。彼らは座を組んで俳句を詠んでいたのとは違うような気がするんだ。だから勿論、仲間がいて主宰者のいる句会に出て、俳句を詠む楽しみもあるとは思うけれど、一人で俳句を詠み、一人の時間を楽しむ方法もあるのじゃないのかな。