若山牧水の酒
酒やめてかはりになにか たのしめといふ
医者がつらに 鼻あぐらかけり
下らないことを言う人だ。酒のぽかに楽しめることがあるのなら、もうとっくにしてにいるところだ。酒に代わるほどの楽しさなどあるはずかないではないか。それが分からない。医者の顔にはあぐらかいたでかい鼻があるなぁー。診察室の安楽椅子に踏ん反り返る医者の姿が浮かぶ。
酒やめむ
それはともあれ
ながき日の
ゆふぐれごとに
ならば何(な)とせむ
酒をやめてもいい。やめたら長かった1日の夕暮れをどう過ごせばいいんだ。この気持ちよくわかる。
朝酒はやめむ
昼ざけせんもなし
ゆふがたばかり
少し飲ましめ
牧水はアル中だったのだろうか。ドクターストップがかかっても飲み続けていたようだ。体の具合いが悪くなり、酒をやめようと思いつつ、少しは飲んだ。やめては飲み、飲んではやめていたようだ。
人の世に楽しみ多し
然(しか)れども
酒なしにして
なにのたのしみ
酒好きの人にとっては、その気持ちをこんなに簡明に詠った歌はない。
寒鮒のにがきはらわた
噛みしめて昼酌む酒の
座に日は射せり
口刺しにした寒鮒が囲炉裏の雀わりに刺してある。仲間と囲炉裏を囲み、昼酒を楽しむ。古きよき故郷がここにある。友が訪ねて来て、昼酒の用意をしてくれる懐かしいおふくろがいた。今では考えられなにい風景である。
鉄瓶のふちに枕し
ねむたげに徳利かたむく
いざわれも寝心
明治時代の地主の生活、それは優雅なものであった。障子を通して入ってくる柔らかな日差しの中で酒を楽しみ、昼寝をする。あー、これを古きよき時代というのだろう。
ウヰスヰイに煮湯(にえゆ)
そそげば匂ひたつ
白けて寒き朝の灯かげに
牧水は朝酒を嗜む習慣があったのだろうか。寒い朝、飲みたいのは日本酒。けれどもその日本酒がない。戸棚をあけると口の空いたウヰスキイが見つかった。これだ。これだ。ウヰスキイをお燗するわけにはいかない。ウヰスキイのお湯割りがいい。いい香がするじゃなにいか。旧家の茶の間は薄暗い。ランプを灯し、火鉢にかかっている鉄瓶から煮湯をそそいだ。湯気が立ちのぼる。その香の中に牧水は冬の朝を感じていた。
まるまると馬が寝てをり
朝立ちの酒 沸かし急ぐ
ゐろりの前に
牧水は信州を旅した。一つ家に人と馬が共に寝起きする信州の生活習慣に驚にいた。そこに冬の信州の厳しい
寒さを感じとった。馬の吐く息が白い。人が忙しく立ち振る舞う朝、囲炉裏の前でまるまるに太った馬がゆっくり気持ち良さそうに寝ている。
当時、旅人は一期一会の別れの朝、酒を酌み交わす習慣があったのだろうか。
酒なしに喰(く)ふべくもあらぬものとのみ
おもへりし鯛を 酒なしに飯(めし)を喰ふ
酒なしに飯を喰って何がうまい。そう思いながら、鯛をくった。御馳走も酒なしではひとつも美味しくない。