うらやましおもひきる時猫の恋 越人
句郎 「うらやましおもいきる時猫の恋」。この句が句会に出てきたら華女さんは採りますか。
華女 その句、誰の句なの。
句郎 今から三百五、六十年前の芭蕉の門弟の一人、越人の句のようだ。
華女 蕉門十哲の一人ね。
侘助 そう、俳諧の古今集と言われている「猿蓑」春の部に載っている句のようだけれど。
華女 何を詠んでいるのか、今いち、ちょっと感じるものがないんだけれど。
句郎 「うらやまし」が何がうらやましいのかが分からないと言うことなのかな。
華女 そうね。何がうらやましいのかしら。
句郎 「猫の恋」は実にけたたましいからね。春の夜の猫の鳴き声を聞くとぞっとするくらい嫌なものだけれどね。
華女 そうね。まだ、鹿の妻恋の鳴き声の方がいいわ。なんとなく哀愁があるように思うわ。
句郎 あんなに声を張り上げて妻恋の声を張り上げた猫は盛りが終われるとケロッとして知らんぷりしていられる。その姿を見て越人はうらやましいと言っているんじゃないかな。
華女 なるほどね。人間の男にもそんな人がいるわよ。あんなに求めてきたのに、今は知らんぷり。あれはなんだったのと、言いたいような気持になるわよ。
句郎 そう冷淡になる男の気持ちが分からないということなのかな。
華女 女の中には、そう思う人もいるんじゃないかと思うけど。
句郎 でも男の中には、そうきっぱりと思いきれない人もいるんじゃないのかな。現に越人は後引き男だったんじゃないのかな。思いきれずにうじうじしていたんじゃないのかな。だから猫の恋を見て、あのようにきっぱりと思いきれる猫がうらやましいということなんじゃないのかな。
華女 うらやましいとは、そうことなのね。分かるわ。でも句としてはどうかしらね。私だったら、そんなハスッパな気持ちを句に詠まないだろうな。
句郎 「ハスッパ」か、どうか分からないけれど、欲情に違いはないよね。そんな欲情を詠んだが「猿蓑」に掲載されているんだから、古今集の歌に匹敵する句なんじゃないのかな。
華女 芭蕉は認めていたのね。
句郎 そのようだよ。「越人猫之句、驚入候。初而彼が秀作承候。心ざし有ものは終に風雅の口に不レ出といふ事なしとぞ被レ存候。姿は聊ひがみたる所も候へ共、心は高遠にして無窮之境遊しめ、堅(賢)愚之人共にをしえたるものなるべし。孔孟老荘之いましめ、且佛祖すら難レ忍所、常人は是をしらずして俳諧をいやしき事におもふべしと、口惜候。」と芭蕉は去来に手紙を書いているからね。越人の猫の句には驚いたよ。越人の初めての秀作だ。志(こころざし)さえあれば、いつかは口から風雅がでてくるものだ。たしかに少しひがみのようなものがあるがね。心は立派なものだよ。孔子や孟子、老子や荘子が欲情を戒めたため、その教えに従って常人が欲情を詠んだ俳句を卑しいものだと考えているのだとしたら残念なことだと芭蕉は去来に言っている。芭蕉は欲情を肯定しているんだ。