醸楽庵だより

芭蕉の紀行文・俳句、その他文学、社会問題についての評論

醸楽庵だより  399号  白井一道

2017-05-16 14:35:47 | 日記

   居酒屋が私の大学だった

 東京近郊の市議会議員のFさんは、中学を卒業するとキッコーマンに入社した。当時、中学を出て、キッコーマンにλ社できる人は、その地域の選ばれた数少ない人だけだった。それらの人々は仕事が終わると県立高校の定時制に通った。四時に仕事を終え、四時半には校門をくぐった。優秀な生徒が定時制にはたくさんいた。勉強の好きな先輩や同級生は大学に進学した。権利意識に自覚めた定時制卒業の先輩たちの中にはキッコーマン労組の幹部になっている人が多数いた。授業が終わると友だちや先輩、たまには教師と一緒に夕飯を食べに行った。今じゃ、問題になるのだろうけれどもそこで先生と一緒にビールを飲むことがしばしばあった。それが楽しかった。そこで学んだ。本当の勉強を学んだ。生きて行く学問を学んだ。
 昭和三七年、福田村の村長を経て、野田市議会議員であった新村勝雄さんか野田市長に立候補した。それまでの野田市はキッコーマンの強い影響下にあったので、野田市はキッコーマンの「城下町」などとにいう人もいた。それだけにキッコーマンとは関係のない新村さんが市長に当選すると野田市民は思っていなかった。結果は、見事、社会党の新村さんが野田市助役経験者の対立候補を破って初当選した。革新市長が企業城下町の野田に誕生した。野田市民はこの結果に驚嘆した。Fさんが県立高校定時制、一年生の時のことだった。革新市長誕生の熱気が高校定時制の中にあった。そんな時代の潮流のなかにFさんの青春はあった。生徒会活動をし、夕飯を仲間と一緒に食べ、自転車で一時間、暗い夜道を急いだ。冬の木枯らしが吹く寒い夜も少しも心は寒くなかった。未来が輝にいていた。
 昭和四一年の市長選挙か凄かった。キッコーマンは重役を対立候補に出し、全社を挙げて、打倒新村をねらった。キッコーマンの組合は、会社と対立して新村支持を表明した。キッコーマンの若き組合員だった藤井さんは、新村市長当選を目指して情熱を燃やした。会社と組合が全面衝突する激しい戦いだっだ。野田市内の商店街や町内会では支持候補者がパラバラだった。新村候補支持者、キッコーマン重役の市長候補支持者とに全市が分かれて戦った凄い選挙だった。村の入り口には警備する人がいた、反対候補の支持者は入ることが出来なかった。投票所の入り口に立てておいた看板が翌日いくと反対候補の看板が立っている。一晩中、看板の見張りを立てていなければならないような状況があった。この選挙でFさんは政治活動の洗礼を受けた。政治活動の面白さを知
った。
 居酒屋で学んだ社会学がその後のFさんの人生を決定した。Fさんは時代の潮流の中で野田市議という人生を形成した。いつの時代も若者は、きっと居酒屋で自分の人生哲学を築くのかもしれないようだ。