芭蕉の恋
句郎 芭蕉は自分が詠んだ句が以前詠んだ句に似ているなとくよくよしている。繊細な神経の持ち主だったのかな。
華女 それはどんな句なのかしら。
句郎 「清滝や波に塵なき夏の月」。この句が「白菊の目に立て見る塵もなし」と句意が似ているから破り捨ててくれというようなことが『去来抄』にあるんだ。
華女 芭蕉は自分に厳しい人だったのね。
侘助 そうだよね。厳しい割には「清滝や波に塵なき夏の月」を推敲し「清滝や波に散り込む青松葉」と改作している。
華女 他にも同じような句があるんじゃないの。
句郎 そうそう、「大井川波に塵なし夏の月」かな。
華女 大井川というと静岡県を流れる川よね。
句郎 そうなんだけれども、その頃、芭蕉が詠んだ句を時系列に並べてみると「六月や峰に雲置(おく)あらし山」、次の句が「大井川波に塵なし夏の月」、「清滝の水汲ませてやところてん」となっている。「清滝」とは「清滝川」を意味しているから、保津川、大堰川と名称を変えていく京都桂川のことを意味しているんじゃないのかな。
華女 「大井川波に塵なし夏の月」の大井川は静岡の川ではなく、京都大堰川のことを意味しているのね。
句郎 多分そうなんじゃないかな。
華女 「大井川波に塵なし夏の月」が静岡の大井川ではなく、京都嵐山から流れ出した大堰川だったら、清流のイメージがくっきり浮かび上がってくるわね。
句郎 でも芭蕉は「白菊の目に立て見る塵もなし」。この句以外の「「清滝や波に塵なき夏の月」を推敲した「清滝や波に散り込む青松葉」や「大井川波に塵なし夏の月」の句を廃棄してほしいというようなことを芭蕉は去来にお願いしているようなんだ。
華女 それらの句は、みな今の言葉言う類句ということなのね。
句郎 芭蕉にとっては、なんとしても「白菊の目に立て見る塵もなし」の句が大切な句だったというなんじゃないかと思うんだ。
華女 「白菊の」の句は、芭蕉さんの好きな女の人を称えた句なんでしょ。私もそんな風に私を詠んでくれる人がいたらいいなぁー。
句郎 まぁー、いないでしょうね。芭蕉は「白菊の」句を元禄七年九月二七日病をおして門人園女(そのめ)邸を訪れて、園女に挨拶した句だからね。その後、芭蕉は病に臥せ、翌月の十二日に力尽き、帰らぬ人になるんだからね。芭蕉は死ぬまで園女さんに欲情していたのかな。
華女 ちょっと、いやらしいわよ。だって、園女さんにはご主人さんがいたのでしょ。
句郎 芭蕉は勝手に園女さんを片思いをしていたんじゃないのかな。
華女 芭蕉は死ぬまで恋をしていた男だったのかしらね。
句郎 芭蕉は恋する男だった。欲情を肯定して生きた男だった。芭蕉にとって「白菊の目に立て見る塵もなし」と言う句は大事な大切な句だったんだよ。若々しい青年の情愛を失うことなく、一生を終えた人なのかもしれないと私は考えているんだけれどね。