空手は日本の太極拳
路上で転んだ老人が、その後、歩けなくなってしまった。満足に動かない手足を使い、空手の型の練習をしていくうちに歩けなかった老人は一人の力で歩けるようになった。空手の練習はリハビリの効果がある。中国の太極拳のように緩慢な動きではないが空手は体を活性化させる働きがあるという。
街の空手道場を開いて25、6年になりますが、こけまで弟子たちは一度も問題を起こしたことかありません。これが私の誇りです。空手というのは体を鍛える武道でありますが結果として心を鍛えているというふうに考えています。練習をすれば、強い子が出てくる一方、練習を積んでも良い結果が出せない子供もいます。私は結果を問題にはしてにいないのです。一人一人の生徒たちが練習を積み、今まで出来なかった技ができるようにな
るその成長の過程を尊重してにいるのです。ですから、私は厳しい練習を子供たちに課します。怠けていると厳しく叱責します。内心、もう来週から来なくなってしまうかな、という一抹の不安が心をよぎります。私も心を熱くして叱責してしまって後悔しているのです。
次の週、叱責した子が元気一杯道場に入って来る姿を見ると胸が一杯になります。その子供の目の輝きに私は元気づけられます。空手はやめられない、そう感じています。こうして25、6年間、毎週日曜日、朝から夜まで一日中、空手をする生活が続にいてきたわけです。
空手の練習はまず型を覚えることから始まります。型を体に覚えこますことによって技が侠えるようになります。空手は型に始まって型に終わると言えます。型、そのものが技でもあります。一人一人の子供の成長する過程を見ていくのは何とも楽しいものです。空手の試合に私の道場から弟子たちを出場させ、良い成績を上げ、道場の名をあげるような気持ちは少しもありません。一人一人の子供たちが自分の技を磨きたいという欲を出してくれるのを待つのが指導のように感じています。本当に子供たちが欲を出して練習を始めるとめきめき上達していきます。そうするともう安心です。どんな厳しい練習にもついて来てくれます。まあぁー、それまでが指導の厳しさでしょう。
こうなると心も鍛えられています。礼儀が自然と身についていくようです。特に礼儀のことについて、指導しているわけではないのですが、立派な態度を生徒たちは身につけています。そういう生徒は決して問題を起こすようなことはありません。
空手には五つの原則があります。一つは「転身」です。これは身をかわすことです。早く言えば逃げるということでしょうか。逃げ、一点に集中して攻撃の隙を見つけるということでしょうか。欲の出てきた生徒はちはこの『転身』が身に着にいたといえます。二つ目は「流水」と言われるものです。これは相手の攻撃を流して受けることです。昔から空手に先手なし、と言われてきました。空手は先制攻撃をしません。攻撃されたときその攻撃をとのように受けるかに空手の極意があります。三つ目は「落下」といわれるものです。強い攻撃を強く受ける方法です。四つ目は「反撃」です。カウンター攻撃というものです。